普通なら、誰かが私にたくさんのお金をくれると言ったら、たとえば100万ポンド(約2億円)をくれると言ったら、私は相当に喜ぶはずだ。しかし私が投資銀行の人間だったら、そんなことでは喜ばないらしい。今年も今頃、何千人もの投資銀行関係者が100万ポンド級のボーナスをもらっているはずだが、そういう人たちは喜ぶ代わりに、不安に襲われ、嫉妬に苦しみ、欲にかられるものらしい。私も投資銀行の人間だったら、そうなっていたのかもしれない。
投資銀行の社員にボーナスを与えるというこのシステムは、かなり奇妙なものだ。実を言えば、システムと呼べるほどのものでもない。投資銀行のボーナス査定は実は、勝者など一人もいない、ただ破滅的に金のかかる、疲れるだけの政治ゲームなのだ。ゲームのルールは、はたから見ているだけではよく分からない。しかし私は先週、このゲームの名人たちにレッスンを受けたので、ざっとだけならゲームのやり方を説明できるかもしれない。
ゲームは毎年、木々の葉が色づき始める前に始まる。7月以降、幹部たちは何度も何度も延々と会議を繰り返して、いったいいくら払うのか話し合う。9月にもなると、投資銀行の社員は全員、まるで生きるか死ぬかの問題だといわんばかりの真剣さで、ロビー活動を始める。
ある銀行関係者によると、社内会議はふだんほとんどガラガラなのだが、秋になると誰もが上司の目に留まりたいので、どの会議も満員御礼になるのだそうだ。ロンドンのシティやニューヨークのウォール街のあちこちで、銀行関係者は廊下を歩きながらわざと大きな声でやたらハキハキと、自分は実は参加していな成功案件について専門家のように語り、まるで自分もそれに関わっていたみたいな幻想をつくりあげようと懸命だ。そして彼らはさらに大きな声で、実は転職を考えているのだけど的なことをほのめかす。実際には、銀行業界を取り巻く状況はあまりに厳しいので、どこかに行きたくても誰も行き場がないのだけれど。
銀行幹部たちは新聞を使った、ボーナス査定前ロビー活動に忙しい。ある人は私に、妬み嫉み僻みたっぷりの冷たい口調で自分の同僚がある英国紙に自画自賛きわまりない日記文を、実にたくみに寄稿していたのだと話してくれた。この時期にそういう署名記事が新聞に載るというのは、実に効果的なのだそうだ。効き目は抜群なんだと、この知り合いは吐き捨てるように言っていた。
別の銀行幹部は、さも当たり前だという口調で、自分のやり方を教えてくれた。彼は、自分が担当する顧客に頼んで、手紙を書いてもらうのだそうだ。いかに自分のおかげで、顧客企業の株価が上がったか、感謝と称賛の手紙を。そしてその手紙を、自分の上司全員に回覧するのだそうだ。
誰でもこの手のことはしている。これはいわば社内ゲームで、参加しないのは大間違いだ。上司はできるだけボーナスの支払額を少なく抑えたいのだし、静かな毎日を送りたいと願っている。なので、今にもライバル企業に移ってしまいそうな社員、あるいはボーナス額が不満なら転職しかねない勢いで騒いだりしていない社員は、どうぞ自分は無視してくださいと言っているようなものなのだ。
一方でこのゲームをあまり熱心にやりすぎると、問題も生じる。私の知り合いのある投資銀行幹部は、あまりに見え見えのボーナス交渉を仕掛けてくる部下には、マイナス点をつけていた。自分のオフィス・ドアの前の騒ぎに耐え切れなくなったのだ。部下たちは、彼のドアの前をわざと行き来する際にことさらに声を張り上げて自慢話を披露していく。それを耳にするたび、この知り合いは何も言わず、自己宣伝やかましい当人のボーナスから1万ドルずつ減点していくのだそうだ。
ボーナス額言い渡しの当日、誰もが募る不安に押しつぶされそうだ。順番に上司面談に呼ばれるわけだが、この順番には重要な意味がある。上司というのは得てして気が弱いものなので、最初は楽な面接相手を選びがちだ。なので、9時に面接に呼ばれるというのは、良いしるしなわけだ。
9時の面談に行くと、上司はまずあなたの仕事ぶりがいかに素晴らしかったかを褒めてくれる。しかしすぐさま、2007年は銀行の業績が苦しかったので、情勢は厳しいという説明が続く。そしてそこで初めて上司は問題の「数字」を提示するわけだ。実際の金の支給までこれだけ近づくと、「ボーナス」とはもはや呼ばれない。もっと情け容赦なく直接的に「数字」と呼ばれる。仮に提示された「数字」が大きなものでも、社員はがっくり打ちのめされた顔をして反論しなくてはならない。「私は去年あんなに成果を出したのに。ちょっと考えさせてください」と。このささやかな演技をしてみせたからといって、今年のボーナスがすぐ変わるわけではないが、来年に向けての働きかけにはなる。社員が不平不満を口にしたことは、上司も歓迎するかもしれない。欲求の表れと見なすかもしれないし、欲があるのは良いことだからだ。
面接終了後、銀行員は机に戻る。10分前の自分よりも、いきなり500万ドル(約6億円)分だけ金持ちになって帰ってきたことなど、おくびにも出さず。
スムースに終らない面接は、後回しにされるし、もっと時間もかかる。そしてそこで社員は、心底がっかりする数字を言い渡されることになる。ある28歳アナリストは今月初め、上司に向かって、自分はとてもではないが100万ドル(約1億2000万円)未満では生活できない、もっともらえるはずだと思って豪華マンションも買ってしまったのに、と抗議したのだそうだ。別の銀行員は去年、自分の「数字」を言い渡されて動揺し、「そんなのはボーナスとは言わない。それはチップだ!」とわめいたそうだ。彼の「数字」は25万ドル(約3000万円)だった。
ランチやディナーでボリンジャー・シャンパンのマグナム・ボトルを開けては、彼らは自分や他人のボーナスについて情報交換する。そして人間の本性というのはそもそも度し難いものなので、あんなに自分のボーナスが嬉しかったはずなのに、楽しい気持ちはシャンパンの泡と消えていく。自分以外の誰かが450万ドルもらったらしいと聞かされると、自分がもらった400万ドルなんて、たちまちつまらなく思えてしまう。バカにするな!と毒づきたくなってしまうのだ。
結局のところ、金額の問題ではない。愛、の問題なのだ。投資銀行の社員というのは、自分を認めてもらいたいという必死の欲求が人並みはずれて強い人種のようだ。そして、自分が認められていると確認する唯一の手段が、同僚よりも大きなボーナスをもらうことなのだろう。
とすると、この「システム」を改善するにはどうしたらいいのか? あるブティック型投資銀行では幹部がパートナー50人全員に、お互いがいくらもらったかを公表するので(昨年はゼロから1000万ドルと幅があった)、ボーナス交渉の駆け引きやお追従は大分減ったという。誰がいくらもらったかお互いが分かった時点で、パートナーたちは大人らしく振舞い始め、お互いの肩を叩き合っては「お前の数字見たぞ。去年はすごいかんばってたから、当然だよ」などと褒めあうのだそうだ。
巨大投資銀行にとって、透明性というのは全く斬新なコンセプトだ。彼らの世界では透明性とは、目論見が裏の裏まで見え見えな、彼らのボーナス交渉ゲームにしか存在しない。しかしパートナー全員にボーナス額を公表するなどという透明性は、巨大投資銀行ではありえないように思える。管理職にとっては、情報の独占こそが権力の源だからだ。そして弱肉強食の彼らの世界では、どんなに金をもらっても満足な達成感が得られないのだとしたら、残るよりどころは、権力しかない。
自分は認められているという達成感を与える別のやり方として、たとえば「よくできました」の印の金色のお星様シールがある。このアイディアはとても魅力的だ。何よりもタダだし(それに、ニーズにふさわしく子供っぽい)。けれども、絶対に流行らないだろうなあという気はする。お星様シールでは最上階の高級マンションは買えないから。
オーストラリアで世界初、青い目をしたコアラが生まれました。
普通、コアラの目の色は茶色。
オール・ブルー・アイズ(O'L Blue EYES) がニックネームだった米歌手のフランク・シナトラさんにちなんで
このコアラのニックネームはフランキー。
ところがフランキーくん(ちゃん?)の両親の目は茶色で、
どうやら、フランキーくんのブルーアイズは遺伝子の突然変異らしい
長崎のトルコライス、宮崎のチキン南蛮。
九州・山口・沖縄のコンビニで「ご当地品」が増えているそう。
これ、3年前から。
時々、デパ地下みたいな文句になってますね。「九州フェア!」とか。
コンビニではお弁当やお総菜、パンが売り上げの3割を占めているそうで、
これらの売れ行きが店の業績を決めるとなれば、、地元の味でもお客さんたちをひきつけようとでもいうのか。