サルサ始めた5年前を振り返る。 | 神社、お寺、城跡が好きなサルサDJのブログ

サルサ始めた5年前を振り返る。

そういえば、今年の5月で、自分がサルサ始めて5周年でした。
5周年とはちょっとした節目っぽいので、ふと自分がサルサ始めた5年前(2009年)を振り返ってみようと思いました。

自分がサルサ始めたきっかけは、週刊誌のSPA!で「サラリーマンに今流行ってる婚活兼趣味」みたいな記事にサルサのことも載ってて、それを読んで興味を持ったのでありました。
婚活も何も、当時結婚してましたが(笑)
決して不倫相手を見つけたいと思ったわけではなく(笑)、趣味を通じた友達関係とか作れたらいいなという程度の思いでした。
20代後半~30代前半は本当に仕事が忙しく、日本全国への出張も多く、休みの日は疲れ果てて、ただ休んでました。
30代中盤になってようやく、休みの日に何かする的な余裕を得て、サルサに興味持った頃は、神社やお寺をカメラ持って巡ってました。今も巡ってますが(・∀・)

そして、2009年のゴールデンウィークに、みなとみらいの横浜開港祭でフラコ先生のYOKOHAMA SALSAチームのパフォーマンスを見て、サルサがどういう踊りか、なんとなく理解しました。
で、いざ、サルサを習ってみようと思いインターネットで色々調べて、サルサのメッカは六本木であることを知りましたが、六本木に少し敷居の高を感じて、当時の自宅は横浜(東横線の日吉)だったので、横浜でサルサ習える場所を探しました。
最初にインターネットで黄金町のOASIS LATINOを見つけたのですが、「なぜ黄金町!?」と思い(当時、黄金町といえば、僕にはちょんの間の街というイメージしかなかった)、その後に見つけた元町のZEROに、場所柄オシャレなイメージを抱いて、最初のサルサレッスンを受けに行きました。



僕が初めてサルサのレッスンを受けたフラコ先生と(2011年4月)。

(今は完全に廃れてますが)mixiが当時人気で、mixiのサルサ掲示板で「初心者につき、一緒にサルサ行ってくれる人募集!」と書き込みしてた人と一緒に初・ZEROへ行きました。
男一人で行くのが(まだ気恥かしさもあり)不安だったので、見ず知らずの女性と石川町駅で待ち合わせて一緒に行ったわけですが、少し年下のショートカットのかわいらしいOLさんで、その後も何回か横浜、横須賀、逗子のサルサ場で会いましたが、全く見かけなくなってしまったので、残念ながらサルサはおやめになったようです
(つд⊂)

ダンスを習おうとするのは圧倒的に女性の方が多いと思っていたのですが、サルサは実際、男性が多いです。
女性と仲良くなれるからという邪な考えで始める男性が多いから!?(僕を含む)

おそらく、サルサを習おうと思う人、習ったことある人はやはり女性の方が多いのだと思います。
ただし、女性はやめてしまう人も多いようです。
一方、男性は一度サルサを習ったら、ほとんどの人がやめない。
その件に関しての検証を書こうと思ったのですが、かなり長くなってしまいそうなので今回はやめときます(・∀・)

もちろん5年前の当時も、L.A. on1、N.Y. on2、Cubanとサルサのダンス・スタイルが分かれてて、そういう風にサルサの中で踊りの流派が分かれてることは、習い始めてから知りましたが、5年後の今に至るまで僕はon1一本です。
on2も習って踊れるようになったら楽しいだろうなと常々思いますが、コツコツ練習をがんばるのが面倒くさいダメ男性分のため。。。(^_^;)

(フラコ先生がZEROでレッスンしていた)水曜日と金曜日は、都内で仕事上がってからレッスンに駆けつけるにはちょっと遠かったので、会社が休みの土曜日に横浜でレッスンしている場所を探して、関内の3355(旧路面店)を見つけて、そこでANDRES & KOZUEレッスンに通うことにしました。
ANDRES先生の技は実際、難しかったのですが、KOZUE先生の美貌と人柄に惹かれたのが大きかったです(*´∀`)

思えば、僕が横浜でサルサ始めた5年前から、横浜および横須賀、湘南のサルサ事情はかなり激変してまして、
まず、僕が初めてサルサ習って踊った元町のZEROは2011年8月末に閉店しました。
DJとしても、フラコ先生のご厚意で一度呼んでいただいた思い出のお店でした。
同じく元町のWhy Not?というバーで毎週、月曜サルサがおこなわれていましたが、2009年末で終わり、僕も一度行っておけばよかったと思いました。
関内の3355は2010年8月末に旧路面店が閉店して、同年11月に現在地(横浜市中区尾上町2-18-1 YSビルB1)に移転しました。
黄金町のOASIS LATINOとNight FIREは特に変わらずですが、黄金町から歩いて行ける日ノ出町にある系列店?のDeja-Vuでも一時期サルサレッスンやイベントがおこなわれてました。
しかも、JAPAN BACHATA FESTIVALの記念すべき第一回(2010年5月)は(紆余曲折あって)Deja-Vuでおこなわれました。
横須賀米軍基地の、Aクラという愛称で呼ばれたCLUB ALLIANCEのラテンナイト(
毎週木曜日)は、日本人客のトラブルがあったようで、日本人もANDRES先生のエスコートがあれば入れたサルサレッスンが中止になってしまい(2013年?)、日本人は米軍関係者のエスコートがない限り入れなくなってしまいました。
僕もAクラの雰囲気が大好きでよく通っただけに、すごく残念に思いました(ノД`)
そして、昨年夏にいきなりのお達しで、鎌倉由比ヶ浜、江ノ島海岸でのビーチクラブ営業禁止令により、夏の風物詩であったビーチサルサも中止!
腰越海岸のKULA RESORTで開催した僕らラテン革命チームはなんとか開催できましたが、今年はさらに厳しく、OASIS LATINOが
毎年、海の家を出す逗子でも今年は全面音楽禁止で、逗子海岸の夏季限定ライヴハウス・OTODAMAも昨年で撤退を余儀なくされたそうです。

・・・こうやって書き留めると、昔の方がよかったなぁ、楽しかったなぁと思ってしまうようなことが多いですね(苦笑)

ANDRES & KOZUE先生もついにご結婚され、来月・8月3日(日)のSALSA FIREを最後のイベントに、ANDRES先生の故郷・アルゼンチンへと、お二人とも
横浜を離れてしまいますし、とてもおめでたいですが、やはり寂しいものです(。-_-。)

DJとしても、ANDRES & KOZUEレッスンアフターや、Ms SALSAのDJタイムでおなじみだったDJ Kura2さんの選曲が大好きだった僕は、ダンス以上にラテン音楽の収集にのめり込んで、2010年からサルサイベントのDJをするようになったのですが、Kura2さんは2011年にDJ活動休止され、目標としていたKura2さんのDJがもう聴けないと思って悲しかったです(ノД`)

5年前と今のサルサ事情比較は次回、六本木編へと続きますφ( ̄ー ̄ )