あっという間の三日間が
明けた朝にごじゃりまする。
雨を呼んできそうな雲が
彷徨う曇り空の下にて。
大切な人との時間は京都駅の
ホームにて彼女が乗る
東京ゆきの新幹線を見送って
過ぎてゆきました。
帰るまでの数時間は南禅寺の
三門の上に昇って京都の街を
見渡しながら座禅っぽく
座りながら色々話しました。
静かな街の息遣い
水の流れし音
光の彩りを添える緑の樹々
盆地の暑さを冷ます風
僧侶の読経
心地よい余韻を残す鐘の音
無邪気に転寝する外国人
色んなエレメンツが集う
カオスなのに心から雑念は
消えてく無の融点かのような
不思議な時空の広場のように
自分を連れてってくれました。
たしかに三日間様々な場所を
訪れたり物的な感覚にも
触れましたがそれは誠には
さほど重要ではないのです。
観劇や美術展に出かけたとか
美味しいモノを食べたとか
話題のスポットを訪れたとか
そのような物的なことから
楽しんだり満足を得るのも
悪くないとは思いますけれど
僕にとってはそれはいつも
全く重要ではありません。
自分が一人の心ある人間で
在りたい、それを支え合う
一対になることのできるような
そんな人間を必要とする、
または必要とされるような
存在を心に有して毎日の時空を
心穏やかに紡いでゆくことが
一番生きてるを感じるのです。
ボーッと話しながらノンビリ
過ごした場所は
心に寂しさが常に宿って
物的な要素からしか自分の
粋さを表現できない人間と
空無から心に宿っている魂を
感じて時空に解き放つ人間を
分離してゆくかのような
そんな神々しい時空でした。
心の底から一人の人間として
大切な存在あって生きることが
できることをはっきりと改めて
知らせてくれるそんな場所。
この三日間で一枚だけ
大切な人に自分の写真を
撮ってもらいました。
南禅寺の横を通っている
琵琶湖疏水の水路の下にて。
よい時間のあとのホントに
素直にリラックスした
自然体の自分の姿です。
無邪気な時空の中で。

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