人を助けるのに条件なんていらない | まちちのブログ

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例えば祈願書など成就するために『供え物』が必要。

願いや救いの際には『条件』をたてる。

いくら神様だって原理を無視できず、条件がなければ私の願いを取ることができない。


これが大きな勘違いです。

イエス様が民の病気を治すのに何か要求しましたか?

お金を収めよとも、なにか条件を立てなさいとも言っていません。


テレビ番組で病気を治せる奇跡の少女が放送されていました。

この子も何か要求なんてしていません。まして、失礼ながら経済発展があまりしていなく世界から見たら裕福ではない場所。お金もあまりないですから。


ブラジルのアラニちゃん(11歳)


 
次々に目の前で病気を治していく

 
長年のリウマチで動かなかった腕が治った

 
ひとりで立ち上がれなかった人も
走れるように!


文先生がメシアであったら、こういう奇跡を見せるべきです。

そうすれば「私を偽メシアだと疑ってる者よ、この奇跡を見よ」と教会の発展のためにも病気の人を治すべきだったでしょう。


イエス様は生涯において原理の「げ」の字も言わず、困っている人は無条件で助けました。世界中に絶賛されました。


文先生は原理だと言い、条件を示したけど、それでも世間が認めるような奇跡を1度もなされずに昇華されましたね。

それでも「供え物」「条件」が必要ならメシア・イエスキリストの否定であり冒涜です。