ここは、日立の住宅街。

別の件で捜索中に訪れた訳だが、道を間違えてしまい迷路のような住宅街をグルグル。

しかもここら辺はやたら坂が多いし道が狭い。山の上に団地が建っている。

住宅地がある山を下りると区画整理中で新しい建物が並ぶ新興住宅地が広がっていた。

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その住宅地の一角にやたら草が伸びヤブで荒れて管理がされていないだろう敷地があった。

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そこを通り過ぎようとした時の事だった。


草むらの方から異様な視線というかオーラを感じたので後ろを振り返ってみると・・・










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そこには大量の無縁仏が!!



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全く手入れがされていないようなので、付近住人はだれも気には留めてもいないようで既に風化して文字が消えかかっているものや割れてしまっているもの、ばらばらになり原型をとどめないものが多数あり、石ころと化しつつある。実に哀れだ・・





そして付近の電線工場の裏にある墓地でも異様な光景が・・・







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墓地内になぜか高さ3m程ある山があるのだがよく見るとこれはただの山ではなく、周辺の忘れ去られたり遺族がいなくなったりして供養をする人がいなくなったたくさんの無縁仏を集めてコンクリートで固めた、無縁仏でできた山というのがわかる。

石碑の字は一部、『天保』と書いてあるのが読めた。












 そういえば、日立は昭和の戦時中には大日本帝国の重要な軍需工場がある重要拠点であり、アメリカ軍は日立沖に向かって16隻の戦艦や巡洋艦・駆逐艦がいっせいに艦砲射撃を行った。その流れ弾は日立から数十キロ離れた水戸に落下した。
 さらに,100機を超えるアメリカ軍B29戦略爆撃機による800発以上の1t爆弾投下。


水戸の空襲では主に焼夷弾による焼き払いが行われたが事前にアメリカ軍が空襲予告ビラを撒いていたため事前に避難をする事ができ死者は250人くらいであったが、日立は2回の空襲があり6月10日の死者1200人、7月15日の空襲では1500人の人々の命が失われた。


日立にある多数に点在する無縁仏はこの日立空襲が起因しているのかもしれない。