夏休みの、ただでさえHDDがパンパンになるこの時期に、CSで「銀河鉄道999」TVシリーズ前半一挙放送、という暴挙がおこなわれました。
前半だけだったらたいしたことないじゃん、と思うかもしれませんが、全113話だからおよそ50話強。たいへんです。

それを録画して、DVDに焼きがてら見てたんですが、ぼくの999認識が覆される、驚くべき場面を発見してしまいました。



皆さんは999号の車掌さんをご存知でしょうか。
黒くてもやもやっとした顔に、目だけ光って見えるあの人です。
この作品はなにげにレギュラー3人しかいないので、まあ999を知っていれば、たいがいの方はご存知のキャラかと思います。

では、この人の服の中身はどうなってるんでしょうか。

これは、劇場映画2作目『さよなら銀河鉄道999』のラストでようやく明らかにされます。戦いに決着がついたあと、車掌さんはおもむろに制服をはだけて、鉄郎に中身を見せるんですね。……って書くと変質者みたいですが。
そこがどうなっていたかは、あえてここでは明かしませんので、みなさんで映画を観て確認してみてください。
TVシリーズでも最後までわからなかった車掌さんの中身がついに明らかに!というのは、映画公開当時の売り文句のひとつでもありました。そのため、「最後の最後でようやく見せたか!」という印象があったんですね。


が、しかし。
「TVシリーズでも最後までわからなかった」というのは、じつは間違いでした。
じつは今回放送されたTV版の中で、車掌さんの中身がバッチリばれちゃってる場面があったんです。

問題のシーンは、第7話「重力の底の墓場(前編)」でのこと。
脱線して異空間に迷い込んでしまった999が、別の列車に衝突してしまったときに、なんと衝撃で車掌さんの帽子が吹っ飛んでしまうのです!

このシーンでは車掌さんの中身がバッチリ描かれてますし、鉄郎も車掌さんを見て肝を潰します。
なんてことだ!劇場版が初披露じゃなかった!

……が、その直後に窓外で異変が発生したため、この重大事はあっさりスルーされてしまったのでした。
二重になんてことだ!



ここで描かれている「中身」は、『さよなら銀河鉄道999』のラストで見せた姿と同じものです。
時間にして1分に満たないシーンですが、車掌さんの中身はすでに7話の時点でネタバレされていたんですね。
7話っていうと放送開始から2ヶ月めぐらいですよ。はやい!


なお、これに気付いてから、「そういえば原作ではどうだったっけ」とコミックスを読み返してみたところ、車掌さんの帽子が飛ぶシーンはありませんでした。
それどころか、漫画版では車掌さん、最後まで正体は見せてません。


まてよ。
ということは、「車掌さんの中身が××××」というのは、いままで原作も含めた公式設定だと思っていたけれど、じつはアニメだけの独自設定なんじゃないのかな。

次々と明らかになる新事実!
いやまあ、自分が気付いてなかっただけで、ほかのファンには常識なのかもしれませんけれど。
まさか放送から30年以上も経ってから、認識を覆されるとは思いませんでした。
男の子はヒーローに憧れるものです。
悪の組織に改造され、二度ともとの人間には戻れないとしても、仮面ライダーになりたい。
地元の新聞社からバケモノクモ男呼ばわりされたとしても、スパイダーマンになりたい。
男子なら、だれもがそう思います。

ところが、そんな憧れを覆すヒーローがいたとしたら。
弱いわけでも、極端に造形がかっこ悪いわけでもないのに、
むしろ「こうはなりたくない」とさえ思わせるヒーローがいたとしたら。

今回紹介するのは、そんなヒーローのお話です。
その名は『メタルマン』。

タイトルから想像できるとおり、よくいえば『アイアンマン』へのオマージュ、悪くいえば『ロボコップ』に対する『ロボ道士』『ロボハンター』みたいな作品です。

$HDDがパンパンです-タイトルバック


主人公のカイル君は、頭はいいけどさえない大学生、というピーター・パーカー的なキャラクター。
生体CADを応用した「バイオ・デス」という物騒な名前のゲームを独力で開発するほどのポテンシャルを持っています。生体CADがなにかは不明ですが。
そんなカイル君は「善悪がハッキリしている」という理由で科学者ブレイク博士に見込まれてしまい、その研究の手伝いをしています。

この博士の研究成果こそがメタルマン。

アイアンマンの母方のおじさんみたいな顔したヘルメットにより、さまざまな能力を発揮するスーパーユニット・メタルマン。かつて在籍していた企業による軍事利用を恐れた博士は、ひとり脱出し、隠れて研究を続けていたのでした。


閉所恐怖症のカイル君にだましだましユニットを装着させ、極低温実験と称して冷凍庫に閉じ込めた博士。
ところがそのさなか、研究を奪い返そうとやってきた企業の社長にパンチを食らってダウンしてしまいます。
社長に予備のヘルメットを奪われてしまった博士は、冷凍庫で凍死寸前のカイルを救出、そのまま息絶えてしまうのでした……って、パンチ一発で死んじゃうのか博士。

博士の死と同時に、カイルのかぶったヘルメットの内部に、博士のホログラムが現れます。
この日を予期していた博士は、自らの人格を人工知能としてデータ化しておいたのでした。
その博士から、カイルは驚くべきことを知らされます。

それは……



「そのスーツはもう脱げない」



という絶望的な宣告でした。

「時間がなかった。悪いがあきらめろ」
のんきなことを言う博士。

「一生着ていろと?」

もっともな怒りをぶつけるカイルに、
「悪いがそうなんだ」
としれっと答えるあたり、人格をデータ化するにあたって大事な何かをそぎ落としてしまったんじゃないかと疑わずにはいられません。

いちおうステルス機能でスーツ自体を透明にすることはできるんですが、そもそも脱げないので、トイレとかニオイとか性処理とか髭とか風呂とか、どうするつもりなんでしょうか。

$HDDがパンパンです-お怒りごもっとも


これだけでも相当キツいというのに、そのうえプライバシーまでもがゼロだということが判明します。
カイル君は若い男の子なので、当然エッチな夢も見るわけなんですが、なんと博士の声はそこにまで割り込んでくるのです。

夢の中で女の子と「さあ始めるぞ」というときに、とつぜん聞こえる博士の声。


「覗き見は楽しいものだ」

「神経活動をびしびし感じるぞ」


うわああああぁぁああ!

なんという羞恥。
もう自分だったら恥ずかしくて死にたくなります。


こうなったら、せめて食事ぐらいはおいしいものを……と思うのが人情ですが、さすがブレイク博士、ぬかりありません。そんなささやかな希望も、きっちり叩き潰してくれています。

メタルマンの食事は「脳やナノロボットに必要な食料とブドウ糖飲料」とのことなんですが、出されたそれは、スライム状の緑色の液体。

あきらかに毒です。

だいたい予想がつくかと思いますが、これもやはり「味の調整をする時間がなかった」という品で、じっさい飲まされたカイルいわく

「砂糖を混ぜた糞みたいな味がする」

とのこと。

$HDDがパンパンです-ぐったり


栄養補給をしたはずなのに、大ダメージを負ってぐったりしまうのでした。


かくして誕生した、世にも不憫なヒーロー・メタルマン。


両親を殺されたり、憧れのガールフレンドに「私にはムリ」と逃げられたりと散々な目にあいながらも、悪の社長を倒し、同じメタルマンの彼女(とうぜん一生ヘルメットかぶりっぱなし)もできて、トータルで見ればプラマイゼロ……にはなりませんよね、やっぱり。



博士もついてくるんだし。


$HDDがパンパンです

「俺は一生このままだぜ!」



おひさしぶりです。

ほんとうは<これ>とか<これ>を引き合いに出しつつ、「非・被災地でのありようとは」について考えてみようかと思っていて、すこし書きかけていたんですが、先日の大きめの余震のおかげで、考えがほぼ飛んでしまいました。

いちおうダイジェストで書くと、
前者については「乱痴気騒ぎをするんじゃなければ、したい人ですればいい」であり、
後者については「日本酒の蔵元の発言なので、そこは割り引くように。東北全体が花見してくれって頼んでるわけじゃない。でもどうせ花見するなら東北のものを並べるのがいいよね」です。



考えが飛んでしまった理由というのはもうひとつあって、それがこの文章です。


頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。


通常の生活を送られているかたには、かなりショッキングな内容です。
それゆえに、読むだけで打ちのめされる人も出ているようです。
ぼくも最初に読んだあとは、さすがにちょっと落ちました。

さらに、こちらのようなお話<きょうのわたくし:「美しいから美しいと言ふさくら」>もあって、どちらの震災からもほぼ完全に部外者のぼくとしては、しばらくうなる以外の手立てもありませんでした。

今回の惨事を思えば、このような考えに至る人もいるというのも、無理はないでしょう。
そんな人の前には、ほんとうに、どんな言葉も意味がありません。

無力です。



だけど、ぼくたちが打ちのめされててはいけないんですよ。
無事なんだから。
一緒になって泥沼に沈んではいけない。
直接引き上げることはできなくても、引っ張りあげるための手立てぐらいは考えたい。


ぼくたちは無力だし、被災地に対して、直接にはなんの力にもなれません。
現地に行って何かできるわけではないし、
多額の義捐金を寄付できるわけでもない。
それでも何かしたいけど、何をしたらいいのかわからない。

そういう人はかなりいると思います。
それで、とりあえず「がんばれ」と言ってみるけれど、被災した人から見れば、それはかえってうっとおしがられてしまう。
「がんばれ」と言っただけで、何かした気になってしまうのも困りものですしね。


だったら、自分たちにできる「行動」をしていくのはどうだろう。


たとえば震災前と同じ生活を送るんじゃなく、どうせなら、それよりちょっとマシな世界をめざして生きてみるとか。

何も希望なんてない、と言っていた人が、思い直してまた生きてみたくなるような、ちょっといい世界になったらいいと思いませんか。

人に親切にするとか、ひがまないとか、助けあうとか、ありがとうを口にするよう心がけるとか、そういうことでいいんです。



たしかに現実的な話じゃないです。
「いま苦しんでいる人、助けないといけない人がいるんだ」というのも承知してます。
「こいつなに気持ち悪いこと言ってんの」という声もあるでしょう。
自分でも、ちょっとそう思います。

でも、大多数の人は、実際問題、被災地に行って何か手助けするというわけにはいきません。
本当は行きたいけど、そうすると自分の生活そのものが破綻してしまう、という人もいます。

じゃあ「がんばれ」って言う以外には、何ができるんだろう。

救援活動が落ち着き、東北の方々が次の暮らしを考えなきゃいけなくなったときに、
「苦しいときはお互いさまだから」
ってふつうに助けあえるわれわれでいるべきなんじゃないのか。

それにはやっぱり、ひとりひとりが意識して、自分の日常をちょっとずつ変えていかなきゃいけないと思うんです。


それで、いつか被災者の方々に
「まだ、世の中捨てたもんじゃないな」
と思ってもらえたら、それでいいんじゃないかと思います。