おはようございます。

 今朝は寒いゼ、1.6℃。天気はもちろん晴れ。この冬一番だと思います。

 

 

 さて宇土古城から宇土城址に行きます。

 左の丘から右の丘へ。途中は峰が続いていません。あるいは意図的に削ったのかも。

 

 今はこんもりとした森にも見える遠景。しかしここには大きなお城がありました。

 航空写真ではこんな感じ。右側の大きな建物は我が母校。

 

 案内板の絵。但しこんな感じだったかなって感じ。何故ならこの城の持ち主は関ケ原の戦いに負けて斬首され、その後この城は幕府の一国一城令にて、徹底的に破壊されたからです。

 でも規模的には17万5000石ですから、このくらいの規模はあったと思われます。

 以前も申し上げましたが、城の魅力は天守閣や石垣ではなく、「総構え」(縄張り)だと思います。

 

 この城の持ち主だった「小西行長公」。

 

 関ヶ原の本戦ではよく戦った方です。実際西軍で戦ったのは、石田三成、宇喜多秀家、大谷吉継、そして最後の脱出時の島津義弘ぐらいです。あとはほとんど見守っていたり、裏切った方々です。

 

 そして今は荒れ果てた城跡。

 では宇土城本丸跡に行ってみることにしましょう。