エホバの証人の見解、また一般的な既存の聖書解釈でこの記事は書いています。
エホバの証人は「聖書」の一語一句を解読していることで有名です。
その点では統一教会はおせじにも聖書に強いとは言い難いものです。
宗教の核である「教典」が違うからが大きいからでしょう。
キリスト教・・・聖書(旧・新)
統一教会・・・原理講論
キリスト教では、完成者であるイエスキリストと言われていますが、
世界基督教統一神霊協会(統一教会)では失敗者と言われていますね。
イエスキリストは十字架にかかり、神の願いを全てを果たせなかったと。
シックはビデオセンターや教会で教えられた、
「イエス様は雲に乗って来られるって聖書に書いてあるじゃん」と言うでしょう。
イエスはこう予告されました。「そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子イエスキリストが雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」。(ルカ21:27)
この言葉や他の聖句に見られる同様の言葉は、ヨハネ14章19節に記されているイエスの言われた事柄と矛盾しません。
次の点を考えてみましょう。出エジプト記19章9節で述べられているように、神がシナイ山で『濃い雲のうちにあって、民に望まれた』時、どんな事が起きましたか。神は目に見えない仕方でそこにおられ、イスラエルの民は神の存在の見える証拠を見ました。
しかし彼らのうち自分の目で実際に神を見たものは一人もいませんでした。ですから同様に、イエスが「雲に乗って」来ると言われた時、イエスは人間の目には見えないが、人間はイエスの存在に気づくようになるということを意味しておられたことに違いありません。
人々は知的な目でイエスを「見」、イエスがおられることを悟るようになります。
「聖書から論じる」(P341 天に運びさること)
つまり、雲に乗ってくるとは、雲の上で存在しているってこと。
地上に降り立つことでは決してありません・・・と、説いています。
もっと言うならば、「雲に乗って来られ地上に降りる」と書いてません。
主が「天から下ってこられる」とはそういう意味ですか(P340)
主は肉眼で見えないのに、テサロニケ第一4章16節で述べられているように、
『天から下ってくる』ことができるのでしょうか。
エホバは昔のソドムとゴモラの時代に、「下って」いって、人々が行っている事柄を『見る』つもりであると言われました。(創世18:21)
つまり、このことは神や再臨主が地上に降り立つことではありません。
主(神)は、天から”見ている”ことをさします。
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旧約聖書、そしてイエスキリストが活躍された時代(新約聖書)から
見てもイエスキリストは全てを完成させたことがわかります。
『 「終わった(テテレスタイ)」(ヨハネの福音書19章30節)
兵士達が差し出した酸いぶどう酒を受けた直後に、この言葉を語った。これは、旧約聖書の預言をすべて成就して、贖罪の業を完成したという意味である。 』
(十字架上のキリストの最後の7つの言葉 (聖書))
【まとめ】
イエスキリストは全てを成就された。
わたしが救世主だと言う者が現れることを懸念されました。