まきしま選定!三国志最高の英雄TOP10!! | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

先日に引き続き、またしても三国志ネタで攻めたいと思う。

三国志と言えばご存知の通り、2世紀末から3世紀の中国にて、魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備その他数多の武将が入り乱れて天下の覇権を競った戦乱興亡物語である。

さて以前日記において、俺は独断と偏見で知に長けた武将、武に長けた武将それぞれのTOP10を挙げたが、自ずと湧き上がる次の疑問、「知も武もその他諸々も全て合わせた、三国志最高の英雄は一体誰なんだ?」

よって今日も私見で選定、「三国志最高の英雄TOP10!!」



第10位  姜維

蜀の武将。知も武も兼ね備えた孔明亡き後の蜀軍の大エースであったが、無謀な北伐(魏侵攻)を繰り返し、蜀の国力を著しく疲弊させたとの見方もある。

第9位  孫策

孫権の実兄にして先代君主。ほとんどゼロから兵を起こして江南を制圧、後の呉の土台を築く。26歳の若さで亡くなるが、もし彼が長生きしていれば天下の地図は大きく描き変わっていたかも知れない。

第8位  呂布

後漢末の武将。三国志最強の戦士であり、虎牢関の戦いでは劉備軍の勇将・関羽、張飛が2人でかかっても、また曹操と対峙した時には曹操軍の名だたる猛将6人でかかっても、まるで歯が立たないまさに恐るべき戦闘マシーンである。

第7位  趙雲

蜀の武将。智勇備えた名将であり、軍師・諸葛孔明が最も信頼した武将である。劉備の死後も孔明の右腕として数々の武功を挙げた。

第6位  孫権

呉の君主。兄の孫策死後は無謀な軍行は行わず守りを固めて内政に務め、その後何十年と続く一大国家・呉の礎を築いた。

第5位  劉備

蜀の君主。類まれなる人望を持つ人徳の名君。諸葛孔明、関羽、張飛、趙雲などそうそうたる智将・勇将が彼の為に命を惜しまなかった。また劉備が本拠地を失った際には、本来敵であるはずの豪族たちでさえ、彼を客将として喜んで迎え入れた。

第4位  周瑜

呉の武将。戦略、戦術に長けた呉軍の若き大黒柱である。赤壁の戦いでは3万の兵を以て連環の計を用い、曹軍20万を撃破した。また容姿端麗であり、兵からの信望も厚かった。

第3位  関羽

蜀の武将。劉備軍きっての猛将であり、義弟の張飛と共に「万人の敵」(兵1万に匹敵する武将)と呼ばれ恐れられた。またその圧倒的な武勇のみならず、義の人としても後世に伝えられ、今も尚広く尊敬を集めている。

第2位  諸葛孔明

蜀の武将。三国志の登場人物の中で最も広く愛され、日本でもお馴染みなのがこの諸葛孔明である。一般に「天才軍師」とのイメージが強いが、孔明が最もその才覚を発揮したのは軍事ではなく内政である。公平公正な信賞必罰を敷き、農産を促進し、度重なる軍行の最中でも全く国力を疲弊させずむしろ増強させた。

第1位  曹操

魏の君主。三国志最高の英雄は誰かと問うならば、やはり結論は曹操ということになるだろう。中国全土の3分の2を制圧し、もしも赤壁の戦いで孫呉軍に敗れなければ間違いなく天下を統一していた。また軍事のみならず内政においても超一流であり、さらに人材登用も極めて優れていた。



以上、俺が選んだ「三国志最高の英雄TOP10!!」であった。

もっともこの手のお題は、見る人見る人で答えが変わってくる。ぜひ皆さんも暇つぶしに、オリジナルのTOP10を作ってみるといい。これがなかなかに楽しい。

しかし前にも言ったが、知的好奇心は『三国志演義』までにとどめておくことを勧める。もしも正史『三国志』を開いたならば、皆さんが三国志に寄せている夢も幻想も粉々に打ち砕かれること必至だ。