心もまるく行きたいなぁ指差し




師匠は言った。


蕎麦はスポーツだ、と物申す


以前師匠からあなたにとって蕎麦打ちとはなんですか?と聞かれてわたしは即答した。


蕎麦はアートですニヤニヤ


しかもただ楽しくて絵画を描くようにしてるのではなく、こんなことを書くと皆様に誤解を招くかもしれませんが、


わたしは蕎麦を打つまでの工程で、あらゆるストレスや差別苦しみ嫉妬妬み、苛立ちなどなどで頭がごちゃごちゃして、これはどこかで吐き出さねばならぬと、一週間に一度の蕎麦のレッスン日を待ちわび、なんなら我慢が限界に達すると当日の朝に電話予約を入れてまでの執念を抱え持ち、


随分トリッキーな仕上がりの絵を描きます真顔


蕎麦じゃー蕎麦を打つのじゃー真顔


火曜日が職場が定休日のため大体月曜日の夜7時にレッスンの予約を入れますが、午後4時以降店はお客様がまばらなのでその隙を狙って後片付けを進め、仮精算を終え、ラストオーダーになったらお客様が途絶えたところを見計らって、


マッハで閉店作業に取り掛かります真顔


ドン、ガン、ガシャン、と片付け(かなり心は上機嫌)を済ませ、施錠してゴミを片手に店を後にします。


そして突然発表なのですが、わたしはきっと発達障害もあるのかな、と無気力


目的を達成するまで頭の中で蕎麦を打っている様子をぐるぐると想像しながら帰り道を急ぐんです。


はっきり言うと、生活の全てにおいて思考の世界を脳内で保ちつつ並行して作業してるんですよ凝視


この性質は幼い頃からあったような気がしますが、でも、小学生低学年の頃は常に隅っこで本を読み、


友達?ナアニソレ真顔


だったのでその頃はものすごくひとつのことに集中しすぎて周囲が見えない子だったのだろうと思います。


思春期はものすごく集中する時とできない時の落差があり、高校生初期(?)には数学に突如目覚めて家に帰ったら即座に学習机に向かいひたすら数学の教科書の問題を解き続けていたという結構勉強オタクの1面もありましたが、その一方で授業に集中できなくて空想の世界で暇を潰していたら現実に耐えられなくなって、授業が終わった後に誰にも告げずに、


バックれる凝視


という謎の奇行も時折やらかし(それも留年しない程度にやらかすあざとさ)、バレる度に母親に怒鳴りつけられていました


でも、学生時代はこんなトンチンカンな性質をもちあわせていたにもかかわらず一緒にいる友達はいた、それだけが唯一の救いです泣くうさぎ


どこまでも話がズレてしまいましたが、要はわたしの人格は、


かなり屈折した仕上がりになっています真顔


だからどこかで発散しないと、LINEで人を攻撃したり(?)突如怒りのスイッチが入って仕事が手に付かなくなったり、無気力になったりするので、


蕎麦を用いて、絵を描くのです凝視


いや、書きなぐるのです真顔


塾の他の生徒さんはそんなわたしを、


何、あの子余裕ぶっこいて物申す


って言うけれど、のんのん、


余裕なんて全然ないっすオエー


上達するにはそれなりの道のりがあって、心情があって、志があってそれらが相互作用してのことで、一日や二日じゃ、


悟れないんですよ凝視


いつも思う、


余裕ぶっこいてって言ってる奴、


なんならあんたの今までの人生と交換してくれないか無気力


わたしは改めて思う。確かに蕎麦打ちはとても楽しいし、蕎麦を習えてとても幸せだ、と。


でも、来世同じ人生歩みたいか?と神様に聞かれたら即答だよ。


普通に生きさせて欲しいな泣くうさぎ



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