前提として、悔恨の残る場所での、辛くて悲しい瞬間の永遠反復であるとします。

しかも同じ事を反復している認識はなく、繰り返される今を毎回初めてかのように過ごすものとします。

体感的には今がずっと繰り返され続くので、ずっと「今」という認識。時間の経過の感覚もありません。

例えば悲しみのあまり首を吊り、意識がなくなるまでを辿るのが1クールとします。死が訪れて意識がなくなったら、また悲しみのあまり首を吊ろうとする段に戻ります。戻った時に2回目という認識はありません。初めてと全く同じ。だから時間の経過は感じないのです。

そうして何十年と同じ場所に縛られ、飽きもせず何百何千回と同じ記憶を繰り返すのです。


ただ、本人の意識に関わらず、時間の流れ自体は確かに存在し、気の遠くなる程の反復の数も確かに存在します。


反復は物事を定着させ、

反復は物事を腐らせる。


主に舞台での常識ですが。

台詞が体に定着する分、マンネリ化して飽きてしまうのです。だから覚えてから忘れろ、とよく言われる訳なのですが。


つまり地縛霊の念は拭えない程にその場に定着しますが、念そのものはじわじわ腐敗していきます。

最初は一途で美しかったかもしれない想いも、反復すると腐っていきます。

激しい好きは繰り返し過ぎると憎いになります。

そうなってもまだなお繰り返し、次第に自分を見失い、更には相手をも見失い、ただただ憎い、ただただ苦しい、となります。

本当ならそんな発展性のない考えなどもうやめてしまえばいいのですが、あまりにも反復を重ねてしまったので、もうその場から想いが剥がれない。目的も根拠も、誰の誰への想いなのかもわからず、終わらない悲しみと苦しみそのものと化します。


強い思念に敏感な人間が、その場所を訪れ感応する事があります。

それを人は「憑かれた」という言葉で表したりします。

同調して熱に浮かされたように自殺を決意する人や、死に至る想いにシンクロし過ぎて、何もしていないのにそのまま絶命する人もあらわれます。


もう少し霊になりたての、自我のある頃であったなら、生きている誰かに何かを求めたり、反応してくれる事に喜びを見出したりもしていたかもしれません。

しかし想いが染み付いた場所そのものに成り果てた彼女にとっては、最早感応した人が怖がろうが変死しようがどうでも良い事でしょう。最早何故そこでそうしているのか、何を望んでいるのかもわからない、情念のみの存在ですから。


そんな時、遠い昔愛し、遠い昔憎んだ張本人が偶々通りかかります。

彼は思念に敏感な性質ではありませんでしたが、ここでの思念の方向性は元々彼に向けられたものなので、他人よりは敏感にその思いをキャッチし、念にとらわれてしまいます。

悲しみが直接自分に向かい過ぎている事で、彼は死んだ筈の彼女を思い出し恐怖に叫びます。反復されている死のイメージも感じ取り、連れて行かれるのではと慄き、泣いて謝り命を乞います。


生きている彼女にとってはもしかしたら痛快な事態だったかもしれません。

ああもう少し早ければ。


望みを持たぬ吹き溜まりとなって久しい彼女は彼に言います。


あなただれ

だからなに


断末魔の叫びが聞こえたような気がしますが、気のせいかもしれません。

その後彼が死んだのか、這々の体で逃げおおせたのかはわかりません。

彼女の興味の範疇ではないので。