こんばんは
ステンドグラスを創るアート・セラピスト ほそがやえりです。
桜が咲いたとはいえ、朝晩はまだまだストーブが必要な安曇野ですが・・・
今日は、
ちょっと気になった新聞記事から゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
[出生前診断]についてさまざまな人達の意見をシリーズで掲載していた記事を読んでいました。
胎児に異常があると分かった時・・・
産むか産まないか一人で悩むお母さん。
どんな子でも尊い命を守るという夫婦。
育てる自信が無いと決断する夫婦。
異常があれば堕胎するのは、親のエゴという人。
障がいを個性と捉える等という
きれいごとで済ませる気持ちになれないという当事者。
どの意見もごもっともで、どれが正解なんてない。
その時に出した答えは、どんな決断でも全て正解なのではないかと思いました。
『障がいを個性と捉える等という
きれいごとで済ませる気持ちになれない』
という当事者の言葉が一番ズシンときましたね・・・重いです。
外部の者が想像もできない程の過酷な現実と日々戦い、今もその真っ只中にいるからこその正直な気持ちなのだと思います。
本当にご苦労されてきたんでしょうね。
『個性』というと、自分特有の輝かしい性質のようなポジティブな印象が強い言葉ですが、マイナスの要素も含まれて『個性』だと思います。
『健常』と言われる人たちにも
できる事とできない事があり
人づきあいが苦手だったり
仕事が続かなかったり
上手くできない事や物事を要領よく運べなかったり、
それぞれの悩みがあります。
また、
色んな方の絵を見させていただいて私が常々感じている事ですが
自閉症の方も健常者でもコミュニケーションをとるのが苦手な人は、『周囲との関わり方』に課題のある絵を描きます。
その絵のタイプは、全く同じで
絵だけで障がいの有る無しなんてわからないです。
ですので、私は人間の質のような根本は、障がいも健常も無いように感じています。
プラスもマイナスも
ポジティブもネガティブも
誰にでも両方あって
生涯変わる事の無いその人の特徴なのではないのかと思うんです。
そして、光があれば、陰ができるように両方があって、ひとつのかけがえのない存在であり、光だけの人もいないし、陰だけの人もいません。
双方を含めて、その人の個性なのではないかと考えています。
・・・だから、
障がいもその人の『個性』の中の1つと捉える事ができるのではないでしょうか?
文章を書くのが下手で、自分の言いたい事が上手く書けません。もし、気に障るような事があれば、本当にすみません。
大変なことは沢山あると思います。
それでも、受け入れて
逃げないで乗り越えられたら
きっと、明るい明日があると思います。
障がいのある方が、生涯安心して生活できる社会になるように、私達に何ができるのか考えたいですね。
写真は、去年の安曇野スタイル2013でコラボさせていただいた
安曇野社会福祉協議会豊科たんぽぽの通所者で
陶芸作品を作るⅠさん。
ラジオ局のインタビューに答えているところです。
どんな人にも出来る事があります。
自分にできる事を一生懸命にやっていれば、道は開けてくるんじゃないかな
今年の安曇野スタイル2014でも
豊科たんぽぽさんとご一緒させていただきます。