The road to anela
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旅立ちました

癌患者の姉が思わしくないと7月に言っていましたが、11月18日家族、親せきみんなに看取られ旅立って行きました。



姉の癌との戦いは帝王切開の出産の為の術前検査からでした。

辛い不妊治療に耐え、やっと授かった子ともうすぐ会えるという時に。。。

出産後すぐに検査をして癌だとわかりました。

産後、せっかく出ているお乳を止め、1ヶ月後には手術を受け、数か月に渡る抗がん剤治療をしました。

その間全く子育てが、気持ちも体も出来ない状態でした。

実家に居たので、近くに住んでいる私も仕事が終わると姪っ子の世話をしに実家へ通ってました。

それでも、それでも少しずつ気持ちを前に進め、娘が1歳になる前に自宅へ帰りました。

その後、不安と闘いながら定期検査を受け、後もう少しで2年と言う時に、再発をしてしまいました。
2年再発するのとしないのとでは生存率がかなり違うので、その時の絶望感を抱えた姉は、
見ていて本当に苦しかったです。

医者から、再発した場合はあっという間です。半年生きれれば幸せ。。。と言われていたので、家族も必死です。
良いと言われることは全てやっていました。

幸い、医者も首をかしげるほど進行が無く1年が過ぎ、、、
姉は検査に行かなくなりました。。。。。

検査を受ける日が決まり、結果が出るまでの期間、気持ちが不安定になり、母親として過ごせないことが理由でした。

丁度その頃、娘が幼稚園になじめず、転園するまで毎日大変な日々でした。

転園して、娘が喜んで幼稚園に通うようになった頃、だんだん調子が悪くなっていきました。

今年の5月に吐血をして、緊急入院してからは、入退院を繰り返していました。
両親も姉の家で孫の世話と看護と大変だったと思います。

超一流病院での入院だったし、完全看護なわけだから、本来泊まり込みで看護する必要はないのですが、ちょっとパニックを起こすだけで息が苦しくなる姉の希望で、姉が入院すると義兄と父と私の3人で24時間誰かがそばに居るという看護体制でした。
病院に泊まる父と義兄は小さな簡易ベッドで寝なきゃいけないので、体も辛かったと思います。

5月、「夏までもたない」と言われた姉が長かった夏を超え、秋を迎え、最後は「日曜日までもたない」と言われても1週間持ちこたえ、最後にど根性の生命力を見せてくれました。

日曜の夜中、もう危ないからと病院から呼び出しが来て。。。
眠れぬ夜を過ごし。。。

朝になり、義兄のご両親と同じがん患者として気持ちを支え合ってくれていた叔父夫婦が来てくれ、でも、プチ君は昼過ぎまで来れないので、ずっと姉に待っててとお願いしてました。

お別れの言葉をかけてあげるようにと言われ、一人ずつ声をかけていて、、
泣き崩れるみんなの様子を見て、娘も「ママ、お星様にならないでぇーー」と号泣していました。

それでもその後、医者が言ったよりは長い時間頑張って息をしてくれていて、プチ君が到着して声をかけると、間もなく、息を引き取りました。
きっとプチ君に本当の兄のように娘を頼むと伝えたかったんだと思います。


4才という幼い娘を残して逝くのは、本当に無念だったと思います。
でも、患者としては、24時間誰かが必ずそばにいてくれる看護を受け、家族全員に看取られるなんて本当に幸せな人だったと思います。

今後のことはまだ決まっていませんが、プチ君と同じように姪に愛情を注いでいくつもりです。
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