家柄なんて関係ない。だって、彼のこと愛しているし、信じてるもん。

長男だけどフツーの家庭って聞いてるし、きっと大丈夫。

家が小金持ちでお母さんがお花の先生らしいけど、きっと彼なら大丈夫。私を守ってくれる。


ふむふむ。

みんな、うまくいってほしい。なんとか、不幸な道には進まないでほしい。

そう思いながら、話を聞く。


しかし、危険信号がピカピカしている。

なぜかって?

どんな善良な男でも、基本は母親に絶対服従だから。(随分、乱暴な言い方だけど、これは真理に近いと私は思っている)

よっぽど母親が間違っていることを言えば、彼も反論するだろうけど、愛する彼女に母親が多少無礼なことを言ったとしても、その場で母親に注意をする男が、いったいどれぐらいいるだろう?

そのことを彼女達はわかって覚悟しているのだろうか。結婚というものを目前として。


まぁ。母親を特別視するのは、百歩譲って、理解してあげてもいい。

これは、家柄が良かろうが悪かろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、たぶんあまり関係ないしね。


でも、自分の家柄の良さ・育ちの良さを、変なところで変に自慢するのはやめてほしい。


例えば、自分の友達を彼女に説明するときに、

「ああ見えても、●●は、いいとこの子なんだよ。」「きちんとした家の子なんだよ。」と言ったり、

彼の友達と一緒に食事をした後に、彼が

「もうこれからは、俺の友達と一緒にいる時に、酒は飲まないでほしい。君にはちゃんとしていてほしいから」と彼女を注意をしたり。

そういうのね。


こんなこと、よく言えるなぁ。本当のこと?

と思う人がいるかもしれないけど、これは全部、本当の話。


こういう男性は、どんなにカッコ良くても、どんなに有能でも、所詮、お坊ちゃんなんです。

就職もね。結局、親や親戚がもってきてくれたオイシクてカタイ仕事を選んだりする。

だから、こんな男と結婚する女性は、同等レベルの家柄の人がベストだと思われます。

(大体、そういう男は、妻にはそういう自分にふさわしい人を選ぶからね。

 ご両親に見せても、親戚の誰に見せても恥ずかしくないような人を)


品がある。品がない。

って、彼等は、どんなモノサシで人を見ているのだろうね?



「赤線地帯」を観た。


あの 溝口健二監督の。


いやぁ。予想以上に面白かったよ。


ゴダールの映画と共通点、確かにあるわな~。


若尾文子の悪女ぶりも、京マチ子のふてぶてしさも、よかった。


貧困さのなかで、逞しく生きている女達は、誰がなんといおうと、立派に見える。


(容姿が悪くたって、技術がなくたって、コネがなくたって、自分の力で“おまんま”食べて生きていかなきゃ。ってこと)



悲観論者ぶって自殺未遂をした病気の夫に、ブチ切れた妻(若くもなく、貧乏でやつれていて、赤子もいて、病気の夫もいて、娼婦という職業を生活のためにしている)の言葉が、胸に響いた。


なんてことするの!意気地なし!

あんたにはどうしてわからないの?なんで、まだわからないの?

あたしが身体売って生きてく苦しさが。

そんなこと位、いい加減わかってもいいはずよ。


それじゃあ、あたし達は、なぜ今日まで生き延びてきたのよ。

あんた。あたし達は泥棒したこともないわ。

世間に対して、何一つ悪いことした覚えもないわ。

それなのに、身体売らなきゃ生きていかれなかったじゃない。


子供のミルクひとつ思うように変えないで、なにが文化国家よ!

私は死なないわよ。あんたがなんて言ったって死ぬもんか。

生きてこの目で見てやるのよ。

淫売としてしかやっていけない女が、この次はなんになるか、見極めてやるわ。

見極めてやるのよ!


ブラボーブラボー♪

この妻、ほったて小屋のなか、首つり自殺しようとした夫をぶん殴った後、夜泣きしている赤子を腕にだき、泣き叫びながら、正論を言っている。

素晴らしい!!!感情的かつ理性的。

自分がいまできることをなんとかしてやろう。家賃払えないし、ミルクも変えないし、夫の治療もままならないし、年くってるから客とれないし、戦後10年ぐらいで仕事のあても明るくないし、この先、どうやって生きていけるか分からないけど。一家心中ばかり考えている夫に、支配されてはいけない。



こういう人は、いまも世界中に沢山いるんだろうなと思う。


私も頑張ろう。引き続き、謙虚に生きよう。


視野が狭かったり、自分よりも経済状態が恵まれている人達ばかりを見ていると、感覚が麻痺してくる。


危険信号を発してくれた溝口大先生に感謝。(って、監督本人は、そんなの意図してないと思うけど 笑)



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だって、ヒマだったら、恋人や好きな人の行動やメールの頻度をチェックしちゃうでしょ。

そういうのって、虚しいじゃない。

相手は普通に色んなことに忙しいのに、自分だけがやたら考えてしまって空回りなんてさ。

私は、ほっとくとそういう人間になりがちなので、自分は多少キツくても、忙しい方を選びます。

私が忙しくて、相手が多少余裕がある位のほうが、きっと丁度いいんだろうなと思う。

「我こそは嫉妬深い!焼きもちやくの、なんとかしたい!」

そう思っている人は、スケジュール表を埋める工夫をしてみるのも、いいかもよ。




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初めて、ブログネタなるものをテーマで書いてみることにします。

私は、さんじゅううんねん生きてきただけだし、引越しも回数は多いにせよ、全国規模であっちこっちというわけではないので、現時点で、ということで選んでみました。

まず、関東。
東横線。。。。。だな。総合的にみたら。やっぱり。
ゆりかもめ。とも一瞬、迷いましたが。(笑)

それと、まぁまぁ平行に走っている田園都市線も、なぜかセットで思い出しました。
東横線と田園都市線との違いって、乗ってみるまでは、似たようなものかなぁと思っていた記憶があります。
乗ってみて、降りてみて、「あ。ちがう。」と感じました。
それでも、他の路線に比べたら、カンジは似ているのですが。

東横線での淡い思い出。
横浜寄りの駅が、当時できたてで、非常に綺麗(近未来的)でした。トイレなんてピッカピカ♪
すごく気分がハイになったことを覚えています。(ニホンゴツカイカタオカシイカナ?)
あれはなんていう駅だったんだろう?覚えてないのが致命的ガーンです。


つぎ、関西。
関西いうても、主要路線、完全網羅していない状態ですが。
便利さとかそういうのは無視して、雰囲気・乗り心地の良さを評価し、
大阪モノレールに決めました。
モノレールだけあって眺めも最高やし、乗っている人が基本ギスギスしていない点もポイントです。
(伊丹空港に行く人のワクワクさも、なんか伝わってきますし。そういう人たちは、日常を一瞬だけ忘れさせてくれる存在です。)


路線を選ぶということは、駅の雰囲気も大切になってくると思うんですけど。
関西は、関東に比べて、駅とか地下道とかの天井が低いと(勝手に)感じました。
もちろん、関東でも天井が低く圧迫感を感じるところはあります。
(たとえば、上野駅の地下鉄連絡通路とか、好きじゃなかったですね。六本木も知名度の割には、駅がそんなに綺麗じゃないなぁと。当時思いました。地下鉄って、構造上、天井が低いのは仕方ないのかもしれません。)
でも、平均化して見たら、やっぱり関西の方が天井が低い気がします。
建築した時の、建築家とか法律の基準とかいろいろ関係してるのかなぁ?


まぁ。いろんなことをごちゃごちゃ言ってますけど、まとまりがつかないので、このへんでおしまいにしておきます。
ご清聴ありがとうございました。m(_ _ )m


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なんで、私だけがこんな目に遭うんだろう?

友達の話を聞いていても、同期の話を聞いていても、私みたいなキツイ職場、キツイ仕事内容の人っていない。

なんて、私はツイてないんだろう。

休日も、仕事のせいで楽しめなくなっちゃったし、もう、やめたい。


でも、厳しいシュウカツのなか、勝ち取った仕事といえば仕事なのに。。。

このご時世では、再就職はムリかもしれない。

いったい、どうしたらいいの?


こんな心境、なったことないですか?

私は、あります。

何回も。

なぜなら、氷河期に学生から社会人になり、その後、何回か転職を重ねてきた人間なので。


こと、仕事(職場)に関しては、自分は本当にツイていないなぁと思っていましたし、現在も正直そう思っています。

何も問題のない(?)職場って、今まで一度もなかったように記憶しているからです。

自暴自棄になりそうな時は、「私は、他の面で恵まれていたから、仕事運はツキに見放されていても仕方が無いのかも。」

と、本気で言い聞かせたりしてきました。(笑)

それくらい、自分と自分の周りの子との職場における待遇の良さが異なっているように思えたんですね。

(思ったいただけでなく、事実そうだったことも多い。)


もちろん、解決方法を考えました。

結局、選択肢は2つしかないように思えました。

① 勉強でもなんでもして、自分が人にできないような能力を身につけてしまう。

   ⇒そうすれば、会社ではなくて、自分が、職場を選べる立場になる。

② ①ができないのであれば、諦める。無言で耐える。できる範囲で抵抗する。要領良くやる。

   まず期限を決めて、期限が実際きたら、そこで続行するか、また考える。


①は、不屈の意志と、時間と能力とエネルギーがあれば可能かもしれませんが、なかなかすぐにはできることではありません。

結局、私は②の繰り返しでした。


でも、なんか意味があってこんな目に遭っているんだろう、と考えるようにはしました。環境の肯定です。

職場が変わるたびに、仕事のやり方も変わり、人間関係も変わり、自分のキャラも変えなくてはなりません。

そのことは、自分にとってプラスだと考えるようにしました。ひどい思いも全てひっくるめて、プラスなんだと。

今でも、そう思うことで、自分を保っていっているような気がしています。



男は、自信たっぷりで、ちょっと強引なぐらいの方が、ハッキリいってモテます。

これは時代性もあるのかもしれないけど、少なくとも私が大学生の頃から(10~15年前)そういう男はモテていました。

女は基本的にMというか、振り回されたり、受身でいることを好むというカンジが、個人的にはしています。

(勿論、個人差はありますので、あしからず)


学生の頃は、大人で仕事もできてエネルギッシュで口がうまい。そういう男に惹かれる。

社会人になってからも、20代なら、その基本路線は変わらない。

そういう女性は、周りにも、少なからずいました。

ただ、だんだんと、30代を過ぎてからは“なにが自分にとって本当に大事なのか”が分かってくるようになる。

(10代後半から20代にかけて、そういう男に振り回され傷つけられ続けた女なら、尚更。)


ただ、ここで分かれるのが

そういう男を疲れるけど手放したくないと思うタイプと、もうそういう男にはこりごりというタイプ。

前者は、結婚までしてしまうケースもあるでしょう。

大体、自信過剰な男で見栄えの悪くない男は、年をとるにつれ、なぜかさらにモテる。しかも若い子に。

そうなると、そんな夫をもつ妻は、今度は浮気の心配に悩まされる。

まったく、神経の休まる暇がありません。


でも、彼の顔を姿を見ていると、その声を聞いていると、「あぁ。やっぱりカッコイイ。やっぱり私にはこの人だわ」と思ってしまう。

完全に私はこの人に惚れている。惚れっぱなしの状態が続いている。

そんな自分やイヤだと思う。でも、やめられない。

許せないけど、許してしまう。

そういう人って、少なからずいる気がします。

タフでなきゃ、やってられないと思いますが。。。。。



昔昔、不倫ドラマが流行っていた時期がありました。

いや、定期的に、そういうものは流行るのかもしれません。

ある意味、普遍的なテーマでしょうから。


不倫っていうと、すぐ思いつくのが

テレサ・テンの曲

竹内まりやの曲

古谷一行といしだあゆみ

ですね。年齢がバレちゃいますけど。(笑)


不倫が悪いことなのか、良いことなのか、っていう問いに関しては、そりゃあ、たぶん誰でも悪いことって答えるでしょうね。

私も不倫が良いことだとは全く思わないので、やっぱり悪いことだと思います。

だいたい、字が端的にそれを示しています。倫(理)が 不 ということですから。


ただ、不倫をしている(していた)人をあなたは軽蔑するか?っていう問いに関しては、

それは、私はケースバイケースだと思っています。


彼女達は、周りが思っている以上に、長く深く傷ついて耐え忍んできたんじゃないかと思いますから。

勿論、不倫をされる側の奥さんの立場に立って考えてみても、なんていうか、どんな言葉をかけていいのか分からないぐらい可哀相に思います。

私は自分のことをフェミニストだとかは思っていないのだけれども、こういう場合、女性ふたりとも、それぞれ気の毒に思います。

どちらが、より可哀相だとか、そういうことは天秤にかけて考えたことはありません。


ただ、このふたりの女性の間を行ったり来たりしている優柔不断かつ都合の良い男にはムショウに腹が立ちます。

股間を蹴り上げたい衝動に駆られます。

地獄に堕ちろ!と叫びたくなります。


そもそも、不倫って、どこから不倫なのか?

その定義が話題になったりしますね。それは、私が予想していた以上に個人差があるようです。

ある男性は、「それはお互いが好きだと口に出して言ってしまったら」、といいました。

ある女性は、「2人で密会していたら、それはもう不倫だ」といいました。

ある男性は、「プラトニックなら不倫とはいえない。やはり肉体関係があったらでしょう」といいました。

ある女性は、「メールのやりとりをしていたら、それはもう不倫だ」といいました。

なんて様々な意見なんでしょう。私は感動すらおぼえました。


不倫については、まだ熟考できていないので、また次の機会に書けたらいいなと思います。



太っている姿で、外を歩くなんてみっともない。

美しくない人は、生きている価値がない。

顔の造りがたとえ美しくなくても、痩せていれば、それなりに見えるはず。


うわぁ。過激な思想。

って、これは10年ぐらい前の私の日記に書かれていた言葉たち。

その頃は、“自分の肉体をコントロールできない人間はクズだ”とか思っていた時期だったから。

過度な外見重視。極端な痩せ願望。拒食・過食症。現代病。贅沢病。

なんとでも言える。

でも、とにかく、自分はそうだった。

しかも、多感な時期に、長い間(9年間)、そうだった。


あの苦しみや恐怖(自分は気が狂うのではないかという恐怖)は、共感しにくいと思うし、

共感してもらったら大変なことになると思う。


今は完全に、あの世界から脱出できた気がするけど、それでも時々こわくなる。

恐怖感だけは、独立して記憶されているみたいだから。



軽い気持ちから始まった恋みたいなものだった。

最初は、彼のほうが私を好きな度合いが高かったはずなのに。。。いつの間にか、こんなことに。

この人を、こんなに好きになるとは思ってもみなかった。



付き合うのは簡単だけど、別れるのは相当の覚悟がいる。

どんな人でも聞いたことある言葉(教訓)だと思うけど、結局、骨身にしみていないから軽く流してしまっていたのだろう。

老若男女、懲りもなく、またそれを繰り返す。失うものも多いのに。。。

仕方ないねぇ。人間だもの。って、思ったりもする。



でも、本当に不思議だったりしますよね。

私にだけしか、わからない彼の魅力だとか。

私以外は気付かないであろう彼の美点だとか。(ただ、言い換えてるだけか 笑)

そういうことを、やたら重視してしまう。

必要以上に。

誰々の新しい彼はDJなんだって!

デザイナーなんだって! 作家なんだって!

プロのカメラマンなんだって! シナリオライターなんだって!


その他もろもろ、芸術家・クリエイター・アーチストと呼ばれる類の人は存在します。

そして、そういう人種の人を恋人にしたということだけで、その彼女は自分までもが選ばれた人になったような錯覚をおこします。

それは、ある意味、自然の反応だと私は思います。(私にも似たような経験はありましたし。)


彼女の周りの人も、彼女が知り合いであったり友達であったら、冒頭で挙げたような言葉を使ったりします。

勿論、それは羨望のまなざしを向けて言った言葉なのでしょう。

(私も深い意味もなく、そういう表現使ったりします。)


ここで整理すると、

彼、その彼女、彼・彼女の周りの人 のなかで、大きな前提として

芸術家・クリエイター・アーチスト

=(イコール)

特別な才能の持ち主。選ばれた人。サラリーマンより数段カッコイイ存在。

その人の代わりはいないと世間から思われている人。有能でセンスが飛びぬけている人。

みたいなものが、あると想像できます。


でも、よくよく考えてみると、はたしてそうなんでしょうか?

私が考えるに、半分ぐらいは当たっているけど、半分は当たっていない気がします。


私が尊敬できる人の第一の条件は、謙虚な人です。

それは、芸術家・クリエイター・アーチストであっても、そうでなくても、です。

往々にして、芸術家・クリエイター・アーチストと呼ばれる人達は、自信満々です。

それは、芸術家・クリエイター・アーチストとして生きていく以上、仕方のないことかもしれません。

溢れ出るぐらいの自信が、彼らにとっては必要不可欠な要素のような気がしますから。


ということは、私という人間は、芸術家・クリエイター・アーチストと呼ばれる人達を尊敬できないし、好きにもなれない。

ということかといったら、それはそうとは言い切れません。

だって、謙虚な芸術家・クリエイター・アーチストだって、広い世の中には存在するかもしれないし、

万が一、そんな人がいなかったとしても、私が言っている“謙虚さ”というのは、それほど厳格なわけでもないので、尊敬できる芸術家・クリエイター・アーチストがいてもおかしくありません。


それは私が、その人の外面(態度や口調など)が謙虚なものであれば、それでいいと思っているからです。

もちろん、内面まで謙虚であることに越したことはないのですが、そこまでは他人に求めていません。

私自身も、自分の内面が謙虚かどうかなんて分からないし、謙虚じゃない可能性の方が高いなぁと思っていますから。


ただ、人として誰かと接する時に、横柄さや人を見下す態度は出さないように努めてもらいたいものです。

大自然や地球の歴史を目の前にして、自分はなんてちっぽけな存在なんだ。と思える心。

それと同様に、この世に生きている様々な人間に対して、なにかしらの敬意をはらえる心。

その2つの心を持っている人なら、私は少なくとも外面においては謙虚な人でいられると思っています。


そういう人で、かつ、芸術家・クリエイター・アーチストと呼ばれる人に、私はあと何人ぐらい出会えるかしら?