例えば小さな女の子が、「大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる」と言い出すのと一緒だ。俺は幼い頃、大きくなったらマイケル・ジャクソンのような顔になりたかった。
多くの人にとってマイケル・ジャクソンと言えば、晩年の強烈な整形顔が印象的であろうが、80年代当時、整形で少し鼻を小高くしまだ肌に褐色を残したマイケル・ジャクソンは、間違いなくハンサムであった。
幼少の頃、俺が初めてマイケル・ジャクソンを観たのはディズニーランドのキャプテンEOであった。第一印象は、「なんて綺麗な女の人だろう」。そう、俺はマイケルが男だとは思わなかったのだ。
そしてあまりに美しいその”女性”は音楽が始まると、男性のように激しく歌い出し最高にクールなダンスをする。俺は圧倒され、ショーが終わってもしばらく動けなかった。
やがて中学生になると、俺は小遣いをやりくりしてマイケルのCDを買い集め、「マイケル・ジャクソンのような美しい男になるんだ」とかなりイタイ中二病を患っていく。
しかしその時期に並行して、俺の中で”常識”なるものが芽生え始める。「いくら何でも日本人でこの顔は浮き過ぎだろ」、「少なくとも日本でこの顔はモテないわ」、「そもそも論としてどんなに願っても顔は変わらねえよ」。
そんな後付けの知識が、俺の幼き日の純粋な憧れを徐々に風化させていった。
それから20年、気が付いたらマイケル顔でも日本人的イケメンでも何でもない、ただの一人のオッサンがここにいる。
せめてマイケルの晩年の若々しさだけでもぜひ見習いたいものだが、それには顔がどうこう以前の問題として、体重をあと5kg落とす必要がありそうだ。頑張ろう。