KISSxxx PRICE MUSIC LIFE -10ページ目

(´ω`)


明日は病院

左脇腹の痛みは
何事もなかったかのように消え去ってる

本当に怖いなぁ結石

はたして結石は何処に移動してるのかな?

3月11日

2011年3月11日
14時46分

アタシの携帯がイヤな音を発した。
緊急地震アラーム

『みんな!地震がくるよ!!!!』ってもみんな
何言ってんの?ポカ~ン?って顔してる
そのうちに、他の人の携帯からも緊急アラームが鳴りガタガタ揺れ出した
外に逃げ
揺れは収まらず、
停電になり、今日は解散と言われた。
でもアタシは、
通勤路で海沿い国道を必ず通る、
仮に山道を通っても国道に出なきゃ家には辿り着けない。
今は危険なだけだと、
大津波警報解除になるまで会社の駐車場で車中泊と覚悟した。
でも同僚が、こんな時遠慮しないで
泊まりに来てと言ってくれたので、
泊めてもうことにした。
自宅は海岸から急な坂と緩い坂を登った高い所にあるから、大丈夫だと思ってた。
でもワンセグで見た津波映像がすごくて、
もしかしたら家まで津波来て…家無いかもって不安だった。
一番心配だったのは父。
漁師は、津波っていうと、船を沖に出したり、
船の許可証を取りに海岸に行く。
津波に船が流されないよう、船を沖に出す。
もし、父が海岸に行ってて船を出して津波にさらわれていたら………
1人になった母は………とか一晩中考えて眠れなかった。

国道45号は通行止め。

結局、13日午後にやっと自宅に戻った。
地元に近づくにつれ、見えてくる惨状。
アタシどこの国に来たのかな?って思うくらい瓦礫の山。
電柱に養殖棚がぶら下がってる。
郵便局の屋根に船が乗ってた。
焼けた車が至る所にたくさんあった。
町に建物がない。
焼けて真っ黒。
ホント無惨で涙が止まんなかった。
家着いて、両親は無事だった。
父は案の定、海岸に船の許可証を取りに行き、
戻る途中にある親戚の家で、
寝たきりのおばあちゃんを車に乗せるのを手伝い逃がして、
自分が逃げようと思った時にはもうヒザ下まで波がきたから、
近くにあったガードレールに必死にしがみついて、
そのガードレールがついている家の敷地が
たまたま道路より低い所だったため、
波が全部そこに流れ込んで
父は波にさらわれず流されずに生き延びたらしい。
その時一緒におばあちゃんを助けた父の兄貴は、父に逃げるぞ!!って言われたのに
どっちに向かって行ったのか未だに行方不明。

母の義弟は14日に遺体を確認、21日に火葬。

同級生も4人亡くなった。
知り合いも数えきれないくらい命を落とした。

あの日から1年

復興?
何が復興してるんだろう。
確かに、買い物も出来るようになった。
1ヶ月半止まった水も電気も普通に使ってる

でも町は?
瓦礫が無くなっただけ。街灯と信号が着いただけ。

町の復興はまだまだ遠い。

仮設にいる従姉妹達を
早く安心できる
家に住まわせてあげたい
日本中のみんなが
この震災を忘れないでいでいてほしい

風化が一番怖い

がんばっぺぇ東北
まげねぇがらな山田町

う~ん(x_x;)


痛いよぅ

たった5㍉の石に
ここまでやられるとは
おもってもみなかった


何が辛いって
痛みが過ぎていくのを
ただただ待ってなきゃならないってこと


座薬入れてもすぐ効くわけじゃないし

あー(T_T)痛い

ブログ書く余裕があるからまだマシな痛さだけど、痛い。


内側からの痛みには弱いのだよアタシ

ピアス開けたり注射とか切り傷刺し傷なんかは全然痛いとも思わないし
苦でもないんだけど

つか、この痛さは誰でもノックアウトされるわ

あー(T_T)痛い