おはようございます。
9月の晦、気温は21.0℃。天気は晴れです。
私の卒業した小学校には、5年生の時に林間学校というものがあって、2泊3日で阿蘇の温泉に行っておりました。今日はその思い出です。
熊本地震から数年が経った。つい先日のニュースで、地震で被害を受けた阿蘇の地獄温泉の旅館が、再建に向けて動き始めたという報道がなされた。数年もたって今さらという感じもあるが、実はこの温泉は知る人ぞ知る秘湯であり、そこに行くには細い山道を通らねばならないからだ。無論自動車は通ることはできるが、その細い道ゆえに地震で土砂崩れが起き、その道路の復旧が遅れたためである。
さてその温泉の一キロほど手前の川沿いの谷の合間に、もう一つの秘湯が在る。いや在ったと言っておこう。谷の斜面の設けられたその温泉宿は、前述の温泉より風情がある造りになっていた。そしてその温泉宿は、私が通っていた小学校の林間学校に使われていた。
私が小学校五年生の時、たぶん昭和四十二年の時だったと思う。夏休みに入るとすぐ林間学校と称して、その温泉旅館に宿泊した。当時のことであるから、夏休み前に米を持ち寄らねばならなかった。洗面用具や着替え等をバッグに詰めて学校に集合する。南阿蘇にある高森鉄道(当時はまだ国鉄の路線であった)の駅まで3時間ぐらいかかる。私の記憶では「阿蘇下田駅」だったと思う。そこから先は前述したように大型バスは通行できないので、徒歩で二時間ぐらいかけて、乗玉温泉を目指すのである。
温泉に着くと指定された部屋に行く。十畳ぐらいの部屋に何人入ったかは覚えていない。ただ当時の私の学校の五年生は4クラスあり、総勢で百二十人ぐらいいたと思う。谷の上の本館と谷間にある別館があり、我々は本館の方に宿泊した。
で、二泊三日の間に何をしたかは、まったく覚えていない。唯一覚えているのは、旅館より少し登った所にあるキャンプ場に行ったことと、川面にある露天風呂に入った事である。キャンプ場は単に昼間に見に行ったということで、キャンプファイヤーをやったわけではない。林間学校とは名ばかりで、何を学習したかは定かではないのである。
三日目は、もう下山である。来た道を下って行く。行と違い下り坂なので楽ではある。行と同じように「阿蘇下田駅」で帰りの貸し切りバスを待つ。そして学校に向かうのである。
こんな行事がこの学校ではいつから始まったのかわからない。近隣の小学校の卒業生(もう六十代ではあるが)に聞いても、そんなことを行った記憶はないということだった。
実は、地震が起きる数か月前に、私は新しい車を購入して、細い坂道を通ってその温泉宿の前まで行ったのである。五十年前と同じような玄関があり、平日だというのに意外と車も止まっている。私は中に入らず、外から眺めていたが、それがその旅館を見た最後になるとは思ってもいなかった。
この旅館は現在のところ、まったく再建の目途が立っていないということである。できれば再建してもらいたいものである。
今日は少し50年以上前のお話でした。