海軍落下傘部隊手記「クーパン飛行場 」中山信夫著 | ランゴワンの地図

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 2009年の8月、家の仏壇の引き出しから一枚の古地図を発見しました。地図の中央付近には、「ランゴワン」という地名が記してありネットで検索してみると、1942年1月11日、旧日本軍が初めて落下傘による降下作戦を行った、インドネシアの村の名前でした。

 

 

クーパン飛行場〈海軍落下傘部隊手記〉
中山信夫(著) 高橋亮(装幀・挿畫)

=目次=
出発        左高地      白兵戦
落下傘に祈る    俘虜訊問     上坂隊
落下傘部隊編成   全隊展開     敵か味方か
最後の夜      逆襲       戦友の涙
大いなる朝     黄昏       強行軍
敵地へ       白襷隊      敵軍降状
天降る神兵     密林突破     樹上
進撃        三人の連絡兵
敵戦車来る襲    第二次降下部隊

海洋文化社/昭和18年5月20日/185mmX127mm/297P
経年のヤケ・シミ多い・ヨゴレ。※文鎮は商品ではありません。

 

 

 ※上記の画像と文章は、下記HPより転載しました。

 

 

 
 

 

靖國偕行文庫室図書検索 (yasukuni.jp)

 

 

 約5年前に購入(3800円)してやっと読みました。今まで読まなかった理由は、単に叔父の参加した作戦が「ランゴワン飛行場」だったからです。読もうと思った理由は、そろそろ終活の一貫として慰霊にも一区切り付けたいなと思うようになったからでした。

 

 読み始めると、かなり詳細な戦闘の記述が各所に有るので、著者の中山信夫さんの階級・詳細部隊・出身地が気になり調べましたが、クーパン飛行場降下員名簿には有りませんでした。

 その事は、海軍落下傘会の書籍(落下傘奇襲部隊)にも触れられており、元横三特(横須賀鎮守府第三特別陸戦隊)の柳下金之(クーパン降下時三水)さんは著者について「同書には肩書、略歴等の記載がなくペンネームかもしれず、作者の実名等は不明のままである。同書の装丁、挿画は海軍報道班員、高橋亮で、海軍省関係写真の複写は海軍省許可済第三八四号となっている。作中の登場人物については、例えば『金田一水、仮名、以下同じ』となっており、出発より降下、戦闘、敵軍降伏までの経過は、体験者でなければ分からない部分もあり、或いは降下体験者複数よりの聞き取りを取りまとめて創作編集したものかもしれない。いずれにしても昭和十八年五月と言う早い時期に発行された著書である」と書いてあります。

 

 昭和十八年五月と言いますと、4月に山本五十六連合艦隊司令長官が戦死され、5月に学徒戦時動員体制の発表(学徒出陣)の時期と合致します。

 先述の柳下さんは触れられていませんが、海軍報道班が戦意高揚のため発行したのではないでしょうかね。

 

 

 

 それでは、外飲みに行って来ます。