さぁ、始まりました!お笑い芸人情報所!

昨日のクイズわかったでしょうか??

出てからすぐ売れた、MrNO下積み芸人ですなwww

じゃぁ早速情報行きましょう!


メンバー

概要

コンビ名は、お互いに好きな単語をくっつけたもの(オリエンタル が中田、ラジオ が藤森)。結成当時のコンビ名は「中田藤森」であり、その後「アンディーシンディー」と名乗ったこともあった。コンビ名をオリエンタルラジオに決定した理由のひとつは、この単語がネット検索に1件もひっかからなかったからである。その後検索で5件ヒットしたときは、非常に嬉しかったと述べている(2007年4月現在では、Google で約912,000件のヒット数を叩き出している)。 東京NSC 10期で、同期には大好物オバアチャン などがいる。NSC 生の中でも出世が飛びぬけて早かった。

来歴

  • 自動車事故の受付のオペレーターのアルバイト三井住友海上 )で知り合う。互いを知り合う内に、元々お笑い好きだった中田の影響を多大に受けた藤森が逆に中田を誘う形で、大学に通いながらNSC へ入学することとなる。結成日は2003年8月1日。毎年、記念日を2人で祝っている。
  • 初めての会話は「好きなAV女優 」の話だった(男子と仲良くなるには下ネタ しかないという中田の思い込み)。
  • M-1グランプリ 2004では、NSC 在籍中にもかかわらず武勇伝で準決勝まで勝ち進み一躍注目を浴びるようになった。
  • 『武勇伝』ネタの知名度が圧倒的だが、喋くり漫才 もする。その時もボケは中田で、ツッコミは藤森が担当する。漫才の方がブラックなネタをする傾向が強いようである。M-1グランプリ2005では漫才 のみで準決勝まで残った。
  • 2005年12月31日 放送の「輝け!2005年お笑いネタグランプリ 」ではブレイク賞を受賞。副賞として100万円を貰った。
  • ニッポン放送 の2006年度春のイメージキャラクター「だったらラジオ ニッポン放送」に任命され、その縁で「オリエンタルラジオのオールナイトニッポンR 」(金曜27:00-29:00)のパーソナリティに抜擢されたが、「めちゃ²イケてるッ! 」に出演した際、「オールナイトニッポンR」を担当しているといったが、ナインティナイン (「ナインティナインのオールナイトニッポン 」(木曜25:00-27:00)を担当)は金曜と土曜のみ「オールナイトニッポンR」があることを知らなかったらしい。
  • 2006年10月 より、『笑っていいとも! 』のレギュラー出演が決定した。
  • オリキュン 」(フジテレビ )が2007年 1月17日 より水10! 枠の22:30~22:54に放送時間が変更になった。デビュー数年でプライムタイム のレギュラー番組を持つという、異例の早出世に「ダウンタウン の再来」と伝えるスポーツ新聞もあったほど。
  • 2007年4月からは「週刊オリラジ経済白書 」、「ドッカ~ン! 」が開始し、お笑い芸人史上最速でゴールデンタイムの冠番組 を持つことになった。これに関しては様々な意見があるが、「日経エンタテインメント!2007年5月号 」(日経BP )では「お笑い界は上が詰まっている(人気ベテラン、中堅芸人が多数レギュラー番組を持つ為、若手がメインの番組を持てない状況。)ので、若手でメイン番組を数本持つのは凄い。」と評価されているものの視聴率は総じて低く、まだ早かったのではという意見も聞かれる。

武勇伝

  • 代表的なネタは「武勇伝」というショートコント。もともとは「中田伝説」というネタでやっていた。武勇伝ネタを考えているのは中田である。「武勇伝 武勇伝 武勇デンデンデデンデン レッツゴー」という早口なリズム(これはただの早口でありヒップホップ風ともラップ風とも言えない。)(オリエンタルリズム)にのせて、色々な事に挑戦しているという“あっちゃん”(中田)が「伝説」を語り、その結果を“しんご”(藤森)が言ってオチにする。たまにあるあるネタ的なことを言うこともある。ネタの間に、日常のことをコントのようにして、しんごが日常的な行動をとり、あっちゃんがそこにツッコミを入れ名言的な言葉でまとめる、もしくはしんごが常識的なことをしてあっちゃんが呆れるといったコントが入る。最後に「意味はな~い~けれ~ど~ム~シャクシャしたから~」のフレーズで始まる歌を歌い、「ペケポン!」と言って出番が終わる。
  • テンポがいいので観客からは手拍子されることがあるが、自分のリズムでやりたいため「手拍子はありがたいのですが、みなさんの心の中でお願いします」と中田がお詫びをする。
  • 「意味はな~いけれ~ど」のフレーズは中田が作曲したもの。
  • このネタはかなり運動量が多く、藤森は「エンタの神様 」でのネタ中に両肩が脱臼したことがあるという。また、このネタは通常は約2分30秒位なのだが、ある日中田はこのネタを4分間やり、泡を吹いて酸欠で倒れたという。そしてそこが一番観客にうけて爆笑がおこった。
  • 最初は「中田伝説」という普通の漫才だったが、スベる事を恐れてどんどん間を詰めていった結果、最終的に間がなくなり、ネタとネタをつなぐブリッジとして「武勇伝 武勇伝」のフレーズを挟んだ。
  • 芸に厳しいことで知られるオール巨人 から、「あれは相当な稽古を積んでいるはず」と絶賛された。実際、部屋にこもって何時間、何百回と練習しているという。
  • 噛んだ時用の武勇伝がある。具体的には、しんごが「あっちゃん、カッコ悪いよ~」中田が「しゃらくせえー」と怒るものである。
  • ちなみに「武勇伝」は元々中田が、NSCのピンのネタ見せの授業でやっていたものである。ちょっとした悪ふざけのつもりで踊りを入れたり歌を歌ったりしていたらしい。それが講師陣の木村祐一夜鯉利光 等に好評で、色々とアドバイスを受け今の形になった。
  • 藤森は「笑い飯 」の哲夫 に飲み会に呼び出されてその場のノリで四時間全裸で「武勇伝」をやらされた。しかしその後哲夫の耳に「あっちゃん(中田)が「うちの相方になにしてくれてんだ」と凄く怒っている、という噂が届き、これはヤバイと思った哲夫が仲直りの為に二人を飲み会に誘ったがまたその場で今度は二人に全裸武勇伝をさせた。哲夫は武勇伝に対抗し、「奈良県立歴史民俗博物館(注・笑い飯のネタの一つ。)」の「パパ~パ~」というBGMっぽいのを口で言いながら奈良県立歴史民族博物館にある人形の物まねを裸で全力でやっていた。その後、哲夫は吉本興業からこっぴどくしかられたという。
  • 「学園祭などで漫才をしても、会場からは『武勇伝はまだか』という空気が出ているためやりづらいときがある」と語ったことがある。
  • 最近エンタの神様 では中田が「俺の伝説ベスト10」と言っているが実は1回のオンエアで9つしか言っていない(初期を除く)。(実際には3つ+小ネタ+3つ+小ネタ+3つ+エンディング+一番最後に1つ、計10回言っている。オープニングの叫びはカウントしていない)

漫才

  • 一般にはあまり知られていないが、漫才ネタもいくつか持っている。
  • 10カラット などで披露したネタの他にもいくつか持ちネタがある。
  • 基本的にネタは中田が作っている。少々ぶっ飛んでいる芸風の内容が多い。
  • 最近では「年を取ったら武勇伝はできない」と、漫才のネタ作りで深夜まで及ぶこともあるらしい。

主な出演番組

テレビ

ラジオ

ゲスト出演

「オーラの沼」第一回ゲスト
第26回・第27回メインパーソナリティ。
「もじもじ君」コーナーに登場。
中田の同級生・平井理央アナウンサーらのハプニング映像を紹介するプレゼンター。
「旬のマグロを一匹食べ尽くす旬なコンビ」挑戦者。その挑戦の際に、藤森がランナーズ・ハイ のように精神がハイになったためにその状態を「マグローズ・ハイ」と名付けた。またこれ以前に一度番組の前説を担当したことがある。

ほか

CM

以外に体力居るんですね。あのネタはw

じゃあ最後にネタ動画貼って終わりにします。


オリエンタルラジオ1

オリエンタルラジオ2


以上です!

明日は、パァ!!ですw



はい!

今日も始まりました!昨日のクイズ分かったでしょうか?

ちょっと難しかったかな??

今日はアンジャッシュです!

早速情報行きますか!


メンバー

  • 児嶋一哉 (こじま かずや、1972年 7月16日 - )
    • ボケ (たまにツッコミ)担当。東京都八王子市出身。八王子市立弐分方小学校、八王子市立元八王子中学校、東京都立日野高等学校 卒業。スクールJCAの第1期生(本人曰く補欠で入学)。麻雀好きとして有名でプロ麻雀 士の資格を持っている。高校時代の同級生である渡部とコンビを結成。身長178.2cm。
  • 渡部建 (わたべ けん、1972年9月23日 - )

略歴

  • 1993年結成。スクールJCA1期生(児嶋)2期生(渡部)。初のJCA出身コンビの為、当時の若手実力派が集まるライブに早くもたびたび出演する。
  • スクールJCAへの入学は、八王子の先輩のヒロミ のアドバイスによるもの。
  • 同期には土田晃之バナナマン らがいる。
  • 1990年代 半ば、『ボキャブラ天国 』シリーズに出演。
  • 1990年代後半~2001年には、くりぃむしちゅーアンタッチャブル によるユニット「ゲバルト一族」のオムニバスライブで話題となる。
  • 1997年 3月14日 第7回ニッポン放送高田文夫プロデュースOWARAIゴールドラッシュII優勝。
  • 1998年 1月26日 第10回ニッポン放送高田文夫プロデュースOWARAIゴールドラッシュII第2回グランドチャンピオン大会優勝。
  • 1999年 から『爆笑オンエアバトル 』に第一回目から出演(オフエアだったがその後番外編としてメインのドキュメンタリーが放送される)。しかしその後毎回高得点を出し、チャンピオン大会ではほとんどが上位である。2003年 1月 には同番組の第5回チャンピオン大会で優勝を果たした。初のコントでチャンピオン初の関東勢、そして吉本興業以外の所属、人力舎 芸人で初めての優勝。そして番組のゴールドバトラー、プラチナバトラーを両方受賞している数少ないのコンビである。同番組において、オーバー500やトップになった回数は1番多い。自己最高529KBを2回獲得(同番組の第一回チャンピオン大会で、立川談志 に褒められた)。『ボキャブラ天国』では目立たなかったが、『オンバト』では顔的存在で、中には「オンバト=アンジャッシュ」とする人もいる。
  • 2003年から『エンタの神様 』に出演して人気や知名度が上がり、少しずつ売れ始める。2004年『笑いの金メダル 』では高い評価を受け、記念すべき第一回金メダリストとなる。
  • 2004年9月千葉テレビ放送 で初の冠番組 、『白黒アンジャッシュ 』が始まる。
  • 2005年1月24日人力舎所属若手お笑い芸人11組によるオールスター・ユニットビジトジ でCDデビューし、リーダーになる。
  • 2005年4月から『ポップジャム 』(NHK )で初めて歌番組の司会を務める。
  • 2005年好きな芸人ベスト4位になり、島田紳助ビートたけし を抜いた。『いい男はマーケティングで見つかる 』でドラマデビュー。

特徴

  • 勢いだけでない、よく練り上げられたコント に定評がある。一般的な「ボケとツッコミのあるコント」もするが、一方が話した会話の断片をもう一方の相方が誤解したまま話を合わせ、お互いがお互いの会話を疑問に思いつつ話が進む「ボタンのかけ違え」的な進行パターンや、2人の言葉の断片などが偶然につながることで世にも奇妙な(そして笑いを生む)会話や光景の成立するパターンが多い。前者の場合、「2人が近しい仲」という設定なら、普通の会話をしている(はずの)渡部の発言を児嶋が勘違いして、おかしな会話が進んでいき、「2人が顔見知り程度」なら互いが互いの発言を勘違いするというパターンになる。稀に、勘違いが解消されることもあるが、次にまた別の勘違いが始まる。後者の場合ボケもツッコミもなしに、ただ断片をつなぎ合わさることで上手く笑いを作り上げることも多い。ちなみにコントにはかなりの確率で下ネタが入る(例:野球のバットを男性の”アレ ”と勘違いする)。「勘違いネタ」であるがゆえに、両方ともボケ、ツッコミを担当するネタも多い。
  • ネタの中で女性の名前が出てくるときは「マユミ」、男性の場合「クロダ」「タドコロ」「シミズ」「タカシ」ということが多い。「マユミ」の由来は渡部の昔の彼女が由来だと言っている。渡部はマユミに「アンタには未来が無い」と言われて捨てられたらしい。
  • 「バカAD児嶋」シリーズでは、映像の中にアンジャッシュが出てくる。この場合渡部が司会者で児嶋がゲストであることが多い。また、女性がアシスタント等で登場することもある。渡部は映像の中で「高橋一」という名前であることが多い。
  • コンビ名は、渡部が考えた「J (JOY) 、A (ANGRY) 、S (SAD) 、H (HAPPY)=喜怒哀楽」と、児嶋が「あ行と「ん」の字が付いている芸人は売れるから」とつけた「UN」という意味で命名。芸に厳しい立川談志 が認める芸人である。
  • 当初のコンビ名は英語表記の「UNJASH」だったが、ほどなく「アンジャッシュ」に改名。
  • 他のコンビ名候補としては「わたこ」、「ワークブーツ」などがあった。
  • 本人たちは、「アンジャッシュさん」が言いにくいため「アンジャッシュ」という名前を気に入っておらず、機会があれば改名したいと白黒アンジャッシュ で語った。
  • デビューしてから間もなくして『ボキャブラ天国』に出場した。しかし、キャラの濃さや瞬発的な笑いが重視される同番組では、彼らの持ち味である巧みな芸風を生かす事が出来ず、1ケタ得点ばかりの万年チャレンジャーと言う低迷の時代を送る(『歌うボキャブラ天国』では好成績を残している)。
  • しかし、後に出場した『爆笑オンエアバトル』では実力を遺憾なく発揮。高い評価を受け、第5代チャンピオン、オーバー500を8回マーク(歴代最多)など好成績を残した。一時期平均511キロバトルだったことがある。二人もこの番組の存在は大きかったとコメントしている。その後、『エンタの神様』『笑いの金メダル』などにも出演し、『笑いの金メダル』では高い評価を受け、金メダルを2つ獲得した。
  • 所属事務所のプロダクション人力舎の若手芸人の中では1番芸歴が長い為、リーダー的・兄貴的存在として活躍。なお、名前が似ているため混同されやすいアンタッチャブルは同じ事務所の後輩である。よくアンジャッシュブルなどと間違われていたらしい。また、事務所は違うがアンガールズ と間違われることもしばしば。
  • NHKの『ポップジャム』の司会をT.M.Revolution 西川貴教 と共に2005年4月~2006年3月の1年間務めた。
  • 本人達は、キャラに特徴が無いのを悩んでいる。ギャオマガジンで鈴木おさむとの対談で語っていた。

代表作

  • 音響ネタ
    • 「ピーポー君」(警視庁 の「ピーポくん 」より)や、「キュータ君」(東京消防庁 のキャラクター)、「トレイン君」(架空の鉄道警察キャラクター)など。
    • 「渡部お兄さん」とマスコットの会話で構成される小学生向けの交通安全教室(キャラクターにより防火教室などに替わる)。マスコットの声は音響係の児嶋がサンプリングマシンに収録された決められたパターンをタイミングに合わせて流すと言う設定。だが児嶋は今回が初仕事、同僚の替わりで急遽来た、遅刻してリハーサルができなかったなどの理由で操作ミスをし、間違ったパターンのセリフをマスコットがしゃべってしまう。それでも会話の意味が通じてしまうため大変なことになる。
    • また、ヒーローショーで渡部がヒーロー役、児嶋が音響係をするというネタもある。
  • バカAD児嶋
    • AD の児嶋が、ディレクター への昇進をかけて、映画や飲み物のCM・通販番組などを作成し、それを渡部ディレクターが確認する。しかし児嶋の作る番組は毎回とんでもないもので、最終的には「全部やり直し!」と言われる。
    • ここから派生して、防犯カメラの映像を2人で確認する、というネタもある。
  • それぞれの会話
    • 「偶然近くにいる見知らぬ2人」という設定の渡部と児嶋が、別々の相手に電話をしているのだが、それぞれの会話が組み合わさって、あたかも渡部と児嶋で会話が成り立っているかのような光景になる。


出演

バラエティ番組

CM

ドラマ

舞台

ミュージックビデオ

  • Sowelu 『I Wonder』(2007年1月) - Sowelu本人出演のプロモーションビデオ。

著書

  • ザッツ「アンジャッシュ」メント

DVD

  • アンジャッシュ~クラダシ~
  • アンジャッシュ単独ライブ~THIRD EYE:開~
  • アンジャッシュネタベスト
  • 爆笑オンエアバトル(アンジャッシュ9ネタ収録)
  • 白黒アンジャッシュ

外部リンク


はい!以上です。

あの絶妙なコント仕掛けが人気なんでしょうね。うん。

じゃあ動画貼ってきますか。

アンジャッシュ「仲の悪いコンビ」

アンジャッシュ「極秘情報」

アンジャッシュ「新婚旅行の写真」

こんなもんでしょうw

じゃ、明日は

水10!っすw



昨日の問題?分かったでしょうか??

インパルスです!あの豚野郎があんな美人な人とね・・・。

さて情報行きますか!



メンバー

兵庫県 宝塚市 生まれ、埼玉県 志木市 で育つ。B型。身長 168cm、体重 48kg。(プロフィール上48kgだが最近筋肉質になり、54kg(本人談)ボケ 担当。
志木第2中学校 卒業
中学時代はサッカー 部で汗を流す
獨協埼玉高等学校 卒。
2000年、フジテレビ の番組「新しい波8 」のオーディションでネタを酷評され、ノイローゼになるほど落ち込んだという。
2004年、「マンスリーよしもと 」の「吉本男前ランキング 」でガリガリの骸骨と言われていたが5位に輝いた。と、同時に「友達にしたくない芸人」2位に輝いた。
2006年、「マンスリーよしもと」の「吉本男前ランキング」でキングコング 西野亮廣 に次ぐ5位。
今は週に5回、ルミネの1ステと2ステの間でも行く位ボクシング にハマっている。
神奈川県 横浜市 出身。RhマイナスのB型 。身長174cm、体重80kg。ツッコミ 担当。
武相高等学校関東学院大学 中退
ハンバーグ など、こだわって料理をする。(2006年 ヨシモトファンダンゴTVヨシモト∞ 」)
日本テレビ踊る!さんま御殿!! 」(※2006年10月17日 放送)に於いて、モデルの土岐田麗子 が堤下に対して「好きです!」と本気で告白し、さんま を含め茶の間の視聴者を驚かせた。

略歴・概要

  • 東京NSC の4期生。1998年 12月 にインパルスを結成。同期にはロバート森三中POISON GIRL BANDコンマニセンチ など。
  • NSC時代は板倉がBコースの7番、堤下がBコースの38番だった。
  • 舞台では漫才 も披露するが、コント がメインである。ボケの板倉が演じる様々なキャラクターに堤下が鋭いツッコミを入れるスタイルで、ありふれた設定の中に非日常なキャラクターを投入して意外性を生むパターンが多い。ある種シュール世界 が高く評価され、「はねるのトびら 」(フジテレビ 系)のコントの土台になったネタもある。
  • 以前2人はビジュアル的に地味と言われていたが、2003年から「エンタの神様 」(日本テレビ 系)に出演したこともあってブレークする。しかし、「笑いの金メダル 」(テレビ朝日 系)には、一切出演していない。この背景には、「爆笑問題のバク天! 」(TBS 系)で太田光 が「笑いの金メダル」と「エンタの神様」を「クソ番組」と評し、インパルスの2人がその意見に賛同した経緯があり、多忙という理由もあるが、エンタの神様への出演も減ってきている。
  • 最近は内村光良 と共演機会が多く、可愛がられている模様。また、インパルス側からも「クイズ発見バラエティー イッテQ! 」(日本テレビ系)にて、板倉は「内村さんと仕事すると、やりやすいんですよ」と内村が居ない所で発言していたと飯島愛 に暴露される。

出演メディア

テレビ番組

ラジオ番組

DVD・ビデオ

  • 「はねるのトびら」
  • 「はねるのトびらII」
  • 「はねるのトびらIII」
  • 「はねるのトびらIV」
  • 「おちゃらけソーセージ」
  • 「球根」
  • 「球根2」
  • 「非売よしもと本物流」レンタル専用。HMVでも販売あり。

 2005年7月号・赤版には板倉主演ショートムービー「THE ZOMBIE TEACHERRRR」
 2005年8月号・赤版には板倉監督・主演ショートムービー「囚人29号」を収録。
 2005年10月号・赤版「デブだらけの大運動会」
 2005年12月号・赤版「デブだらけの大運動会2」では板倉が司会・堤下が競技者
 2006年3月号・赤版「芸人の休日のススメ」板倉の部屋に芸人が集まり、板倉の考えた「芸人人生ゲーム」で盛り上がる。

写真集

コマーシャル

 はねるのトびらにて、自動車、MINIBANに出演。

TVドラマ

関連項目

外部リンク


はい。
最近エンタに出ない理由も分かり、
本当にウィキペディアさんは便利です。。
じゃあ動画貼りますか。

インパルス「ラーメンの特番」

インパルス「インターネット自殺」

インパルス「閉店10分前」


以上です!明日は、

イケメンコンビです!!

はい。どうも!

昨日のクイズ分かりましたか??

80%位の人は分かったでしょうw

なんと言っても、藤原紀香さんとの結婚でしょうね。

最も勢いも幸せも人気もあるピン芸人ですね。

さぁ、べた褒めも終わりにして、情報行きますか。


人物

吉本興業 大阪本社所属。大阪NSC 11期生。同期には中川家たむらけんじケンドーコバヤシハリガネロックルート33 堂土、吉本新喜劇の烏川耕一 などがいる。

尚、ココリコ藤井隆 らはデビュー年は一緒ながら、こちらがわずかに先であるため陣内側が後輩扱いとなる(学年的にも陣内の方が2つ下)。

クリエイターの原田専門家 (彼も同じくNSC11期生)と共に作った映像や音声を駆使したネタツッコミ を入れるという、ピン芸人として今までに無いスタイルを確立。

3人兄弟の末っ子(兄と姉がいる)。

視力が悪く(両眼共に0.05であった)、以前はコンタクトレンズメガネ を使用していたが、2007年 4月にレーシック の施術により視力が両眼とも1.5にまでなった。

タイガースファン? (角淳一との舌戦)

ちちんぷいぷい 』の司会者である角淳一 とはいつも舌戦を繰り広げていた。プロ野球 阪神 応援番組『週刊トラトラタイガース 』(読売テレビ )の司会に抜擢されるも、実は巨人 ファンとの噂もある。本人は阪神ファンだと主張しているが、阪神に関する知識に曖昧な点も多く、松村邦洋ダンカン は陣内は本当は巨人ファンだと主張している。もっとも、この主張に関しては自分達の阪神キャラとしての地位を陣内に奪われるのではないかという危機感によるものとの声もある。私生活で赤星憲広浅井良 や阪神タイガースの若手選手との交流があり、元関西テレビ アナウンサー梅田淳 の話によれば、陣内の結婚話が噂になった当日、梅田が阪神の赤星憲広に知らせたところ、赤星は「私、相当前から知ってましたよ」との返事が返ってきた。

タイガースファン?説は元々陣内が上記の通り週刊トラトラタイガース の司会に抜擢された際、当時同世代の芸人仲間の中では仕事面で頭一つ抜けた存在だった陣内を芸人仲間がやっかみ混じりで芸人特有のノリとして言い始めたことが発端と思われる。週刊トラトラタイガース 出演以前に陣内がどこの球団のファンだったのか、阪神あるいは巨人どちらにせよ確証がなく、民放各局のアナウンサーがどこの出身地に、限らず入社とともに表面的にはテレビ局の地元球団を応援するように、あまり追求しても意味がないことだと思われる。週刊トラトラタイガース 出演以降、陣内は長期に渡って阪神タイガース を応援しており、また選手との交流もあることから現時点ではタイガースファンと判断しても良いだろう。

苗字について

名前の良く似た俳優陣内孝則 や、元バドミントン 選手の陣内貴美子 らとの血縁関係はないが、彼自身の実兄が"たかのり"という名前で、漢字では陣内孝則と一文字違いである(関西ラジオ番組 では定番ネタで、日本テレビバラエティ番組カミングダウト 』などで全国的に明らかに)。また、智則・孝則・貴美子の三人で、関西テレビ の『陣内家』という単発番組で共演を果たしている。また、陣内の祖母が死に際に「うちの親戚には役者がいる」と陣内孝則 との血縁関係がある主旨の発言をしたという噂があるが、陣内の祖母は生きている。

経歴

NSC入学から「リミテッド」時代

地元の同級生と一緒にNSC大阪校の11期生として入学。同期は、中川家・ケンドーコバヤシ・たむらけんじ・ハリガネロック等。卒業後、その同級生と2人で「リミテッド 」と言うコンビを結成(このコンビ名は陣内が「限界」という意味の「リミット」と間違って名付けたものである。「リミテッド」は「制限された」「わずかな」という意味の言葉であるが、本人は指摘されるまでこの勘違いに気付かなかったという)。心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動をスタートさせる。しかし当時の「リミテッド」は「2丁目劇場で一番おもんないコンビ」と言われ、余りのつまらなさに一時期はファンの間で「リミテッドを見ると不幸になる」とまで言われた。(しかし、そうは言われながらもファンの間では愛されていたという)結果コンビは、結成3年後の1995年 9月に解散。相方は芸能界自体をも引退してしまった為、陣内自身はピン芸人への転向を余儀なくされる。

ピン芸人としての再出発

リミテッド解散時、年末の若手ネタ番組「オールザッツ漫才 」出演。若手芸人のトーナメント戦で欠員が出た為(相方の突然の不参加による)、陣内が急遽、進行役のオール巨人との協議の結果、1人でネタを披露するという場面があった。センターマイク前に1人で立ち、一発ネタを1人でただしゃべるだけだったが、なぜかウケにウケまくり、3回戦まで進出してしまった。しかし「リミテッド 」解散のショックからなかなか立ち直れないでいたなか、ある日吉本側から「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と、ついに“最期通告”を受ける。プレッシャーからネタ作りもままならず、開演数分前にようやく完成。そのイベントで今までに無いぐらい評判が良かったため、会社の彼に対する評価も一変。次々と仕事が舞い込むようになる。しかし「ネタは面白いのにしゃべりは絶望的」など批判も多かった。1999年 10月スタートの情報番組「ちちんぷいぷい」(毎日放送 )の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日のかつての人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西のおばちゃん層への知名度も徐々にアップ。深夜のバラエティ番組「クヮンガクッ 」(同)での"レシートすごろく"(梅田 をスタート、難波高島屋 をゴールに設定し(その距離はわずか数キロ)、道行く人にレシートを見せてもらい、そのレシートのお店へ行かなければならない。すぐ終わると思いきや日本のあちこちに飛ばされた。ロケ期間約5カ月、その距離15000km以上。東京から北九州を経て沖縄へ飛ばされ、ようやく大阪に帰ってきたと思いきや、次の人に北海道・千歳空港内の店のレシートを渡されたり、カナダの店のチケットを渡されるなど(これはプロデューサー会議の末、予算の都合で無効となった)、予測不能のハプニングが相次いだが、そのおかげで番組の人気コーナーとなる。ゴールは大歓声をもって迎えられた)は、その後「ノブナガ 」(中部日本放送 )で人気となったコーナー「地名しりとり」をはじめ、各局で類似の番組が多く制作されている伝説的企画となった。

baseよしもと時代

1999年baseよしもと がオープン。FUJIWARA 、シャンプーハットらとともに後輩らをまとめる役を買って出ることに。また、この頃から番組やイベントなどでの司会を任されるようになるが、そのなかでも圧倒的に毎日放送での仕事が多い時期があった。そのため、彼は「MBSの若獅子」「MBSと言えば陣内智則」と言われ、ケンドーコバヤシには「(当時同局アナウンサーの角淳一に媚びているのではないかという冷やかしで)角智則に改名しろ」と言わしめたほどであった。

また、2ちゃんねらー から「陣内志ね!(「死ね」ではない。「志」は、「氏」など"し"の読みをする他の漢字に変わることもある)」という"称号"を頂くようになった。これは、過去にオールザッツ漫才やbaseよしもとのイベントなどで、たむらけんじケンドーコバヤシ らが自分に比べて"売れている"陣内のことを「陣内死ね」と揶揄したことを半ば悪ふざけで使っているものであり、決して忌み嫌われているわけではなく、寧ろ陣内に対し好意的なイメージを持っている場合に使われる。

base卒業後

現在はbaseよしもとを卒業し、うめだ花月ルミネtheよしもと などで活動。また、2003年 に「エンタの神様 」(日本テレビ )に出演して以来、東京での仕事も増えているが、現在の彼の活動は平日は大阪で仕事をし、木曜日に「なるトモ! 」の生放送と同番組の金曜分の収録が終わるやいなや、午後から新幹線飛行機 で移動し東京で番組収録(「エンタの神様 」など多数)や、ルミネtheよしもとの公演をこなしている。また、朝日放送 の日曜正午枠の「日曜笑劇場 」には、『開運コメディ 今日も大吉!パンパンパン 』からフットボールアワー らとともにレギュラー出演(主演)するようになり、『なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ! 』にも、引き続きフットボールアワーらとともにレギュラー出演(主演)している。

2004年 からは、声優など他の仕事も舞い込むようになった。 映画犬夜叉 紅蓮の蓬莱島」(2004年 12月23日 公開)では声優 デビューを果たす。が、本人は原作を「読んだことがない」「 が戦うマンガ ?」とラジオで発言してしまう。また、実写では2005年 に公開された映画「ビートキッズ 」(HUNGRY DAYS相武紗季 ほか出演)に、半ば無理やり"大学生D"というエキストラで出演。テレビコマーシャルでは、兼ねてから好きだと公言していたゲームソフト桃太郎電鉄 」(ハドソン )の新シリーズ、「桃太郎電鉄USA」のコマーシャルに出演(若槻千夏Psycho le Cemu と共演)。これが自身初のCMとなった。2005年 4月4日 、5年2ヵ月レギュラー出演していた関西ローカルの情報番組、「ちちんぷいぷい」を卒業した。 その後すぐ、日本テレビ系列の番組「ミンナのテレビ」・「世界!超マネー研究所」でレギュラー出演が決定。 両番組は2005年4月から9月まで放送されたが、それ以来、陣内は司会の立場で、全国区や関西ローカルのテレビに出演することが多くなってきている。また、関西ローカルで放送されている「なるトモ! 」が2005年10月3日 から日本テレビ、中京テレビ広島テレビ熊本県民テレビ でもネットされるようになった。 2005年12月、映画「ブラック・ジャック  ふたりの黒い医者」の声優も務めた。 爆笑オンエアバトル では初出場にして、元番組最高記録537KB(満点で545KB)をたたきだした。(後にますだおかだ が満点で記録更新。)その後16戦16勝という高記録でゴールドバトラーにのぼりつめた。

また、2005年12月31日 開催の「輝け!ネタのグランプリ」で優勝し賞金1000万円を獲得した。このことから関西番組を中心に1000万取ったことでイジられることが増えている。

2006年 1月19日 放送の「なるトモ! 」で番組開始から約1時間の遅刻をしてしまう。「陣内智則のひとり番長 」生放送終了後、東京から大阪へ向かう新幹線で熟睡、下車する新大阪駅 を乗り過ごしたことが直接の原因。この一件は大阪版スポーツ紙などでも報道された。くわしくは「なるトモ! 」の項を参照。

藤原紀香 との出会い・結婚

2006年 4月に、日本テレビDRAMA COMPLEX59番目のプロポーズ 」にて陣内は、藤原紀香と出会うことになる。 ドラマ収録後の打ち上げの席で、陣内は藤原に手紙を渡し、そこから二人のお付き合いが始まる。

7月14日ヨシモト∞ で、急性扁桃炎 にかかっていると告白。声が出なかったためエンタの神様のスタッフに病院に連れて行かれ、ステロイド 注射を打ったという。しかし、結局声は出ず「2年間ずっと眠い」という注射の副作用 だけが残ることになった。なおこの日に藤原が渋谷 ∞ホールまで自分の料理したサムゲタン を届け扁桃炎で弱った陣内を元気付けた。(「恋のかま騒ぎ」より)

2006年 末になって藤原との結婚の話でメディアに注目され、12月10日 神戸市 内の生田神社 で結納を交わし、2007年 2月17日 に同神社で挙式(結婚式には、同期のケンドーコバヤシたむらけんじ やなるトモ!で共演するなるみ海原やすよ・ともこシャンプーハット 小出水らが出席した)。この挙式の模様は、同日16:20-16:55によみうりテレビ が放送(他には熊本県民テレビ(KKT)がネット)し、関西で18.2%という高視聴率を挙げた。交際をするにあたり、なるトモ!に出演している芸能リポーター駒井千佳子 に相談していた。翌日に出演した「ルミネtheよしもと」では、生田神社の様な規制(但しコント出演中の写真撮影禁止)もなく、素でコントをしている所が見れたり、「ルミネtheよしもと」と「映画の試写会」では、「おめでとう」を言う人が多かった。また、結婚により藤原紀香の本名が「陣内紀香」となったが、藤原の方が全国的な知名度が高いため、テレビ等のネタで「藤原智則さん」と呼ばれたり、「いつ藤原姓になるの?」などと言われている。また、結婚を機に東京の藤原の部屋に引っ越し、「なるトモ!」の放送及び収録がある毎週月曜~木曜は片道3時間にもわたる新幹線通勤を試行している。

2007年 4月10日加古川市 役所にて共に婚姻届 を提出し正式に夫婦となった。

出来事

  • 2005年6月13日放送の行列の出来る法律相談所 で、女優・田丸麻紀 と交際宣言をしメールアドレスの交換も済ませニュースでも話題になったが、田丸からの返事はいつもそっけない返事ばかりだった。ある日ワイドショーに出演していた田丸に報道陣が「陣内さんと恋なんてことは?」と聞くと「それはないですね」と発言し、それをテレビで見ていた陣内は同法律番組で自身が相談者となって慰謝料を請求した。(これは陣内が田丸と交際するために、その頃交際していた彼女をテレビであっさり振ったところ、ファンやめますというファンレターが大量に届いたり、ライブを開いても空席だらけであったため。)※詳細は外部リンク
  • 生来の「天然」のせいで、2丁目時代には同事務所の千原兄弟サバンナ など先輩・後輩問わずいじられまくっていた。特に親友のケンドーコバヤシ は、陣内の家に泊まりに行って、「朝起きたらメガネを台所で炒める(それを見た陣内はメガネが炒められていることではなく、「お前かってに火を使うな!」と、かってにコンロを使っていることに怒った)」「メガネをマジックで真っ黒に塗る(その眼鏡をかけて陣内が最初に言った言葉は「世界終わった!!」)」「真夏に暖房をつけて寝ている陣内が出られないように外から玄関を封鎖する」などいじられっぷりは類を見ない。
  • 営業などにおいては、一時期、コンビでもないのに同期のケンドーコバヤシとのセットが多く、周りもコンビと見紛うほどであった。彼とはプライベートでも息がピッタリ合っている。
  • ある特番の収録中にツッコミのつもりでガッツ石松 の頭をたたいたところ、ガッツは怒ってしまった。その後ガッツに謝罪して和解が成立したが、今でもガッツには頭が上がらないようである。
  • すんげー!Best10 」の中でしましまんず池山心 が、当時ピン芸人として瀬戸際に立たされていた陣内をネタに歌を作り、これが大うけしたことがある。歌詞は以下の通り。
♪ 陣内、君は支配人に「辞めろ」って言われたね。
だけど君は、その後こう言っていた。「支配人の方が辞めればいいのに」って。
負けるな陣内 君なら絶対できる 絶対できるよ、サラリーマン
負けるな陣内 君なら絶対売れる 絶対売れるよ ジャリズムが
ABCDEFじんな~い
  • ロンドンハーツ で陣内は携帯電話の電話帳で藤原紀香の事を「姫」と登録している事が分かった。
  • 2006年 9月17日 放送の「陣内智則のイケメン5in豪州 」という番組で、後輩芸人のチュートリアル徳井がゲームに負けて、高さ50mからのバンジージャンプを飛ぶことになったが、徳井は恐怖で飛ぶことができず、番組成立のため自ら名乗り出て代わりにバンジーを飛んだ。また同日行われた、仲の良い後輩芸人ビッキーズ 須知 のために彼の結婚式の披露宴の司会を行った。

今日は、藤原紀香さんとの結婚秘話のおまけつきですw

そうそう、陣内さんはかなりのド天然らしいっすよw

ファミコンの、白いところが米で、赤いスイッチのところが福神漬けだと思ってカレーをかけたらしいですよwww


じゃ最後にネタ動画を・・・。

陣内智則「英会話」

陣内智則「テスト中」

陣内智則「パワフル頭脳ゲーム」

陣内智則「ボーリング」

陣内智則「自動車教習所」


今日は5個のサービスですw

明日は・・・。JJモデルと付き合ってやがるwwあのコンビですw





ども!!

順調に訪問者が上がってますなw

「あざ~す!!」

そんな気持ちも込めて更新する今日この頃・・・。

アンタッチャブルの柴田。眼鏡か、コンタクトかどっちなんでしょうね??

疑問も持ちながら情報行きますか~??


メンバー

  • 山崎 弘也 やまざき ひろなり)-1976年1月14日。B型。埼玉県出身。(ボケ担当)
  • 柴田 英嗣 しばた ひでつぐ) -1975年7月15日。B型。静岡県出身。(ツッコミ担当)

略歴

プロダクション人力舎 が運営するタレント養成所、スクールJCA の同期(3期生)。1994年結成。旧コンビ名はある先輩が勝手に考えた“シカゴマンゴ”だったが、本人たちが気に入らなかったため、現在のコンビ名に改名した。コンビ名の由来は、そのころ山崎が好きだった映画『アンタッチャブル 』から(ちなみにこれは山崎が独断で決めたため、柴田は当初、“アンタッチャブル”が自分たちのコンビ名だと気づいていなかった。柴田は「シカゴマンゴ」でコンビ名は決まったと思い込み、初ライブに「シカゴマンゴ」の名前が入ってなかったことから「このライブには出られない」と思っていると、スタッフから「アンタッチャブルさん」と呼ばれ、初めて山崎がコンビ名を変えたことに気づいた)。 芸人の同期にはロンドンブーツ1号2号DonDokoDonふかわりょうダイノジ などがいる。

1990年代半ばは、「ボキャブラ天国 」シリーズに出演。

1990年代後半~2001年には、くりぃむしちゅーアンジャッシュ と3組によるユニット「ゲバルト一族」の、オムニバスライブで人気を博した。

1999年、「爆笑オンエアバトル 」に第2回から出演。毎回高得点をマークし、注目を集める。第4回大会を除くすべての大会でファイナル出場をするも、毎回チャンピオンを逃していたが、2004年3月の第6回チャンピオン大会で優勝を果たした。(その年に出場した北見 収録では、2004年度1位・歴代2位・自己最高の541KBを獲得)

2003年のM-1グランプリ 決勝では、敗者復活戦を勝ち上がって最終決戦にまで残った(結果は3位)。そのパワフルな漫才の技量が話題となり、以来、お茶の間の人気者となる。そして、最有力優勝候補と言われた翌2004年のM-1グランプリ では見事に優勝を飾り(東京の芸人としては初の優勝であった)、賞金1000万円を手にした。そこから出たギャグが山崎が言った『謙虚芸人』。所属事務所の人力舎 はこの優勝賞金をあてこみ、事務所をリフォームした。その後の特番で事務所に取られた金額を差し引いた600万円を2人で分けた額300万円が柴田に渡されたが山崎には過去のお礼や借金などでくりぃむしちゅー 有田の書いた領収書と300枚の10,000と書かれた紙の束を渡される(これはあくまでギャグであり、その後控え室でこの時司会を務めた木村祐一 から現金で300万円を渡された。)。

また、このときの賞金は借金返済に充てたと思われていたが、賞金をもらう前から細々と返済しており、賞金をもらってから葉巻を吸うなど贅沢をするようになったことを、笑いの金メダル で暴露される。

2004年10月から「クイズプレゼンバラエティー Qさま!! 」にレギュラー出演(ただしプレゼンをしない週もあり)し、見事「Qさま!!」判定を5個獲得。その特典として2005年5月26日からさまぁ~ず と2週間だけ司会を交代した。又、同番組で「ダメQ」判定を5個獲得してしまい、その罰ゲームとして偽ヤクザの宴会に参加するというドッキリにかけられた。

2004年にドリームワークスアニメーションの映画マダガスカル の日本語吹替え版に2人そろって声の出演。声優としての評価も高い。

2005年4月から「いきなり!黄金伝説。 」にレギュラー出演。この番組内では4回(2007年4月現在)伝説を行った。1回目「旬のマグロを1匹食べ尽くす旬なコンビ」、2回目「にんにくだけで10日間生活するコンビ」、3回目「人気芸人節約バトル 1ヶ月1万円生活 最強No.1コンビ決定戦」、4回目「1週間クリームシチューだけで生活するコンビ」。

特徴・エピソード

  • 芸風については、トーク番組などで褒められると山崎は手を横に振りながら後ろを向き「いやいやいやいや」と乗せられるリアクションを取ることが多い。それに対し、柴田は当初ツッコんでいたが、のちに揃って「いやいやいやいや」と言うようになった。また、ネタを披露する際に客席から拍手が出ると「気を使わなくて良いですよ」などと言うことがある。 
  • M-1グランプリ2003の敗者復活で勝ち残れるとは思っておらず、その前日二人は別々のところで徹マンをしていた。なお、敗者復活決定時、おぎやはぎの小木は本人ら以上に喜び、最終決戦進出決定後には入ってはいけないのに出演者控え室に入ってきてしまったらしい。
  • M-1グランプリ2003では最終決戦で1票も入らず3位に終わったが、審査委員長の島田紳助から「来年は本命じゃないかと思うくらい凄かった」と賞賛を受けた。なお、島田紳助は優勝者インタビューの際の大会総括でも「人力舎は地味な漫才やるコンビばかりだと思っていたけど、やつらは凄い」とコメントを残している。
  • 何気ない言葉のイントネーションを少し変えて、面白くする事があり、「M-1グランプリ2004」では「だけど~?」の一言で観客から拍手が起るほどの笑いを誘った。ビートたけし からは「アンタッチャブルの言っている事は面白くないんだけど、何か面白い。」と言われている。
  • 略歴にも少し書かれているが、「M-1グランプリ2004」が開催された当初(予選)の頃は、所属事務所の人力舎はあまり期待をしていなかった。しかし、いざ決勝進出が決まると急に優勝を期待し始め、ついにはM-1決勝の2日前に賞金を当てにして事務所の改装工事が行われた。しかしその反面、M-1決勝のネタ合わせに事務所の稽古場を使わせて貰いたい、という二人の要望は受け入れなかったらしい(しかたなく二人は近所の公園でネタ合わせをしたらしい)。
  • ロンドンハーツ のコーナー「タレコミ奉行」で、山崎が合コンで女の子に無理やり自分の乳首を触らせていた事が分かり、番組内で罰を受けた。
  • ネタ作りではまず、柴田がツッコミを先に作り、山崎がそれに合わせてボケを考えるという不思議なネタ作りをする。このことはロンドンハーツ のコーナー「カミングアウト温泉」や「アメトーク」でも明らかにされている。実際、TBSラジオのJUNKアンタッチャブルのシカゴマンゴ 」では、「ツッコミ先行宣言」というコーナーがあり、柴田がツッコミを発表しボケの部分を聴取者から募集しているコーナーが存在する。
  • 伊集院光 との交流が深く、「ゲームwave (テレビ東京)」や「伊集院光 深夜の馬鹿力TBSラジオ )」など伊集院の深夜番組に準レギュラーとして頻繁に出演し、伊集院と息の合った掛け合いを見せた。その伊集院光とは現在も親交が厚く、伊集院主催の若手芸人野球チームの合宿には、当日の深夜にJUNKアンタッチャブルのシカゴマンゴ 」の放送があったにも関わらず参加した(2006年08月10日放送より)。その際に、伊集院の「ラジオはあくまで生放送で」(「草野球という私事で、本来は生放送の番組を録音放送で代替させてはならない」)という意向と両立させるために、合宿所の近くにあった茨城放送 のスタジオとTBSラジオ を繋いで番組を生放送するという「離れ技」も行った(茨城放送が同番組をネット受けしているわけではなく、そもそも同番組はこの地域では放送されていない。茨城放送ではニッポン放送 の「ナインティナインのオールナイトニッポン 」が同時間帯に放送されていた)。また、急遽スタートしたJUNK 交流戦スペシャル (クール途中で終了となった金曜JUNK極楽とんぼの吠え魂 」の代替番組)では、第1回放送で伊集院と緊急共演した。
  • カンニング竹山隆範 との共演や絡みが多い。竹山が出てきたときの山崎のリアクションは大抵、「なぁんだ、竹山さんか!」である。仲の良さから「コーヒー買ってきて」などと竹山に頼むこともあるらしいが、竹山から「俺ら(相方である中島忠幸 も含めて)お前らの年上で先輩だからね」とJUNK放送中に釘を刺される。
  • 若槻千夏 とユニットを組み「チナッチャブル 」名義でCDをリリースしている。
  • 山崎がかなりの大顔なのに対し柴田はかなりの小顔のため、番組内で出演者やゲスト等に2人の顔の大きさについてコメントされることがある(2人とも身長は同じ168cmであるため比較がしやすい)。山崎曰く「本当なら身長が2mなきゃいけない」とのこと。
  • くりぃむしちゅー との仲が良い。特に有田哲平と山崎は親友で、有田が多忙となった現在、ぐるナイ の人気コーナー「かぶっちゃYa~yo!」には有田に代わって山崎が同コーナーに出演するようになった。

出演している番組

テレビ

不定期放送

ラジオ

過去に出演していた番組

テレビ

お!!柴田静岡出身なんですね~。俺と同じですよw

あのテンションが人気の要なんでしょうね。うん。

じゃ、動画貼っていきます。


アンタッチャブル「同窓会」

アンタッチャブル「息子の万引き」

アンタッチャブル「君はクビだ!」


こんなもんでしょうw

明日は今最も幸せな芸人ですwさぁ、当ててみよう!


どうもw

さぁ、始まりました。お笑い情報所!!

と言ってもウィキペディアさんがなきゃ成り立ちませんがw

今日はおそらく、日本一忙しいコンビタカアンドトシです!!

いやぁ、知らない人は居ないでしょう。うんw

じゃ、早速情報行ってみYO!!


メンバー

経歴

  • 中学時代にコンビを組む。コンビを組む切っ掛けとなったのは、タカが通っていた中学校にトシが転校してきたことから。お互いに違う高校に進学するも、週末にはお互いの家でネタ作りを続けアマチュアとして活動。高校3年生の時に吉本興業札幌事務所 主催のオーディションを受け、本格的にプロとして活動を始める。(吉本では次長課長 などNSC 13期がほぼ同期にあたる)
  • 当初は「北海道のお笑いを盛り上げよう!」を目標に、後輩のBコースアップダウン らが次々と東京に進出する中、ローカルに根ざした堅実なお笑いで、今の札幌吉本の礎を築く。
  • 「欧米か!」のフレーズで有名だが、「欧米か!」の由来は漫才のツッコミのセリフからであり、「高校の旧友と再会」という漫才のなかでトシが「欧米か!」と頻繁にツッコむパターンがフィーチャーされたことから。そしてこのフレーズを足がかりにして2006年は結成以来最も忙しくなり、最高の年になった。
  • 平成18年4月~9月に放送された東海テレビの「音楽魂! 」において、初のMCに挑戦した。また2007年4月から放送される同番組の「タカアンドトシの音楽魂か! 」は初の冠番組となる。

受賞歴

芸風

  • 最初は普通の掛け合い漫才だったが、「面白いけど、何かが足りない。」と言われ続けたため、現在のトシが連続で「○○か!」(欧米か!・女子か!・子供か!など)とつっこむパターンを生み出した(だが最近でも極稀に普通の掛け合い漫才もする)。最近では「○○か!」のネタを量産しているため「芸が荒くなった」、「普通の掛け合い漫才の方が好き」などの批判や意見もある。これ以外に、「笑っていいとも! 」などゲスト出演の時は、ショートコントを披露する時もある。
    • この「欧米か!」はお笑いでは明石家さんまとんねるずナインティナイン岡村隆史ウッチャンナンチャン 、落語界では、三遊亭楽太郎 、お笑い以外ではSMAP中居正広香取慎吾丸山和也吉幾三 など色々な芸能人に気に入られている。しかしさまぁ~ず の三村とかぶっているのか「欧米かよ!」と真似られることもあった。「欧米か!」以外にも「○○か!」には色々な種類がある(「昔か!」「大人か!」「子供か!」「女子か!」「居酒屋か!」など)。
    • 中盤からタカがトシに対してネアンデルタール正岡子規ガンジータピオカクリリン などと茶化したり、ゴロの似たパターンやツッコミボケを披露する(「欧米」→「南米」、「女子」→「上司」など)。ちなみに、この時トシは上を向いている事が多い。
    • また、ネタの中盤から終盤まで韻を踏んだツッコミボケをする(「子供か!」のツッコミに対して「衣か!」や「児玉 か!」など)。加えて、オチでは2人で同時にツッコミを入れて終わる場合もある。
    • この形式で漫才を作る際はツッコミのフレーズ(「○○か!」の○○の部分)を先に作ってから、それに合ったボケを付けるという形をとっている。
    • このスタイルを確立するまでの漫才もかなり評価されていた。爆笑オンエアバトル では無敗。M-1グランプリ では開催開始の2001年から連続で準決勝へ進出。2004年のラストチャンスでは遂に決勝へ進出し笑い飯と同率4位へ輝いた。

逸話

  • 遠足のネタのオチは2種類ある。1つは「迷子になった後藤君が陰からひょこっと水死体で発見され、先生が『OH MY 後藤』と言う」。もう1つは「迷子になった後藤君が陰からひょこっと出てきて『恥ずかしながら帰って参りました』と言って敬礼する」。前者は爆笑オンエアバトル で9回目の挑戦の時(結果:453KBで2位通過)などで披露。後者は爆笑オンエアバトルで16回目の挑戦の時(結果:509KBで1位通過)など。今では殆ど後者を使用。
  • テレビで披露する漫才の他にも単独ライブ等ではコントも披露する(ちなみにエンタの神様 でのコントでは漫才と同じように「○○か!」ツッコミをやっているが、単独ライブ等で行うコントでは「○○か!」はほとんど出てこない)。他にも2006年6月の漫才ツアーでは「ナルシスト漫才」「噛んだら終わり漫才」なども披露(このツアーで披露した「英語漫才」は2006年10月1日 放送の笑いの金メダル2時間スペシャル内のコーナー「ボケモン」で披露)。
  • 「○○か!」だけでなく、「そーなんだ」という新ネタもある。
  • タカがよく着ている服のライオンの絵柄は、タカ本人がデザインしたもの。
  • 2006年10月に発売したDVD の「タカアンドトシ新作単独ライブ タカトシ寄席 欧米ツアー2006」が6万枚以上のセールスを記録。番組をまとめたもの(ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! など)以外では2005年2月に発売したアンガールズ の「アンガールズ 単独LIVE ~88~」4万超え以来の快挙。
  • 最近はタカのつく嘘もネタになってきている(島田紳助ロシア 人っぽいと言われ、お父さんがロシア人、と返すなど。直後にトシが「欧米か!」と突っ込む)。その嘘は特徴があり、実際にあったかのような嘘である。
  • お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル 」でタカは歌がうまいがトシは下手だということが分かった。
  • 同番組の2回目の出場時にはトシがハモリを失敗して、3回目の出場の時には「トシに歌わせたから負けた」というようなことをMCたちに言われた。
  • いきなり!黄金伝説。 」(テレビ朝日系 )でのカラオケで100点を目指すというコーナーにタカアンドトシが挑戦したところ、周囲の予想に反して最終的に100点をとったのはタカではなく森山直太朗 の「さくら」を歌ったトシで、同曲を14回も歌ってやっとのことだった。
  • 先輩として次長課長 河本を慕っているが、実はほぼ同期である。(年齢は下)
  • 札幌吉本出身であるためか、福岡吉本出身の博多華丸・大吉 と何かにつけ比較される。
    • 両者共、吉本興業の地方事務所の1期生であり、看板タレントであった。タカアンドトシは吉本興業札幌事務所開設時のオーディションを経て、1994年に1期生としてデビューし、やがて札幌吉本を担う主力芸人となった。華丸・大吉も、吉本興業福岡事務所開設時のオーディションにより、1990年に1期生としてデビューし、瞬く間に福岡吉本を代表する売れっ子芸人となった。因みに両者共、吉本入りする際に1回目のオーディションで落選している。
    • 両者共、同期や後輩が先に東京進出を果たす中、近年満を期して上京し、2006年前後から全国区でブレークした。タカアンドトシは、後輩のBコースアップダウン らが次々と東京に進出する中、2001年にようやく活躍の場を東京に移し、2006年前後から「欧米か!」のツッコミで、全国区でブレークした。華丸・大吉も東京進出では同期の竹山隆範カンニング )や後輩のヒロシ に先を越されたが、2005年にようやく上京し、とりわけ華丸が児玉清モノマネ を武器に、2005年にとんねるずのみなさんのおかげでした 内のコーナー、博士と助手 ~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~ で優勝したことや、2006年の『R-1ぐらんぷり 』で優勝したことにより、コンビ揃ってテレビに出る機会も爆発的に増え、一躍全国区の人気者となった。
    • 両者共、ツッコミ役に交際歴の長い彼女が存在する。タカアンドトシのトシには2007年2月現在で交際歴13年の彼女がおり、写真誌でも熱愛ぶりが報じられた。華丸・大吉の大吉も、交際歴11年になる彼女がいることを2007年1月のテレビ番組出演時に明らかにした。両者共、結婚間近とも言われている。
  • 2007年3月1日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした 」では、タカがタイ での海外ロケの集合時間に約2分遅れてしまったため出川哲朗 が「ドッキリしましょうか」と提案。タカが前夜石橋貴明ドンペリ を部屋に持って帰ってしまった事を根に持つという伏線もあり、石橋貴明 がタカに激怒するドッキリを敢行。怒られたタカは一生懸命謝ったが聞いてもらえず、石橋が出川を殴ったりテーブル を蹴飛ばすなど怒りが収まらないまま時間が過ぎた(もちろん石橋の演技である)。しばらくしてから謝りに行った後、石橋がトシに突っ込まれネタばらしをし本人はようやくドッキリと知るが、緊張の糸が切れたタカは号泣してしまった。なおこのドッキリは突発的なものであったため、2人のマネージャーもドッキリと知らずに本気で謝っていた。
  • 2007年4月5日 放送の「いきなり!黄金伝説。 」で、一週間でせんべい1000枚を食べきるという伝説にチャレンジし見事達成した。最後の1枚は芸人生活を振り返りながら食べていたが、それまでの苦労や、その挑戦に対する辛さもあったためか、タカは食べながら号泣していた。
  • 同級生と言うこともありコンビ愛も深く、「Qさま! 」の解散ドッキリでトシが「休業したい」と言った時も、タカは涙ながらに「俺はお前とじゃないと出来ないから」と言った。トシは同番組の最後で「(タカが自分とじゃないと漫才出来ないと言った事に)感動した」と言う発言をしている。

爆笑オンエアバトル

  • 2001年に爆笑オンエアバトルの札幌収録で初出場するまで、全国ネットの番組での仕事は殆ど無かった。後に、東京に上京するきっかけになった番組と話している。
  • 2001年の初出場時は4位、その後は4回連続5位と綱渡りの状態だったが、第6戦以降からキロバトルが上昇。第11戦以降は1位が定位置と言えるほどまでになり(第17戦のみ2位で、1位はキャン×キャン )、第13戦から現在まで6連続オーバー500の記録も保持している。さらに、番組最多連勝の18連勝の記録も打ち立てている。チャンピオン大会ではルート33 に続く史上2組目の大会連覇を達成。これらの戦績により、番組内では「史上最強のチャンピオン」と紹介されていた。
  • 第9回チャンピオン大会では、「○○か!」を強調しない正統派漫才を披露したが、番組史上初の3連覇の偉業達成は成らず、後輩のNON STYLE にその座を譲り渡した。結果発表後は大きな拍手で新チャンピオンを祝福していたタカだが、チャンピオンベルトとトロフィーの授与が終わる頃にはうつむき涙を流していた。収録後の楽屋にてタカは「思い残すことは無いし、やるべき事はやりきった!」と力強く語り、トシも「オンエアバトルには非常にお世話になりました。今後も活きのいい若手を輩出してください。僕らも負けません!」と番組への感謝を述べた。

出演番組

テレビ

レギュラー
準レギュラー

ラジオ

過去の出演番組

テレビ

ラジオ

  • タカ&トシの週刊金坊主(三角山放送局)

いやぁ、やはり忙しい。

寝る時間あるんでしょうか??

じゃ、最後に恒例のって言っても4日目ですがw

動画貼って行きますかw


タカアンドトシ「欧米かっ!」

タカアンドトシ「女子か!」


いやぁ、テンポが良いwそこに惹かれたんでしょうw

明日は、アンタッチャブルですwでは・・・。



どうも!

次長課長。旬ですね~

今、日本一忙しいんじゃ無いんでしょうか???(あ、タカトシが居たっけww

あ、情報はウィケペディアさんのです。ご了承くださいww



メンバー

河本準一 (こうもと じゅんいち 1975年 4月7日 - )
ボケ (トーク、一部のネタではツッコミ担当)。岡山県 岡山市 奉還町出身(生まれは愛知県 名古屋市 緑区 有松町)。 市立京山中学校、県立東岡山工業高校 卒業。身長162cm、血液型 AB型。
井上聡 (いのうえ さとし 1976年 2月2日 - )
ツッコミ (トーク、一部のネタではボケ担当)。岡山県 岡山市 奉還町出身(生まれは熊本県 玉名市 )。市立京山中学校、旧岡山学芸館高等学校 (現森教育学園岡山学芸館高校 )卒業。身長175cm、血液型B型。

略歴・概要

中学・高校時代

  • 岡山市立京山中学時代に、野球部で知り合う。遅れて入部した河本が初めて練習に参加した日に、1人だけバットを持ってフルスイングしていた井上に話しかけ、一緒にキャッチボールをしたのが2人の出会いである。それからは毎日のように一緒に遊ぶ仲になる。
    • 2人はこの中学1年のときに出会って以来、今まで一回もケンカをしたことがない。
    • 幼馴染ということもあり、徹子の部屋では「二人は仲がいい」と好評された。
  • 高校はそれぞれ違う高校に進学したため一時期疎遠となったが、高校2年生の時に河本が井上宅に遊びに行き再会。再び交流が深まる。
  • 河本は小学校から9年間サッカーをやっており、高校時代はチームのキャプテンを務め、国体の岡山県選抜メンバーにも選ばれた。夢はJリーガーだったが、高校2年秋に素人名人会 という番組で敢闘賞を貰い吉本興業入りを決意。選抜に選ばれるほどの実力の持ち主だったが、Jリーグからのオファーは全く無かった。
  • 高校卒業後、井上は親戚が営んでいたガラスサッシの枠を作る会社に就職が決まりかけていた。しかし河本から「吉本に入ろう!ジャッキー・チェン に会えるで!!」と誘われ、そのまま現在に至る。井上を誘った理由は「友達の中で、井上が1番おもしろかったから」。

大阪時代

  • 2人はNSC に入学するため、18歳で地元岡山から大阪へ。
    • NSC の面接試験の際に、河本は笑いに対する想いを熱く語って合格したが、井上は指されずに何も発言しなかったにもかかわらず受かってしまった。(NSC は黙って話を聞いていれば合格できるらしい。〈陣内智則 〉談)
  • 1994年4月結成。NSC 在学中は河本準一・井上聡・山下正人のトリオで「次長課長社長」だったが、わずか1年程で社長の山下が「岡山に帰ります」という置き手紙を残して居なくなってしまい、脱退してコンビとなった。
    • 社長(山下)は現在、東京の新宿で美容師をしている(実際に「カミングダウト2005年 3月22日 放送分の中で判明)。そのため、2人は山下に髪を切ってもらいたいのだが、料金はきちんと取ると言われているので頼んでいない。しかし今でも交流は続いており、テレフォンショッキング に初登場したときには電報を送ってくれたり、時々ルミネtheよしもと にネタを見に来るなど、誰よりも次長課長を応援している。
  • NSC の同期には同事務所の野性爆弾ブラックマヨネーズ徳井義実チュートリアル )、増田裕之ルート33 )、現在は俳優の三浦誠巳 がいる。また吉本外に移籍した者では藤井宏和飛石連休 )、くわばたりえクワバタオハラ )、超新塾諸岡立身チャンス大城 らがいる。この世代は「花の13期生」とも呼ばれる。
  • ほぼ同期にはシャンプーハットタカアンドトシ などがいる。また、半年後輩にはガレッジセールフットボールアワー 、1年先輩にはロンドンブーツ1号2号DonDokoDonペナルティ などがいる。年齢が上である品川庄司 (品川は3歳上で庄司は同学年)は1年後輩にあたる。
  • 河本は19歳の時、ホストの経験をした事がある。度々披露しているタンバリン芸は、このホスト時代に覚えたものである。また、働いていたホストクラブでNO.3だったと言い張っているが、実はその店にはホストが4人しかいなかった。
  • 1995年、心斎橋筋2丁目劇場 よりデビュー。2丁目劇場閉鎖後は、1999年オープンしたbaseよしもと の主力メンバーとして活躍。単独ライブのタイトルに東京23区の区名をつけ、全23回開催。2002年9月23日の「中央次課長」をもって、本人達の意向によりbaseよしもと を卒業。
    • 卒業ライブでは407人というbaseよしもと 観客動員記録を作る。(この記録は未だに破られていない。)
  • 東京23区ライブシリーズには、フットボールアワーストリークレギュラー (7区目~)らが毎回出演していた。
    • レギュラー の「気絶」ネタは次長課長が考えたものであり、松本康太 は井上の家に半年間、河本の家に1年間居候していたことがある。
  • 河本が椎間板ヘルニア で入院した際、井上は師弟関係にあるケンドーコバヤシ とコンビを組み、一緒に学園祭などの仕事を行っていた。ツッコミなしで、ボケにボケを重ねる形のネタを披露し、非常にうけて好評だったらしい。
    • しかし、河本が退院した直後に行われた次長課長単独の復帰ライブはだだすべり。劇場の三階にある本屋のレジの「チーン」という音が聞こえるほどのスベりようで、劇場の伝説になっている。
  • 当初は井上がボケ・河本がツッコミだったが入れ替わった。舞台やネタ番組ではコントが主だが漫才をやることもある。さらに極一部のネタでは今も井上がボケを行うネタがある。(井上がボケて河本にモノマネを振り、河本がモノマネを披露してからノリツッコミするもの)
  • チャイルドマシーン (解散)が東京に行く際、カラオケで号泣しながら(シャ乱Q の上京物語)歌って彼らを送った。

東京進出後

  • 2002年10月、東京進出。ルミネtheよしもと の舞台などに出演。
  • 東京ではしばらく芽が出なかったが、2004年頃からマニアックなものまねが注目され始めた。舞台やネタ番組ではロングコントも披露するが、その際も河本がマニアックなものまねや特異なキャラを使ってボケることが多い。
  • 2003年秋から、TBS の深夜番組「U-CDTV 」でネタ見せのコーナー「お笑いCDTV 」ライブが始まり、次長課長だけが毎月必ず出演。東京では珍しく、いくつかの代表的なネタが完全放送された。この番組をきっかけとして、次長課長が、東京のテレビ関係者に認知されはじめたらしい。(この時、マニアックモノマネの「Vシネマ」(当時のタイトルは「ヤクザのセックス」)なども完全に放送された。)TBSに関しては、「お笑いCDTV」終了後、「Goro's Bar 」での東京初レギュラー出演につながり、さらに、「うたばん 」出演や単独冠番組「次長課長のヨイショ! 」などへとつながった
  • マニアックなモノマネは、大阪時代、楽屋で中川家 と一緒だったとき「こんな人おるな」という細かいモノマネを競い合ったことから生まれたもので、いわば中川家と共同開発したネタである。今でも中川家と同じ楽屋のときは、楽屋内4人で即興コントをすることが多い。
  • 河本のキャラで特に代表的なのは「とんねるずのみなさんのおかげでした 」に出た際にジャッキー・チェン の映画に出てくる脇役の真似で「お前(オメェ)に食わせるタンメンはねぇ!」がよく知られている(初めて出た時は「お前に“食べさす”タンメンはねぇ!」であったが)。ちなみにこのフレーズは河本がアドリブで考えたもので、本当は「そうは酢豚の天津丼だ!」だった。
  • あくまでコンビ名なのでどちらが次長でどちらが課長というわけではない。だが、ごくまれにバラエティ番組で「次長 河本」「課長 井上」という設定になることもある(タモリ倶楽部 に出演した際には「吉本工業 Yoshimoto Industry 」という名刺を出したことがある)。
  • ズバリ言うわよ! (2005年3月8日放送)で細木数子 に「このコンビ名だと井上が貧乏になる」と指摘され、本気で改名をするか迷ったがとりあえず改名は拒否した。その後、逆に大ブレークが続いている。
  • コントのネタ作り以外は、相方である井上をこの世界に誘ったのは河本。東京行きを決めたのも河本。ゆえに2005年10月31日放送の『めざましテレビ 』の広人苑IIでは「ネタ作りの主導権は井上、人生の主導権は河本」と語る。
  • 2005年以前、TBS系列『さんまのSUPERからくりTV 』の前説を担当していた。2005年12月18日、同番組にゲストとして初出演。長年続いている長寿番組だが、前説を行っていた芸人がゲストとして出演するのは初めてであった。
  • 井上は「マンスリーよしもと 」が毎年恒例に行っている吉本男前ランキング で2006年度、2位に倍以上の得票差をつけてダントツの1位に輝いた(ルミネtheよしもと のお客さんに聞いた「抱かれたい芸人ランキング」でも初の1位を獲得。また「子供にしたい芸人」では7位)。河本は「吉本ブサイクランキング 」の8位、「お父さんになってほしい芸人」3位にランクイン。
  • 2006年3月28日に放送された「祝!ズバリ言うわよ!細木数子誕生祭!2週連続2時間スペシャル第1夜!!」にて、井上が芸能界に入るきっかけとなった人物であり、河本も大ファンのジャッキー・チェン との共演を果たした。井上は『プロジェクトA 』のワンシーン「テーブルの上で歌う人のまね」、河本は「オメェに食わせるタンメンはねぇ!」をそれぞれジャッキー本人の前で披露した。
  • 「晴れる道 ~宇宙人(オメェら)に合わせる顔がねぇ!~」でCDデビュー(2006年5月31日発売、R and C )。JK名義で出しており、テレビ東京 系アニメ『ケロロ軍曹 』の4代目オープニングテーマとして2006年4月~9月に放送された。作詞も手がけており、プロデュースは小室哲哉 である。
  • 大阪時代は必死で覚えた岡山訛りの関西弁で話していたが、東京進出後は標準語を使う事が多い。

出演番組

レギュラー番組

ラジオ

準レギュラー番組

不定期出演

うん。やはり忙しい。


あ、そうそう有名な話かもしれないけど、次課長って昔

次長課長社長だったらしいですね。知ってました??


じゃ、最後にネタ動画

貼っていきますかな。


次長課長「人形劇」

次長課長「サラリーマン教室」



どもぉw宣言どおり今日はブラマヨです。

知ってるよね??あの、ハゲとブツブツの、分かった?

あ、OKOK

はい!!気を取り直して早速情報行ってみよ~(ノ^^)八(^^ )ノ



メンバー

概要

  • 1998年 4月 に結成。大阪NSC 13期生。同期には次長課長チュートリアル徳井義実野性爆弾ルート33増田裕之 などがいる。チュートリアルの徳井と2人の間には非常に熱いものがあり、この内の誰か一人がお笑いを辞めたらすごく寂しいと3人とも漏らしている。
  • フリートークでは抜群のセンスと面白さでオーディエンスを抱腹絶倒させることで、関西 を中心に「ダウンタウン の再来」と評判を呼んでいた。その一方でネタになると途端に勢いを失う為、実力を持ちながら売れずに終わることを心配されていた。2005年 頃、新境地を開き、ネタ でも笑いがとれるようになった。
  • コンビ名の由来は、「Mr.Children 」のように正反対でアンバランスな意味の単語を組み合わせたもので、マヨネーズ のように身近にある物の名前を盛り込むことによって、マヨネーズを見る度に自分達のことを思い出してくれたらという願いも込められているらしい。「関西キング」(小杉)、「ツインテール」(吉田)とお互い1回づつコンビ解散を経験している。
  • 2005年M-1グランプリ に5回目の挑戦で、初の決勝進出ならびに優勝を果した。ファーストラウンドの審査の際、大会委員長の島田紳助 は「4分の使い方がバツグン。もうそれに感動した。(自身の番組の)前説 で何度か見たことあるけど、それから成長してるし、ホンマにすごい。」と興奮気味に語った。大竹まこと は「オーソドックス(な漫才)の凄さに吃驚した。別に新しいことをしなくても十分面白いことを再認識した。」と称え、松本人志 には「次が見たい」とコメントされた。司会の今田耕司 もファーストラウンド終了直後に「いや~オモシロかった~。やったねぇ。」とコメントしていたことからもわかる通り、そのネタの完成度は、その場にいた誰もがそれだけの評価をしていたとも見える。そのときの漫才をTOKYO FM での「放送室 」にて高須光聖 は「5回目見てもおもしろかった!」「とにかくおもしろすぎる」と褒められる。
  • M-1の本戦で見せた2本のネタは半年以上前に出来ており、5月の「うめだ花月 」でのイベントを最後にネタを封印していたと言う逸話がある(陣内智則:談)。また、1本目のネタは2月のソロイベントで披露した際、「このネタをM-1に持って行こう」と決めた(雑誌のインタビューで告白)。
  • ちなみに優勝者発表の後、吉田は「結果求めんとやったのが良かった」と言ったつもりが「結果求めてやったのが良かった」と言ったと新聞に書かれていたらしい(本人談)。
  • ブラックマヨネーズのずぼりらじお 」という伝説的なラジオ を残している。放送当時、リスナー の中では関西で一番おもしろいラジオと噂されていた。とにかく内容が過激で、惜しまれつつ終了した。2004年 、同じくABCラジオ で番組を持っているアメリカザリガニ と大阪・万博公園 におけるABCラジオのイベントで共演して意気投合、アメリカザリガニは自らの番組「スレッドキングABC 」で「ブラマヨは吉本のアメザリ、うちらは松竹のブラマヨや」とコメントしている。いずれの番組も、濃厚なファン層、過激なトーク(主に下ネタ)という共通点がある。
  • M-1グランプリで優勝してから、東京 で仕事をする機会もあるが、東京が怖いらしく、依然として拠点は大阪 である。
  • 吉田と吉田の母は「お笑い芸人親子で漫才王座決定戦スペシャル 」(2006年7月11日19:00~20:54、フジテレビ)に「親子マヨネーズ」として出場、優勝した。
  • 2006年度のM-1には、連覇を目指して出場予定であったが、小杉曰く「優勝したら出場しない(出来ない)、というルールを作って欲しいです」と、やや弱気であり結局、「今の環境では自分たちの納得できる漫才を披露することは出来ない」(吉田)という理由から2006年度M-1への出場は辞退した。
  • M-1で優勝してから吉田が天狗になるというキャラクターを作っている。
  • M-1優勝によりファンが増えたが、ブラマヨファンであることを公言できない人(特に女性ファン)が多いらしく、人に悟られずこっそり応援出来るようにと公式グッズのクリアファイルは二人の顔が内側に印刷されている。ただし表面は黒字にロゴのみで一見しただけでは分からないようになっているが、裏から見ると少し透けているので注意は必要。
  • 小杉はグラビアアイドルを見るよりも美男子を見るのが好きらしく(ゲイという意味ではない)、「堂本剛藤原竜也 を見ると心が洗われるようだ」と発言。またB'zの大ファンであり、ラジオの企画でダイエットする際、「稲葉さんがはいてるようなホットパンツをはけるようになってやる!」と意気込んでいた。
  • 小杉の母は、皮肉にもダイエット教室の先生である。
  • 今いくよ・くるよ からはマヨネーズちゃんと呼ばれている。

ネタ

  • 主に漫才。吉田の独特の世界観のボケに小杉がハイテンションなツッコミを入れるスタイルで2004年までは吉田が一人でネタを作っていた。たまにコントも行っている。
  • 2005年からぼやき漫才 のような形をとって、世の中の色々なことに対して吉田が不満を漏らし、小杉が「こうしたら良い」と案(最初は妥当な案だが徐々に無茶な案になる)を出し、それに対して吉田が的外れな文句をつけて笑わせるという芸風をも取り入れている。これは2005年初頭、吉田の「ラジオのようなフリートーク形式の漫才がやりたい」と言う提案から、二人の前に真っ白なノートを置いてその場の思いつきの会話形式でネタを作り書き込んでいったのが始まり。ちなみに、ネタの終盤あたりで興奮気味にツッコミをする小杉の顔に吉田がビンタをし、ネタの最後では必ずといっていいほど小杉の問いかけに対し吉田が皮膚科関係のオチ をつけ終了する。
  • 小杉の突っ込みは業界でも定評がある。

テレビ番組

過去の出演番組

ラジオ番組

テレビCM

  • コジマ 決算一斉値下げ(2006年)

ラジオCM

映画

連載


あのブツブツ漫画も描いてるのか~。以外ですね。

じゃあ、動画を貼っていきますか。


ブラックマヨネーズ「ダイエットの方法」

ブラックマヨネーズ「目覚まし」

ブラックマヨネーズ「釣り」


こんなもんですかな。明日は次長課長!!お楽しみに。


記念すべき第一回目の記事は

チュートリアルです!!

知ってますよねはてなマーク

あの・・・・片方格好良くてもう一方は、テカテカの・・・あ、分かりましたかw

情報は・・・



メンバー

概要

チュートリアルの漫才 は基本的に、ショートコントや決まり文句、小道具などを用いない、いわゆる『正統派しゃべくり漫才 』である。漫才の途中で徳井のテンションが豹変し、様々な妄想 をエスカレートさせてゆくネタ は『妄想漫才』と銘打たれM-1グランプリ などをきっかけに有名になった。テレビ番組 や単独ライブなどではコント を披露する事もあり、こちらも徳井扮する変人が暴走するというストーリーが多い。時折不可思議な(いわゆるシュール な)オチ で観客を呆気にとるコントもある。

徳井がネタのすべてを書いている上、マンスリーよしもと 男前ランキング 2003~2005年の三年連続一位で殿堂入り、変態 、など強い個性を確立していることに対し、福田は一見地味な印象を持たれることから、この二人の対照的なキャラクターがコンビの特徴とされている。

福田は以前歯並びがかなり悪く、脂漏性皮膚炎 によって顔に皮脂 が多くでてしまう体質で、徳井から漫才のツカミにも使われるほどであった。しかし2006年12月突然歯を差し歯に。またダイエット に傾倒し痩せて、テカリもかなり改善。現在は「仮歯」であること、過剰なダイエットによって「ガリガリ」であることなどを代わりに使われることが多いようである。福田の脂性にちなんで「チュートリアル油取り紙(5個セット)」というグッズがマンスリーよしもとから発売された。

コンビ名の由来は、二人が高校・浪人生時代に通っていた河合塾 にある「チュートリアル (Tutorial)」(週一で行われる、連絡や模試の結果の返却など事務的な時間)から。その他の候補としては、『ギロチン』『行かないで、』『初夏の潮風に誘われて』などがあった。

略歴

出身は二人とも京都市 。幼稚園(菊の花幼稚園)・小学校・中学校(京都市立修学院中学校)・高等学校(京都府立北稜高等学校 )・予備校(河合塾 )とずっと同級生であった。その後二人とも大学受験に失敗し、一浪して徳井は花園大学 、福田は大阪学院大学 に進学する。高校・浪人時代は喫茶店で8時間話しても足りず、帰宅してからも電話で話すほど仲が良かったと語っている。

徳井は大学を中退しNSC に13期生として入学、卒業後、特に芸人を続ける気もなかったため職を転々とする。そんな徳井を福田が誘い、1998年3月にコンビを結成した。そのため徳井の芸歴は1994年から始まるが福田の芸歴は1998年からであり、コンビ内で芸歴に差がある。福田はNSCに通ったことはない。初舞台は心斎橋筋2丁目劇場 であった。

2003年までは『baseよしもと 』を中心に活動。同年夏にbaseよしもとを卒業後、うめだ花月 でネタもん・芝居もんなどにレギュラー出演、同劇場でトークライブ「チュートリアルのシャベルケ?」などを開催。関西を中心にいくつかのレギュラー番組をもつ。2006年、M-1グランプリ にて念願の初優勝を果たした。賞レースで最優秀賞を獲得したのは、彼らにとってこれが初めてのことであった。

M-1グランプリでの苦渋と歓喜

  • M-1グランプリの決勝戦には過去3回進出したが、2001年は審査員の得点で10組中10位、会場票を含めると10組中8位と散々な結果だった。(後に振り返って「小部屋に閉じ込められて、あのときのビデオ を四方から見せられたら死ぬ」とコメントしている。)その後3年連続で準決勝敗退を喫するが、2005年の決勝戦では彼ら独特の漫才を見せ、5位。そして、優勝候補の一角として出場した2006年の決勝戦、審査員全員から1位の評価を受けトップで通過、続く最終決戦でも審査員全員の票を集め、パーフェクトで優勝した。徳井は優勝後「M-1によって傷つけられ、M-1によって報われた」と語っている。
  • 2001年の時のキャッチフレーズは「お笑い陰陽師 」(京都出身であるため)。2005年は「暴走するイケメン 漫才」、優勝した 2006年は「華麗なる妄想族」であった。
  • ある雑誌で徳井は「賞レースではいつもフットボールアワー が1位で、僕らが2位。この大会で僕らが1位で、フットが2位が理想」と語っていたが、事実その通りになった。
  • 普段の賞レースではネタの順番を決めるくじ を引くのは徳井の役目だったが、この時に限り福田が引いた。その理由は愛読雑誌クロワッサン12月号の占いでしし座 のくじ運がよかったから。

年表

  • 1994年4月 - 徳井がNSC 入学。
  • 1998年3月 - 福田が徳井を誘って、チュートリアル結成。
  • 2000年1月 - ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞受賞。
  • 2000年9月 - 深夜番組『新しい波8 』に出演。
  • 2001年3月 - 初単独ライブ「惑星チョートリアル」をbaseよしもとで開催
  • 2001年10月 - 爆笑オンエアバトル で初めてオンエアされる。
  • 2001年12月 - 第1回M-1グランプリ 決勝進出(8位)。 キャッチフレーズ:お笑い陰陽師 この年のネタは昔話 桃太郎
  • 2002年4月 - KBS京都ラジオ「キョートリアル!コンニチ的チュートリアル」開始。
  • 2002年10月 - ラジオ大阪「よしもとエンタテイメントステーションGOYODA」開始。
  • 2003年3月 - NHK上方漫才コンテスト優秀賞受賞。
  • 2003年3月 - 徳井、吉本男前ランキングで1位に。
  • 2003年3月 - 爆笑オンエアバトルファイナル初進出。結果は、514KBで9位。
  • 2003年7月 - baseよしもと卒業。
  • 2003年10月 - 映画「ガキンチョ★ROCK」に出演。
  • 2003年12月 - 上方お笑い大賞新人賞受賞。
  • 2004年1月 - KBS京都ラジオ「キョートリアル!コンニチ的チュートリアル」放送100回記念。
  • 2004年3月 - 上方漫才大賞 新人賞受賞。
  • 2004年3月 - 徳井、吉本男前ランキングで2年連続で1位に。
  • 2004年3月 - 爆笑オンエアバトルファイナル2年連続進出。結果は、762KBで8位。
  • 2004年4月 - TBSドラマ「ほーむめーかー」に出演。
  • 2004年10月 - ヨシモトファンダンゴTVワイ!ワイ!ワイ! 」に月曜日MCとして出演(~2005年11月)。
  • 2005年3月 - 徳井、吉本男前ランキングで3年連続で1位に。殿堂入りを果たす。
  • 2005年8月 - 東京初単独「甘いチュートリアル」を開催。
  • 2005年12月 - 第5回M-1グランプリ 決勝進出(5位)。 キャッチフレーズ:暴走するイケメン漫才 この年のネタはバーベキュー
  • 2006年1月 - KBS京都ラジオ「キョートリアル!コンニチ的チュートリアル」放送200回記念。
  • 2006年3月 - ラジオ大阪「よしもとエンタテイメントステーションGOYODA」終了。
  • 2006年4月 - 徳井初のピンライブ「徳井義実ライブ2006~桜の舞~」開催。
  • 2006年6月 - チュートリアルのオールナイトニッポンR が放送される(一回のみ)。
  • 2006年7月 - チュートリアル初単独DVD「チュートリアリズム」発売
  • 2006年10月 - チュートリアル初(※)メイン番組『恋愛バラエティ・ピンどん』10/9(月)がKTVで放送開始。 ※地上波では初。
  • 2006年12月24日 - 第6回M-1グランプリ 優勝。キャッチフレーズは華麗なる妄想族。ネタは1回目が冷蔵庫,2回目が自転車の”チリンチリン”。徳井が意味のないところで妄想を掻き立てる独特の漫才が評価され、最終決戦は史上初の満票で見事M-1グランプリ6代目チャンピオンに輝いた。
  • 2006年12月同日 - 毎日放送「真実のキス」放送 ※徳井のみ出演
  • 2007年1月 - 「『ちちんぷいぷい冬休み』~チュートリアルでごめんなさい!4時間ぜんぶ家族愛テレビ~」が放送される。
  • 2007年2月 - 徳井、R-1ぐらんぷり の決勝に出場。キャッチフレーズは「M-1王者が2冠を狙う」。同点1位で決選投票の末、2位となる。
  • 2007年3月23日 - ABC「妄想チュートリアル 男子禁制ネバーランド」が放送される。
  • 2007年3月25日 - 毎日放送で「春の九州チュート下車 徳井と福田の卒業旅行」が放送される。
  • 2007年4月 - 「ヨシモト∞ 」2部ナビゲーターを務める。
  • 2007年4月 - 日本テレビ「歌スタ!! 」で初の全国ネットレギュラーをつとめる。
  • 2007年4月 - 読売テレビ「ブラマヨ・チュートのまる金TV 」で初の冠番組をブラックマヨネーズ 共につとめる。

主な受賞歴

テレビ

不定期出演


ラジオ

過去のTV出演

過去のラジオ出演

単発特別番組

CM





いやぁ~思ったより忙しいんですなwww 

最後に、選りすぐりのネタ動画を貼っておきます。

携帯からは見れません。。あしからず。


チュートリアル「バーべキュー」

チュートリアル「犬を飼いたい」

チュートリアル「冷蔵庫」

では・・・。明日はブラックマヨネーズです!!

じゃ、お楽しみに。