松井賢一(仮名・41歳無職)の自分史

松井賢一(仮名・41歳無職)の自分史

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小学校5年生の時のクラス替えで、私は不良少年が大半を占めるクラスに入ってしまった。

こればっかりは運なので仕方がないが、学校側もどういう意図でそういったクラス編成にしたのか。

不良少年と言えども、ピン(一人)では何もできないので、学校側もそれを把握して、それぞれのクラスへ分散させる必要があると思う。


私が学校へ行けば、不良達から殴る蹴るの暴行を受け、あるいは、ボールをぶつけられたり、多量の木の枝を頭からかけられたりした。

お金を持って来いと恐喝されたこともあった。


あまり言葉は良くないが、在日のイジメは特に酷かった。

暴力の度合いも恐喝の金額も、日本人のそれとは桁が違った。


親や学校の先生に相談して解決してもらう手も無くはないが、当時はそういう行為を『ちくり』や『密告』などと呼び、恥なこと、卑劣なこととされていた。



ある日のこと、私を殴ったり蹴ったりする上田という奴の顔面を突発的に殴ってしまった。

上田は、右の頬を押さえて、とても痛そうにしていた。

その後、上田は私に口では文句を言って来たが、戦意的には喪失した模様。

もう、二度と上田は私に暴力を振るって来なくなった。


それから、私は色んな奴を殴った。

私に殴られた者は、皆、不思議と大人しくなった。

まるで、魔法にでもかかったみたい。

あんなに偉そうにしていた奴が、子犬のようになっていた。


それに味をしめた私は、毎日のように誰かを殴っていた。



小学校6年生になると、ヤクザの息子と呼ばれる不良と同じクラスになるが、そんなことはお構いなし。

相手が誰であれ、腹が立つ奴は誰でも殴っていた。


喧嘩は勝つとか負けるとか関係ない。

最初の一発を放った時点で勝ったようなものである。


いじめの効果的な対処法は、とにかく殴ること。

話し合いで済むのなら、戦争なんて起こらない。



クラスの全員で行う演劇の練習の最中に、私を足蹴にした西口に腹を立て、顔面を殴ってやった。

西口は私の拳と黒板でサンドイッチになり、さらに何発もパンチを叩き込んでやった。

私のひとつの行動で、演劇の練習が即座に中止。

私に演劇の練習を中止にさせる力があることが解った時、なんだか気分が良かった。


だが、私はクラス中で嫌われ者になり、クラスの嫌われ者ランキングで常に上位入賞。

問題児として小学校を卒業することになる。



最後に、小学校の時の習い事だが、小学校1年生の時に書道教室に通うが、僅かの期間で辞める。

その後、小学校3年生から公文式を続ける。


部活は小学校5年生の時に野球部へ。

補欠で出番無し。


小学校6年生の時に卓球部へ。

大した活躍もなく、普通の人で終わる。