例えばインターネットで海外の人によって日本を紹介する記事が投稿されると、地域や先進国・後発国の如何を問わず世界中から日本を絶賛するコメントが寄せられる。それは日本の経済力、技術力、文化や国民性に対する称賛の声だ。
ところが、その世界から称賛されているはずの当の日本人の反応はというと、どこか冷ややかで斜に構えている。海外からの賛美を賛美として正面から受け止められず、まるで「はいはい、過大評価、過大評価。お世辞もほどほどにしといてね」と言わんばかりだ。
思うに戦後における日本人の国民気質は、どこか「卑屈さ」で塗り固められている。それは”東洋人”としての「卑屈さ」であり、”大戦敗戦国”としての「卑屈さ」、そして現在は”経済衰退国”としての「卑屈さ」である。今はまだ、海外の人たちはその「卑屈さ」をも「謙虚さ」として称えてくれているのかも知れない。
しかし「卑屈さ」と「謙虚さ」は真の意味で全くの別物である。海外の人たちが高く評価する日本人の美徳、それを「フェイクだ」と看破される前に、我々は胸を張って「卑屈さ」ではない本物の「謙虚さ」を心に据えるべきである。