「表現の自由」と表裏を成す「批判される自由」!? | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

言うまでもないが、日本では憲法によって国民の「表現の自由」が保証されている。だからこそ俺はこうしてブログに好き放題に書いていられる。しかしながら思うのだ。「表現の自由」があるならば、その結果として「批判される自由」も自ずと生じるのではないか。


先日俺は、ある日記を下書きしていた。内容はズバリ、北朝鮮の金正恩氏についてである。とは言っても難しい政治的問題に踏み込んだ訳ではない。ただユーモラスに氏に触れただけ、そして我ながらなかなかに面白おかしい文章が書けたと思う。


しかしふと思った。もし俺のユーモアが全ての人に伝わらなかったら。特にネット上で活動する右翼の人や左翼の人がその内容を見て、著しく不快に感じたら。恐らく一気呵成に俺に対する誹謗中傷、脅迫が突きつけられるだろう。いわゆる炎上、考えただけで恐ろしい。俺は結局、上述の日記をアップすることなく削除してしまった。


「表現の自由」と表裏を成す「批判される自由」。我々は自由が保証されているからと言って、ブログに何を書いても良いという訳ではない。やはり不特定多数の人たちに発信する以上、最低限の常識と良識は必要であろう。