三日坊主にならないといい、などと書いた矢先に二日連続で更新を休むという暴挙。
この性格もずっと変わりません。
何かに夢中になると食事も忘れ、睡眠も忘れ、トイレにも行かない私ですが、自分の中でその物事に対し満足がいくとそれまでの熱が嘘のように冷める事があります。
その中でも冷めない事というのはあって、それは今でも続く趣味に変わっています。
私の趣味はいくつかあります。
一つは写真を撮る事ですね。
デジタルガジェットを買いあさっている私ですが、本当はフィルムのカメラが好きです。
限られた枚数であったり、現像されるまでどういう写真が撮れたか分からなかったり、単純にシャッター音やフィルムを巻く音なども好きです。
カメラの軽量化が進む昨今ですが、あのフィルムカメラ特有の重さも好きです。
旅に行く時には必ずデジタルのカメラを一つとフィルムのカメラを一つ持って行きます。
そうすることで、撮りたい瞬間を取り零すことがありません。
大事にしたい瞬間はフィルムカメラで撮ります。
それはデータという触ることのできない形ではなく、手で触れることのできる思い出として残したいからです。
もう一つの趣味は旅行ですね。
昨年は一人旅に行けませんでしたが、今年はどこか行きたいですね。
海外が良いです。ニューヨークはいつ思い出しても素晴らしい思い出です。
日本国内でも良いですね。なんにせよ旅行は面白いです。
もし、自分がこの地で生まれていたらと考えたりしながら習慣の違いを知ったり、知らない道をただひたすらに進むのもわくわくします。
日常の「当たり前」が溢れる世界を飛び出せるというのは慣れることはなく、いつなんどきも新鮮です。
旅行のときに必ず持って行くのはもう一つの趣味である、本ですね。
本は素晴らしいものです。
私はあまり人と食事に行きませんし、友人も少ないです。
そうすると自分が持っている考えを共有したり、解を求めるということがうまくできません。
ですが、本は著者との対話に近いです。
本の中に解が隠れていたり、自分に似た登場人物を見つけては感情移入します。
物語が終わればその本の中で起こった物語を何度も反芻します。
そうすることで、まるで自分自身の体験のように物語を堪能することができます。
誰かに会うことなく、人の意見を聞けるというのも本の良い所だと思います。
それから、本は物語だけでなく史実に基づいたものも好きです。
私は義務教育しか受けてきませんでしたので、人よりも知らないことが多いと自負しています。
ですから、人よりも勉強をしなければならないと思っています。
もちろん、学校教育でしかわからないことや学校教育で得ておいた方が良いことも多いと思います。
物事を多くの人に教えるというやり方や、30人程の人たちと一緒に何かをするということ、基礎的な知識の習得。
そういったことは、学校教育の方が学びやすいと思います。
そういった機会を私は自分の選択で途中で放棄しました。
その結果、私は共同生活というのがあまり得意ではありませんし、たくさんの人に好かれようとする行動をあえて選択するということが素直に行えません。
それに、基礎的な、誰でも知っている一般常識とされることを私は全く知らないということだって稀ではありません。
更に、私という人間は、自分勝手なのです。
自我が強く、偏見も持っていて、時にそれは誰かを傷つけることになるかもしれません。
そういった自分を理解した上で、自分のキャパシティを超える人数とは関わらないようにしていますし、自分が気にかけられる人たちをしっかりと大事にしたいと考えています。
勉強することも、知ることも、すべて周りより下から始まっていると自覚することで、その分頑張ろうと思えます。
知るということは、自分の中にある漠然とした不安を解消する手段でもあります。
わからない、ということは不安の種です。
その種を放っておくことは、不必要な偏見を生むことになる可能性を秘めています。
偏見というのはとても厄介だと思います。
情報を拒絶し、知りもしないで知ったように振る舞い、更にはそれを卑下したりします。
そういったことはしないに越したことはありません。
世の中には面白いことがたくさん転がっています。
それを面白いと思えるかどうかは、自分次第です。
つまらない人生だと思うのは、自分がつまらないから思うことです。
私は自分がこの世界を去る時に、なんて面白い世の中なのだと思って、自己満足で構わないから、そう感じて去りたいと思うのです。
話が四方八方へいきました。
今日はこの辺で。
ではまた。
ちょうしまぶんね