神様、感謝します。
2018・11・4 バプテスマを無事受けることできました。
感情を言葉に表すのはとても難しいです。新たなスタートのようなものなので、嬉しさ反面悔い改めの心も湧いてきました。
その気持ちを表現しようとすると、なぜか眉間にしわがよって、困っているような、変顔してるような顔になっていました 笑
けど最終的に神様ありがとう^^て微笑みを浮かべてました。
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2018・11・18
何カ月ずっと悩んでいたことが、ここ1週間くらい?で一気に整理された証をします。
今回は特に、『人生の選択に迷うとき―悩めるクリスチャンのための指針―』という本からとても多くのヒントを貰うことができました。
悩みはこの3つでした。
①興味のある勉強をしたい。
②転職先の職種すら絞れない。
③食生活の制限について。
((主の御心だけを行いたい!!))
と強く思っていて、どれも自分の思いだけなのではないかと不安になっていました。
だけど((何が主の御心か分からない!!))
そこで、主の御心に対する私の思いが間違っていたことを知りました。
御言葉に記されている御心は前提で、
主が私を遣わそうとされているフィールドや物事に対して、
具体的に“これだ”という答えがポンッと示されること願っていたのかもしれません。
祈って、自分の必要な時に、常にそのように完全な道が示されるのだったら、どんなに楽だろうか・・・主は私たちに選択や決断を任されていることがみえました。
御心を知る方法はいくつもあるとは思いますが、
「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志をたてさせ、事を行わせてくださるのです。」ピリピ2:13
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ29:11
ここから、御心が私の心に意思や願いを起こさせ、実行させてくださるのだということ、しかもそれは平安である!ことを知って安堵しました。
なぜなら、先の①の悩みで、何度も起される思いが2つずっとあって、どちらを選択したらよいか迷っていて、どちらも気持ちが中途半端だったので、平安がある方を選び取ることができました。
②に関しては、まだ具体的に見えてはいませんが、
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 ローマ8:28
この御言葉に励まされ、これからも絶えず祈り求めていこうと思え、希望を持てました。
③は私の人生において、長年の悩みであり、これからも長期戦だろうと思う悩ましいものです。過食症のような傾向があって、当然その苦しみと罪悪感と自己嫌悪で頭はいっぱいで、聖書を読みたいと思っていたのに無駄にしてしまうのです。そして後悔と悲しみだけが残ります。
この御言葉にハッとさせられました。
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」Ⅰコリント10:31
私が存在している目的は神の栄光を現す為だったことに、食べるという視点からも思い返すことができました。それまでは、心の空洞を食で埋めようと自分の欲だけが前に出ていたけど、立ち止まってこれは本当に有益なものかを考える意識が生まれました。
そして最後に今回、もう2つ重要なことに気付かされました。
それは祈りと信仰についてでした。
私は祈りを変えました。
自分の思い中心であったのに気づかされ、主のお語りを願う祈りという姿勢へと変わりました。
主と対話をしたいと思ったからでした。もっと神様の示されいることを感じ取りたいと思い、
聖霊様の働きにもっと敏感になれるように常に神経を研ぎ澄まし、主に忠実で真摯に向き合っていかなければなと思わされています。
イエス様のような状況と思える時でも。
「「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」」マタイ26:39一部
信仰の事については、
神様のために何かしたい!あれやりたいこれやりたい!と思いが出る時、
注意しなければなと思うのは、“行ない”に意識がいってしまうことだと思いました。
最後の審判で「『わたしはあなたを全然知らない』」と言われてしまうなんて悲しすぎます。
まさに“信仰”が現れる時だと思いました。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
へブル11:1
全ては、神様が与えてくださった“恵み”であることを覚え、また、感謝し、愛していきます。
