以前俺は介護職に従事していた。その時職場の施設専属の理学療法士さんに言われたことがある。「まきしまさんの骨格や筋肉のつき方はボクシングやキックボクシングに極めて向いていますね。一度趣味で始められてみてはいかがですか」。
これまでも何度か書いた通り、10代20代の頃、俺はゲーセンのパンチングマシンが強かった。少なくとも周囲の友人たちの中では一番強かった。高校大学と腕相撲で俺に勝る友達は何人かいたが、パンチングマシンにおいては無双負けなしである。
しかし残念ながら、ゲーセンのパンチングマシンは俺にとって生涯スポーツにはならなかった。まきしま36歳。もしいまだにゲーセンに通い詰めてパンチングマシンに打ち込んでいたとしたら、それは”チョイ悪親父”ではない、”チョイ痛親父”だ。よってもう永らくゲーセンには行っていない。
そして常々思う。「例えばアマチュアボクシングであれば、マスターズ大会だってある。きっと俺にとって生涯スポーツになっていただろうな」。俺はボクシングに並々ならぬ興味と憧れを抱いていたのだ。
これまでの半生、ボクシングを趣味程度に始めるタイミングはいくらでもあった。例えば受験勉強から解放され、暇な時間を持て余していた大学時代だ。街中でボクシングジムを見かけると、5分も10分も立ちすくみずっと見惚れていた。
けれど俺はついぞジムの門を叩くことはなかった。超が付く小心者の俺には、誰かと殺意を剥き出ししにして殴り合うという行為が怖かったのだ。もちろん殴られるのも痛くて御免だが、それ以上に人を殴るという自分の内なる情動が恐ろしかった。
ちなみに俺は20代の頃一度だけ、居酒屋の外で暴走族とタイマンを張ったことがある。ボカボカ殴ってくる相手に対し、俺が見舞ったのは平手打ち1発と首投げだけだ。それでも俺は人に手を上げてしまったと、しばらく自分自身の暴力性に怯えたものだ。
また筋トレをして久々にゲーセンでパンチングマシンを打ってくるかな。”年甲斐もない””痛々しい”大いに結構。競技であれ喧嘩であれ人を殴っても何も心が痛まない、俺はそうはなれないし、なりたいとも思わないのだから。