最近、ワイドショーとかで亡くなった人のニュースを見るたびに、


「死んだら、みんな良い人になれるのかなぁ」なんて皮肉なことを思ったりする。


自分も死んだらいい人って言われるのかなとか・・・



自分は昔から自分が死んだら何人の人が喜ぶんだろう・・


なんていう考えの世界で生きてきた。


誰が悲しんでくれるのだろうとはほとんど考えたことがない。


20歳そこそこで自分で商売を始めたら自然にそうなってしまうものなのか・・


人を信じるまでものすごい時間を必要とした20代。


信じた人を徹底的に信じて騙された30代。


虚無の中から始まった40代。


でもまだ40代なんだと、今思う。


だけど、あした死ぬかもしれない。


そんなことは誰にもわからない。


だからなるべく後悔しないようにと思いながらも、


相変わらず変わらない自分に嫌気をさしたりもする。


言いたいことをすべて言えたらどんなに楽だろう。


何かの決まりで言ってはいけない事ばかりの社会の中で


ギリギリのことを言っているつもりだけど


なかなかみんなには届かない。


でも、それも自分の力のなさと甘えと捕らえ反省しよう。


いつまで続くかわからないいまの現状の中で、できるだけギリギリでいよう。


そんな風に思った昨年だった。

avex 仕事は仕事で遊びは遊び

今までにないまったく新しい発想をすると、なかなか理解されない。


今までにないものだから口で説明しても、


満足できるように説明してあげることはなかなかできない。


そんなことを僕は何度もやってきた。


今でさえ当たり前の他社レーベルとのコラボレーションも


10年前では全く相手のレコード会社に理解してもらえなかった。


Produced by OOOOOOOという今では当たり前どころか古ささえ感じてしまう


プロデューサーシステムも15年前エイベックスが


最初にやった時は他メーカーの人をプロデューサーに


使うなんてありえないと頭から否定された。


そんなことはたくさんあったけど、一歩ずつ階段を、一歩ずつ登り、


そのたび新しいことに挑戦してきた。


10年前ayuのシングルにリミックスを10曲も入れた。


邪魔だといわれた。聞かないからいらないといわれた。


でもたくさんのアレンジャーとリミキサーが育ち、


皆リミックスというものの存在を知ってくれた。


ayuの最初のツアーはアンコールまで一言もしゃべらない構成にした。


ファンからは冷たいとかつまらないとか温かみがないとか散々言われた。


でも今でもayuはアンコールまではしゃべらないし、それがayuのスタンダードと化した。


新しい事を理解してもらうことは本当に大変だ。


もちろん失敗もたくさんあった。


どうなるかいつも恐かった。


僕が作ったエイベックスは21年目を迎えるけど、


最初、創業した時はレコード会社経験者も芸能プロ経験者も一人もいなくて


右も左もわからなかった。


だから、右にも左にも行って、迷って、失敗して、回り道をしてここまできた。


先のことはわからないことばかりだから不安だけど、


だからといって何もしなければ何も始まらない。


そんな精神で20年間やってきた僕にこのエンターテインメント業界では栄誉ある


「渡辺晋賞」を頂き、表彰された。


こんな素晴らしく名誉ある賞を僕がいただけるなんていまだに信じられない。


これからどうやって生きていけばいいんだろう。


http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090303-OHT1T00037.htm