ayuとの出会いを教えてくれと質問が多いので。


あくまでも僕の視点から見た話で、あゆのそれとは違うかもしれない。


あれは僕が31歳のころだから15年近く前のことになる。

ヴェルファーレで働く人間の紹介でayuと会う。

「今、ドラマ(未成年)に出てる」とか「今度、歌も出す」

とか、たわいもない話をした中、

まだ当時、たいしたことのないはずの自分は偉そうに、

「歌はそんなに簡単に売れないよ」なんてayuに言っていた覚えがある。


それから、何故か、割と頻繁に会うようになる。

もちろん今のayuなんて予想だにしていない。

カラオケで歌を歌わせて、

KEYをどんどん上げていってどこまで声が出るかなだとか、

どんな声質だとか、歌がうまい下手などと

勝手なことを言っていた気がする。


どちらからともなく、連絡を取り

たまに会っていたけど、仕事の話とかはあまりした覚えがない。


ただ、「お母さんと事務所に行って辞めてきた」

という話を聞いたのは鮮明に覚えている。

歌手になりたいという話は聞いたことはあったけど

あまり本気に取り上げてはいなかった。

だけど、事務所を辞めてきたとなると

「どうするの?」という疑問は普通に出てくる。


その時から、二人三脚は始まった。


そうなればこちらも本気になる。

僕はayuをデビューさせるための作戦を

日々、考えるようになる。

一方、小室さんとの関係はますます悪化していった。


当時の僕の最大のミッションは、小室さん無しでavexを自立させること。

そのため、僕自身でアーティストをプロデュースする必要があった。

ちょうどELTをデビューさせることが決まり、それに没頭していたころだ。

1996年の8月にデビューしたELT。

華々しく売れていくELTの裏で、

僕は次のアーティストのデビューへ向けて全力で動いていた。

それがayuだ。


一方、ELTは96年の8月にデビューし翌1月には3作目の「Dear My Friend」が大ヒット。

ファーストアルバムも200万を超えて夏には「For The Moment」「出逢ったころ頃のように」

などシングルヒットを連発。続いて、「Time goes by」などシングルヒットも続き

ayuがデビューする98年4月にはセカンドアルバムを発売。

450万超えを達成。要した時間はデビューから一年半であった。

こうして、小室氏が抜けていく穴を急速に埋めるのが自分の役目だった。



そしてELTが450万枚を記録することになるセカンドアルバムの発売日からちょうど一週前の

1998年4月8日にayuはデビューする。


デビューするまでには1年ちょっとかかった。

ニューヨークへもレッスンに行かせたし、

失敗は許されないと思い、

どういう形態でデビューさせようかとも相当悩んだ。

だけど、僕の考えや心配は彼女が「私は絶対ソロで行きたい」の一言で一蹴。

ソロの難しさを知っている僕はかなり悩んだけど、あえて難しい道を選択。


同時期にデビュー前の売り込みに走りまわるが、評価は散々。

テレビ局の友達からも「売れないからやめとけ」といわれ、

業界の先輩方達からも「スポンサー受けする顔じゃない」とか言われ、

その悔しさをバネにするしかなかった自分がいた。


ならば、世の中の人の好みまで変えてしまえと当時は思ったものだ。


一方、スタジオでは星野靖彦 @magic_bus_ を中心に楽曲制作は進んでいた。

デビュー曲を「poker face」に決めて、デビュー時には10曲以上のデモと

シングルとして4枚目まではすでに決まっていた。


「poker face」はカウントダウンTVのテーマソングで4月8日にデビュー。

それから、2ヶ月に1枚のペースでシングルをリリース。

3枚目の「TRUST」でベスト10入り。方向性がなんとなく見えて、

4枚目は洋介の協力のもと、森永製菓のCMに出演。

5枚目の「Depend on you」でまたもやベスト10入りし、

99年1月1日発売のファーストアルバム「A Song for ××」

で堂々のオリコン一位。そしてミリオンアーティストの仲間入りを果たす。

同年7月「BOYS & GIRLS」でシングルでミリオン突破。

その後の活躍は皆の知っての通りです。


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