「自分の言葉」という人がいる。

おそらく「自分の言葉」というものが「ある」ことが前提となっているけれども、その言葉が存在するとして、コミュニケーションをとることができるのだろうか?

 

絵画は、言葉を経由せずに人の視覚に訴える。

ピカソの絵であっても、コミュニケーションをとることができる。

抽象画でも、コミュニケーションをとることができる。

(見ることができればだが)

 

音楽も、言葉を経由せずに人の聴覚に訴える。

クラシック音楽でも、コミュニケーションをとることができる。

不協和音でも、コミュニケーションをとることができる。

(聞くことができればだが)

 

文章は、言葉を経由して情報交換する。

そうすると、ルール通りの言葉使い出なければ、情報共有ができない。

書道なら、そこに書かれている意味内容ではなく、形を通じた意思疎通が可能であるから、絵画に似た関係を想定できる。しかし、一般の文章は、そうではない。

自分の言葉を使っても、相手には通じないのである。

 

子供に、「自分の言葉」を求めることは、ハードルが高すぎるのではないかと思う。