「年長者を敬い立てる」、そんな日本の風習は儒教の教えから来ているのだろうか。そして俺はその慣習が嫌いではない。自分より年長の相手に対しては一も二もなく頭を下げるよう心掛けている。
ただしそれは、あくまで俺が相手より年少の場合に限る。自分が相手より年長であった場合、ただ年上というだけで、何の能力も魅力もないのに年少者に頭を下げさせる。そんな恥知らずな振る舞い、俺は心の底から御免被る。
どういう訳か俺の半生、“年下の先輩”と交流することが実に多かった。まず俺は大学受験で2浪している。従ってゼミの1コ上の先輩、それは歳でいうなら俺の1コ下になる。また以前務めていた職場、俺の直属の上司、同僚の先輩はともに俺の4歳年下であった。
年下の先輩を持つ、これはそれなりに気を使うものだ。こちらから率先して腰を屈めない限り、相手は俺のことを後輩として扱ってくれない。もしゼミの先輩や職場の上司に「年上の後輩は扱いづらい」、そう思われてしまおうものなら、ゼミに職場に俺の居場所はなかっただろう。
そして年下の先輩に腰を屈める、そして初めて見えてくることもある。ゼミの先輩が如何に後輩の面倒見が良いか。職場の上司や先輩が如何に仕事において有能か。これは俺が年長者という立場にあぐらをかいていたならば、決して気付き学ぶことはなかっただろう。
さて、俺のAmebaにおける古き友人にOさんがいる。彼とはかなり以前、Amebaの自然科学コミュにて日々議論や意見交換をした仲だ。恐らくOさんは現在大学の博士課程、俺よりも10歳程も年少ということになろう。
しかし俺は少なくともAmebaを退会するまでは、Oさんを敬い続けることだろう。こと自然科学分野においてOさんの見識は、俺など到底足下にも及ばず、コミュ時代、俺はOさんから数多くを学ばせてもらったからである。