おはようございます。
天気は雨、気温は11,7℃の朝です。
豊臣秀吉は、いくつかのお城を作っています。中には砦程度の付城(攻城用のもの)もありますが、今回は天守閣や石垣を用いた本格的な城をご紹介します。
初めて領地を治めるようになった時に造った近江長浜城。この時から秀吉は大名になりました。それ以前は信長から給料(銭〇貫)を貰っていました。
天下をほぼ手中にした後に造ったのが大阪城。秀吉の城と言ったら一番に思い浮かぶのは大阪城ですが、残念ながら現在の大阪城は徳川が造ったお城です。上の模型の様に秀吉の大阪城は、石垣を高く積む技術が未熟で、2段になっていますね。
秀吉さんは大阪城は政治の中心である京都から離れているとかで、京都に政治を見る聚楽亭を造りました。華やかな城だったようですが、秀次事件の後に徹底的には破壊したそうです。残念ですね。
国内を平定した後に朝鮮に出兵するための基地として造られた肥前名護屋城。
湾の奥に造られたかなり大きな城だったようです。なんせ全国の大名がその周りに屋敷を造っていたそうです。この城の末路はあまり知られていませんが、今でも石垣等の遺構は残っているそうです。
秀吉最後の城が伏見城です。実は伏見城は2つあります。
まず最初に造られた指月伏見城。ここから巨椋池が良く見えたそうですが、天正大地震のために壊れました。その後に造られたのは、桃山伏見城です。
元の場所より山沿いの場所に造られました。秀吉は最終的にこの城で亡くなっています。ちなみにこの復興天守は現在は入場するkとができません。
徳川家康は、江戸城、駿府城、二条城位しか作っていません。いかに秀吉が城を造ってきたかわかりますね。