夏期講習7回終わりました。

ぜーんぜん時間がありません!


夏期講習前に宿泊学習で2回休んだので、その回を自学、これが地味に時間がとられました。

並行して夏期講習も受けているので復習するのですが、まだ受験生ではないので、お祭りに行ったり、夏期講習の連続の休みに旅行したり、本人の希望でこの時期にスポーツを始めたのでその練習をいれているので、まあ時間はないよねガーン


今までテストの結果が出たら、点数だけで一喜一憂しているという親のサポートのなさ。

反省してとりあえず5年の全てのテストを確認したら、苦手なところが判明。

社会なんて全部ですよおいで

まあこんなに勉強してないのに短期記憶でこれだけとれたって点数が低いのに感心したくらい。


苦手単元の復習を夏休みに考えていたけど、時間が足りなすぎて。

土日は父の法事もあるし、お盆休みも実家に行くけど、早々に帰宅して勉強頑張ろうガーンアセアセ


 

震災遺構から移動し仙台駅へ。

お昼も食べていなかったことに気付き、夕方にさっと食べました。

 

花火大会もあるらしく仙台駅が華やかで、そんなにぎわいがなんだか夢みたいに感じました。

 

この日は大学院に通っている甥っ子と会う約束をしていました。

息子と甥っ子はかなり歳が離れていますが、会うとやさしくゲームの相手もしてくれているようです。

でも両親(私と夫)がいる前だと息子はいつもと違っているようで、よそよそしい。

息子が緊張しているのが甥っ子も面白かったようです。

 

息子はなぜか仙台でポケモンカードが欲しくなったようで(何かの発売日だったかも?)、普段はいかないポケモンセンターに2日通いポケモンカードを購入していました(夫がねだられたようです)

旅行先でポケモンセンターなんて、自分で例えると旅行先で東京にもある洋服屋さんを見るような感じ?

子どもがいなかったらそういう旅行の仕方はしなかったなあ、、と不思議な思いをしました。

 

3日目(七夕)

やっと仙台城です

(思い出して書いているので金沢とやや混同していますが)

七夕のため仙台駅から道路も混雑、バスも乗れなかったので、地下鉄の最寄り駅から徒歩20分のルートを選ばざるを得ませんでした。とにかく暑い。

 

駅近くのきれいな建物(仙臺緑彩館)に涼みに入ると、山車?があったり宮城の名産品について紹介したビデオを流していたりしました。

 

 

無料の伊達政宗のミュージカルショーもあったのでついでに見ました。

 

売店もあって、ラルフに似た伊達政宗のマークのトートバックがあったり(ちょっとおしゃれで買おうかどうか悩んだ)、ふらっと入った割には仙台を知れてなかなか良かったです。

 

さて、そこから徒歩20分っていっても、私、、、肉離れしてます。

そして山の上なので上り坂なんですよ。

地下鉄の駅っつったって、タクシーなんかありゃしません。すぐ山なんですから。

ひたすら暑い中、足を引きずって 歩く、歩く、歩く、、、、

 

頂上についたら、とりあえず有名な伊達政宗公の像と息子の写真を撮りまくりました。

 

謎解きもあったので、夫と息子は挑戦したのですが、私は足の調子もあり休憩。

すると、フードコートにコスプレの伊達政宗(地元の一般客)が現れたりして、仙台の人々はみーんな伊達政宗が好きなんですね~。

 

帰りはお城に観光にくるタクシーをひたすら待って街中に戻りました。

城から出るとすぐ東北大学。お城も大学敷地内なのかも。タクシーで山を降りても降りてもずっと大学。運転手さんが「ここは○○学部〜」と説明してくれましたがとってもとっても広い!

さすが国立大学、広大なキャンパスです。

北大も広そうで憧れる(動物のお医者さん)

こんな広い余裕のある大学に通いたかったな。

 

七夕の飾りが見られるところをタクシーの運転手さんに聞いて降ろしてもらい

手の込んだ、大きい飾りを歩いて見ました。

駅周辺は便利だし、自然はたくさんあるし、文化、お祭り、何せ伊達政宗がいて皆がそのことに誇りを持っている地ということで、地元の団結力を感じました。東京にいる私には羨ましい雰囲気でした。

仙台、とても良いところでした。

さて2日目。

仙台駅から地下鉄で荒井駅下車、そこからバスに乗り換え荒浜小学校前。

仙台駅からおよそ40分〜50分ほどで震災遺構の荒浜小学校につきます。

 

荒井駅

七夕なので飾られていました。

駅にも震災の被害を伝える「3.11メモリアル交流館」もありました。

 

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2階まで津波が達した校舎がそのまま残されており、流れ込んだ大量のがれきなどは写真がパネルとして残されておりました。

2階のベランダ壁と鉄柵は津波によって倒壊しがれきが校舎内に押し寄せてきたようです。3階の外壁にもがれきがぶつかったあとが残っています。

 

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現在はがれきは片づけられていますが1階の被害状況

 

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校舎内は当時の消防からの映像・写真や証言のVTRが流されており、屋上で避難をしていたら目の前を家が流されていったこと、雪がちらつく中、屋上からヘリで救助されたことなど本当に大変な状況だったということがわかります。

 

地図やかつての人が住んでいた荒浜地域のジオラマもありました。

そこから屋上にあがり外を見ると、今学校周辺の広い地域は何もないのです。そしてその奥に海。

津波で流されてしまったことがわかり言葉を失いました。

 

息子もいろいろ感じたようで、メッセージを書いていました。