こうやってブログや小説や随筆などを書いている(正式には、キーボードを打っている)のは午前中の場合が多いです。午後からはほとんど書かない。何故かっていうと、ガキの声がうるさいからです。(あえてガキと表現させていただきます)
ガキと言っても、うちの子供ではありません。うちの子供は、全員成人して働いております。だから日中はいません。
近くに学校や保育園や幼稚園があるからって。いえ、中学校はありますが、騒がしいことはありません。あえて言わせてもらえば、放課後の吹奏楽部の音。でも最近は以前のようにはありません。
じゃ何が騒がしいガキなのかと言うと幼稚園のガキ。近くには無いのですが、少し離れたところにあります。ここからのガキの声は聞こえてきませんが、問題はガキを送迎する場所。
幼稚園の近くまでガキを送迎すると、交通が混雑します。近くの人からも苦情が来ます。そこでその幼稚園では、近くの市民会館の駐車場を、車の乗り降りの場としています。いや、幼稚園が指定したとはわかりません。乗り入れを禁止された親共が、勝手にその場所を使い始めたのかもしれません。要は、そこで車を降りて、ガキどもを幼稚園まで送るのです。
登園の時は、問題ありません。問題は幼稚園から帰るとき。親共は、例の駐車場で車を止め、幼稚園に行き、ガキどもを駐車場まで連れてきます。その駐車場の横には、猫の額ほども小さな公園があります。遊具も二つほどあります。親共は、そこでガキどもを遊ばせ、世間話をしています。幼稚園は早く終わるので、家にすぐ帰っても夕食の準備まで、まだかなりの時間があります。だから時間つぶしの意味も考えて。そこの公園にガキどもと親共が毎日たむろします。
わかる人はわかると思いますが、ガキという種類の人類は、意味もなく奇声をあげます。おそらく自分たちが、太古の昔、類人猿だったということの名残でしょうか。仲間に危険を知らせるために、または自分の存在を仲間に認めさせるために、おそらく後者であるでしょうが、奇声をあげて遊びます。その声がよく通ること。また突然叫ぶため、こちらは考え事が中断します。
世の皆さんは、子供の声ぐらい我慢しなさいと言うけれど、それは人権の旗を振りかざす人たちの考えです。実際新しい幼稚園や保育園を造ろうとすると、反対運動が必ずあります。みんなガキどもがうるさいことを知っているからです。
学校や幼稚園や保育園の近くに、一度は住んでみてください。そして一日中家にいてみてください。いかにガキどもの声がうるさいかわかりますから。