初めまして

 

消防吏員歴13年、救急隊員歴8年の救急救命士です

 

現場に出ている皆さんはすごーく分かってもらえると思うのですが

 

とにかく救急車を呼ぶ方は心を病んでいる方が多い!

 

救急隊になり始めのころは

 

「こんなにも世の中病んでる人だらけなのか・・・」

「日本、大丈夫なのか?!」

 

と毎日が驚きの連続で、私の常識はいとも簡単に砕け散りました

 

自分の常識が通用しない世界ですから、当然相手の言っていること(要求)も当然理解できません

 

どこまでが市民サービスの領域なのか、どこからがモンスターと呼んでいいのか・・・

 

最初はさっぱり線引きができませんでした

 

駆け出しのころは20代前半ですから、人間的にも薄っぺら

 

救急救命士の肩書だけで仕事をしているような感じでした

 

でも、幸い1日10件以上出動する隊にいたので、現場経験は積むことがでしました

 

試行錯誤の中で、なんとなく

 

・タバコを吸いながら救急車を待つ家族への対応は慎重に行うこと

(不安や焦燥感を潜在的に感じている場合が多く、ちょっとした言動で突然怒り出す可能性がある)

 

・話過ぎる傷病者へは「いったん、お話を整理させていただいてよろしいですか?」と断った上で話を遮ること

(突然遮られると、「話を聞いてくれない」と思われてしまう場合があり、後々に違う形でクレームに繋がる場合がある)

 

というように

 

「こういう場合はこういう対応」

「こういう人には気をつけろ」

 

というのがおぼろげながら分かってきました

 

そんな時、私が『救急現場のセラピスト』になろうと思った

 

決定的な出来事がありました

 

 

救急隊になって5年目の4月

 

その日はとても晴れた春らしい陽気の日でした

 

あまり救急出動もなく消防署で待機中

 

受付にいた職員から

 

「お客様です」

 

と言われ呼ばれました

 

受付に行くと、全く見覚えのない40代前半の女性がいました

 

その女性が

 

「2か月前、救急搬送していただいた田中(仮名)と申します。

 

あの時、佐々木さん(私の旧姓・仮名)の言葉で立ち直ることができました。

 

本当にありがとうございました。」

 

とわざわざお礼を言いに来てくれたというのです!!

 

電話という便利なツールがある中で、なんと奇特な人だと思いました

 

しかも年度をまたいでいたので、私は異動で違う署に異動してました

 

(併せて結婚して苗字も変わっていました)

 

私は嬉しいながらも、心の中で

 

『まずい・・・全く思い出せない・・・』

 

と半分焦りながら、詮索するためにいろいろと質問しました

 

すると、ある瞬間、ハッと思い出したのです

 

『あ!!あの2月ころに自殺企図で搬送した方だ!!!』

 

本当にびっくりしました

 

だって、顔つきが全くあの時と違ったんです

 

『こんなにも人は心持ちだけで変わるものなのか・・・』

 

と思ったのと同時に嬉しさがこみ上げてきました

 

でも・・・

 

『あの時の言葉って言ってたけど、私、何言ったんだっけ・・・?』

 

自分がどんな活動したのか思い出せません。

 

あまり特別な事案ではなかったので、印象に薄かったのかもしれません

 

(出動が多かったり、時間が経過していると事案も忘れちゃいますよね(^^;))

 

さすがに

 

「私、何言いましたっけ?」

 

とも聞けず、その言葉は不明なまま、今に至りますが

 

彼女の気持ちを大きく揺さぶることに成功したのには明白でした

 

 

その時から、ずっと

 

『こういう活動をまぐれじゃなく実力で意図してやりたい。

 

そうすれば、頻回利用者の対応やクレームの減少、何よりも助けられる命が増えるんじゃないか』

 

と考えるようになりました

 

 

 

その先は苦難の道のりでした

 

4年かけて、やっと、その方法がわかりました

 

それが・・・

 

『救急現場のセラピスト』 をつくる!

 

日本にはまだまだ少ないこの概念を

 

目の前で困っている傷病者、

 

日々の出動に業務を圧迫されて疲弊する救急隊員に是非知ってほしい

 

そして、私の活動を通して、

 

あの女性のように見違えるほど活力のあふれる状態に変化してくれる人が増えたら、どんなに嬉しいか

 

ここから『救急現場のセラピスト』スタートします