人は愛に飢えている
人生を七十年も生きて来ると, 私に競争して挑発行為を繰り返す者,私をワザとバカにしている
コメントを送って来て私の感情を害してその反応を見て喜んでいる者などなど、 数え切れない
欲求承認を持つ者がいることを理解するように
なる。私は氣功を学び始めた時から教え始めた時から欲求承認を感じたことが無い.自分の氣功の
チカラを養うことに夢中で欲求承認の言葉すら
知らなかった.自分に満足していたからの相違ない.簡単に言えば、前述の人間達と比較すると
私は 愛に溢れていたに違いない.逆に言えばいいあの情け無い人間たちには愛がない、
愛はあるんか?と言うコマーシャルのようだが,誰しもが持つ 愛されたいと言う意識が強い
者たちなのだろう。人は誰もが愛されたい。拍手喝采を愛びたい者たちばかりだ.
欲求承認は二面性がある。
自分で気づいている場合にはコントロールできるが、気づいていない場合にはどんなことでもして
しまうのである。時には犯罪も犯してしまう。
良く自分をしらねばならない。