犠牲(サクリファイス)
しばらく前に毎日お邪魔させて頂いているブロ友さん”きららさん”のブログ記事で、
以前から読みたいと思っていた柳田邦男著「犠牲(サクリファイス)」我が息子・脳死の11日が取り上げられていました。
記事はこちらです⇒☆
早速図書館で借りてきて一気に読みました。
「がん回廊の朝」を読んで、ノンフィクション作家柳田邦男に興味を持っていた私は、
この本が出た時はただ脳死を人の死とする事について考えたいと漠然と思っていたのです。
そのまま忘れ去っていた本を今回読んでみて、10年前に著者と同じような体験をした今、
このタイミングで読んだことで一層著者の考えに共感を覚えました。
10年前、両親が母の故郷に墓参するのに付き添い、新神戸駅に到着した途端、
母が駅のトイレでクモ膜下出血の為倒れ、そのまま意識を回復することなく12日後に亡くなりました。
心肺停止状態だった母は、救命救急センターに搬送され心拍は戻りましたが自発呼吸は戻りませんでした。
「犠牲」を読み進んでいくにつれ、母の其の当時の経過がありありと蘇ってきました。
母の場合持病を持っていたため、臓器移植の為の脳死判定の対象にもなりませんでしたが、
多分植物状態であったかと思います。
倒れて数日後に表れると言われた筋肉の拘縮も無く、綺麗な顔で眠っているような状態だったので、
いつか奇跡が起きて目を開けるかも知れないと、片時も離れずに見守ることにしました。
東京から駆けつけた妹と直ぐ近くのホテルの部屋をとり、
交代でアルツハイマーの父を介護しながら24時間付き添っていました。
人間殆ど睡眠をとらなくても生きていけるものだなと思った程過酷な12日間でした。
11日目に、私達が共倒れになるのを心配した主治医が、「呼吸器を外す事は出来ませんが、昇圧剤を減らす事は出来ます。」と、暗に安楽死の提案をしてきました。
「相談しておきます。」と答えながらも敢えて心停止を早めるのに手を貸す事の重大さを考え、
結論を躊躇しているうちに、翌日母の血圧が急激に低下して自然に心停止しました。
全てが終わって私達が出した結論は、
「あの12日間は神様が私達に母とゆっくりお別れをする為に与えて下さった12日間だった。」です。
母の傍で身体を摩りながら、幼いころに歌ってもらった歌を口ずさんだり、色々な想い出話をしたり。
沢山沢山語りかけたこの作業を”グり―フワーク”と言うのでしょうか?
私達は穏やかに母の死を受け入れることが出来ました。
私の場合はいずれは先に逝くと覚悟している母の場合ですらこうでしたから、
直前まで元気だった兄弟、配偶者や我が子の突然死に直面したらどんなにショックや悲しみが大きいことでしょう。
柳田邦男の次男の脳死の11日間を通しての、「脳死は人の死か」についての考察はとても興味深いものでした。
柳田邦男の強烈に私の心に残った言葉の抜粋です。
☆「物語る事」の重要性
このような突然死のときこそ、「時間」が極めて重要になってくるのだ。
ガンのターミナルケアの場合は、何日、何ヶ月というゆるやかな「時間」の経過のなかで、
家族はそれぞれに物語をつくり、現実を受け入れていく。
「彼はこういう運命を背負って生きてきたんだ」といった物語を。
しかし、救急医療においては、ニ、三日、あるいは数時間という短い時間のなかで、
納得のできる物語をつくらなければならない。
物語をつくるのは不可能にしても、せめて心をその方向に向かうように落ち着かせなければならない。
☆急がされる死
臓器移植の必要がなければ、「脳死は人の死」などと無理に決める必要はないはずだ。
☆”迷い派”の問いかけるもの
「脳死は人の死」という考え方に踏み切れない。日本人特有の何かがあるのだ。
それは、日本人の死生観であり、遺体観であり、非個人主義的家族愛であると、私は思う。
アメリカではほぼ日常的に行われている臓器移植が日本ではまだ頻繁には行われない理由も簡単なものではないようです。