アニプレックスからリリースされているスマートフォン向けアプリゲーム『Fate/Grand Order』のシナリオを映画化。
1273年のエルサレムを舞台に、人理保障機関カルデアと円卓の騎士の1人・ベディヴィエールがエルサレムを占拠した「獅子王」のいる聖都を目指す姿を前後編形式で描く。
アニメーション制作はIGポートグループが行い、前編はSIGNAL.MDが担当(後編はProduction.IGが担当)。
監督は末澤慧。脚本はTVシリーズとして放送された『絶対魔獣戦線バビロニア』も担当した小太刀右京。
・『Fate/Grand Order』(『FGO』)について
まず本作、メディアミックス作品ということもあって原作について触れておくべき部分は多いです。
2004年の『Fate/stay night』を基点として展開されている『Fateシリーズ』。
現在主に展開されているのは、2011年の『Fate/Zero』からアニプレックスが中心となって進めている『Fate.Project』。
この映画の原作となる『FGO』は、その一環として2015年にリリースされたゲームで、シリーズに登場する「サーヴァント」を育成してパーティを組み、ターン制バトルをプレイしながらシナリオを読み進めていく割とオーソドックスなRPGと言っていいでしょう。
現在海外も含めて大ヒット作となっている『FGO』ですが、その魅力の中でも大きいのがやはり原作者・奈須きのこさんが代表となって手掛けるシナリオ。
最初は元々ソーシャルゲームにどの程度シナリオが求められているのかという疑問もあったようで、キャラクターが多い割にシナリオの内容が淡泊だったり、チャプターごとに毎回戦闘が挟まって話の腰が折られてしまったり(この辺り、「話の途中だがワイバーンだ」と定型化されて後年イベント等のストーリーで自虐されてたりもします)と、そもそもシステム面に問題が多かったこともあってリリース当初は槍玉に上がることも多くありました。
しかしそういった評価を鑑みて改善できるのがソーシャルゲームのある意味良いところ。
2016年からはシナリオ面の制約を取り払う方針が推し進められ全体的にボリュームアップが図られ、そこからゲーム自体の人気も加速して5周年を迎えるに至っています。
ある意味その一番分かりやすい転換点となったのが今回の原作シナリオ、第一部第六章という位置付けになっている「神聖円卓領域キャメロット」。
チュートリアルの「特異点F冬木」以来の奈須きのこさん執筆のシナリオ・シリーズで度々触れられていた「円卓の騎士」が遂にメインとなったストーリー・「戦闘無しチャプター」の初実装とユーザー待望の要素が詰め込まれ一気に話題となりました。
同時にプレイヤーにとって味方でありながら謎めいた存在でもあった「カルデア」のメンバーの本格的な掘り下げが成されるのも本章の大きな要素で、ヒロインのマシュ・キリエライトのキャラクターとしての成長を軸にした各キャラクターの動きも魅力的。
近年流行りの2.5次元舞台として上演も行われたほか、定期的に行われるユーザーアンケートでもその人気を証明し、第七章「バビロニア」共々アニメ化のプロジェクトが発表されたという経緯を持っています。
さて、そんな形で作られた本作。
映画としての評価を簡単に表すなら……
「ドラマになってない」
という感じでした。なんだか煮え切らない言葉遣いになってしまいましたね。
・一応決めるところはしっかり決める
まず本作、良かった点としては「キャラクターの見せ場」と言える場面はそれなりに考えて作られていた点です。
元々前後編という発表があった時点で、原作をやっている人であれば恐らく前編としての切りどころは「ここ」だろうという大方の予想はつくわけですが、そこに至るまでにも色々と描いておくべきことはある。
その中でキャラクターが魅力的に映るように配慮はされているという意味で、楽しめる部分は十分にある作品だと思います。
例えばゲームを経て良かったと確実に言えるのが、ベディヴィエールが使用する宝具「剣を摂れ、銀色の腕(スイッチオン・アガートラム)」がしっかり活躍するところ。
ゲームでは円卓の騎士・ガウェインの前に颯爽と現れ、味方キャラとしてパーティーに参加させられるようになっていたベディヴィエールですが、はっきり言ってシナリオ上のやり取りとは真逆に戦闘では全く役に立たず残念な参戦模様となっていました。
しかし今回はそのガウェインをもワンパン。ネタバレになるので伏せておきますが、その正体に相応しい活躍を見せつけてくれています。
この宝具を敵に当てるための終盤の攻防も個人的には良かったと思います。
基本的にはサーヴァントを従えるための存在で、ただの人間であるマスター・藤丸立香が自ら戦闘に参加する一場面でもあり、単なるごり押しになり過ぎず「ここでこいつがこう動いたから勝てた」というロジックがある程度組み立てられていてクライマックスとしての盛り上がりを演出してくれています。
あと良かったのはやっぱり今回のキーパーソンと言える「アーラシュ」の描写。
飄々とした兄貴分キャラでありながら終始有能で、嫌味の無いキャラクター。ラストの大活躍は明らかに作画も他のシーンと比べて気合いが入っており、ある意味「ここさえちゃんと押さえておけばある程度ヨシ!」というポイントをちゃんと押さえておいたのはまあ良いと思います。
砂漠に文明都市を築いた「オジマンディアス」の描写も短い出番ながら良かった。「横暴だけどなんやかんやいい人」ぐらいのバランスのキャラは逆に出しゃばらせない方が良いですね。
・あまりにも中途半端な脚色と省略
楽しいところも十分にあった本作。
しかしながら言えるのは、この作品は1本の映画としてあまりにも中途半端すぎる出来になってしまっているということです。
まず劇場長編としては比較的短い90分の作品の割に話の進みが異様なほど鈍重。
ひたすら砂漠や山を移動し、辿り着いた先で状況の整理といった場面が前半の殆どを占めており、冒険譚と言うよりはひたすら怠いロードムービーを見せられているような弛緩しきったテンポ感で物語が展開されていきます。
特にどうにかしてほしかったのが移動や野宿の下りの無駄に丁寧で長い描写。あんまり間を切りすぎても旅をしている感じがしないという意見も分かるのですが、単に町から町へ、村から村へと移動するだけの場面でいちいち壮大な音楽が流れたり色んなカットがモンタージュ的に流れていくのが何度も繰り返されるため、「そんなことやってる尺あるのこの作品……?」と何度も時計を見ようかと思わされました。
もう1つ大きな問題が、話の視点の置き所が迷子になっていること。
原作ゲームのシナリオは殆どが主人公の目線で語られているという特徴があり、カルデア一行として特異点に乗り込み、場所ごとに異なる特徴をその目線を通すことで理解し現地の敵や協力者と相対していくという、一種のフォーマットが存在しています。
そしてこのキャメロットの「原作の」面白い点は、味方であるカルデア、特にヒロインであるマシュ・キリエライトにクローズアップした物語が、特異点のドラマと対応する形で展開されていくことで、舞台装置的ですらあった味方側のキャラクターにも魅力が加算されていくところにあったと僕は記憶しています。
しかし本作、アニメ化にあたって特異点側の登場人物であるベディヴィエールの内面を描く場面が原作より増量されており、描かれる出来事も全て特異点内に絞られているという点でかなり彼の目線に寄った再構成が行われています。
これはベディヴィエールが実質主人公と言っていい活躍をするという点で妥当な判断ではあるのですが……、その割にベディヴィエールがカルデアの行動に何を思っているのかというのを印象的に際立てるような描写が妙に少ないため、正直言ってこの作品で彼に感情移入するというのがかなり難しい。
原因として考えられるのは、大筋はベディヴィエール目線でありながらも、場面の描写自体はかなりカルデア目線で描いてしまっているという「目線の混濁」が作り手側にかなりあるからだと思われます。
しかし問題なのは、カルデア側の事情も驚くほど映画内で説明してくれないこと。これまで特異点を戦い抜いたであるとか、今回ダヴィンチちゃんは特別に出撃してきているとか、マシュの出生といったことは本作では殆どオミットされており、彼らの目線もちょっとよく分からないので、結果的に「この話をどう見ればいいのか」という観客側の目線がロクに定まらないまま話が進んでいくことになります。
特にこれで割を食っているのが、本作では序盤で退場する「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(通称「ダヴィンチちゃん」)。
車が出来上がるまでの道中をカットした代わりに、いきなり横転して分離合体の機構を思いつくという如何にも取ってつけたような「伏線」描写がされた後、あんまり印象的な場面も無いままランスロットに特攻をかます「名場面」の再現まで流れ込んでしまうという原作の100分の1も燃えない処理の仕方をされていて、「これはいくらなんでも無いだろう……」という気持ちにさせられました。
仮にベディヴィエール目線とするなら、彼らのやり取りを見て「ベディヴィエールはどういう気持ちになったか」を何らかの形で表現してくれれば良かったのですが、そういった方向にもあんまり活かされない。
特攻する「場面」自体の出来はそこまで貶すべきものでもありませんが、明らかに「劇」として行われるべき描写や演出を欠いているという致命的な弱点を晒す結果になっています。
それに付随して浮かび上がってくるのが、場面どころか原作に登場していたキャラクターすらカットされている問題。
原作では本作の登場人物に加え、「百貌のハサン」と「俵藤太」という2人のサーヴァントが登場していたキャメロットのシナリオ。
百貌のハサンは元のシナリオからして正直いなくてもあまり影響がないので、カットされても仕方ないかなと思うところはあります。
ただ問題なのが俵藤太。
戦闘面ではあまり目立たないキャラクターではありますが、その代わりキャメロットに入れない難民たちに食料を与えるという明確な活躍のしどころがあり、これが原作だと戦いに迷いのあるマシュのあり方を決める重要なポイントにもなっています。
本作でも食料問題というのはちゃんと取り上げられているのですが……、藤太がいないため呪腕のハサンが治める村に着いた時点で特に劇的なことも起きず割とあっさり解決、散々引っ張った割に面白味も無いままフェードアウトし、キャラクターの掘り下げにも大して繋がらないと、とにかく「ドラマ」というものが生まれない。
他にもギャグシーン、あるいはギャグに見える諸々のシーンを片っ端からカットしているという部分もあり、ひたすら話のスケールの割に淡々としたあまり盛り上がらない場面が羅列され続けるというエンターテインメントとしてそれはどうなの?と言いたくなるような構成になってしまっています。
脚本の粗はかなり目立ちますが、アニメーションとしての作画も可もなく不可もなしといった感じ。バトルシーンの動きは明らかに少なく、新興のアニメ会社だからかあまり予算も技術も無かったのかな……と思わされました。
町を歩く難民たちの描写が明らかに3DCG特有ののっそりした歩き方なのは凄く気になりました。省エネ的な手法とはいえクローズ・ショットでもCGと丸わかりなのは流石にちょっと気持ちが悪かったです(そういう演出なのかもしれませんが)。
元々色んな要素を含んでいる物語ということもあり、万民が納得する脚色は難しいという面のある「キャメロット」ですが、この劇場版は原作ファンが見ても単体の作品として見に来た映画ファンが見てもそれぞれに変なところが出てくる類の作品になっていないかと思いました。
クライマックスは一応盛り上がるので全部がダメとは言いませんし、まだProductionI.Gが手掛ける後編も控えているということで全体評価はまだ控えるべきかとも思われますが、1本の映画としては残念と言うべきかあまりおすすめできない類の作品です。
ただ、アーラシュが好きという人はかなり楽しめると思うので、とりあえず一回見てみて

