18歳の新聞配達奮闘記 -3ページ目

18歳の新聞配達奮闘記

18歳で専門学校と新聞配達のために上京した志衣(shii)。新聞奨学生の先輩とのルームシェアや職場の事件、ほっこりする街の人々との関わりなど。当時書いていた1年間の日記✏️

20XX年10月22日 06:32

■食事会―錦糸町―



土曜日は亀戸・社長・

浅草と錦糸町の女の子と2人と

錦糸町でしゃぶしゃぶ。

中国人も初参加でした。


夕方、販売所に集合した。

私と先輩は会社のジャージで行ったが

お調子者の唐さんはスーツを着ていた。


私が着ていたジャージがみんなが

持っていないものだということに気づき

楊さんと唐さんが突然袖をチョンと摘んだ。


「チガウヨ!コッチノホウガイイ!」

「質がいいですよね!」

孫さんも言う。


中国人たちは店長に

「ユニフォームくれ」

と貰ったくせにいつもねだっている。


店長は見向きもせず

「さ、タクシー乗って!」

と声を張る。


専業さん、中国人、

私たちに分かれて錦糸町へ。


「ア!イッショニイキマショウ!」

私と先輩を唐さんが誘うが

店長が無理矢理押し込む。


タクシーのドアが閉じたあと、

こっちにこいよとポーズをキメてくる

スーツ姿の唐さんはまるでホストである。


お店に着き女の子たちと二度目の対面。

みんな私より年上。


社長が仲良くして欲しいということで

ディズニーのチケットを買ってくれた。

そのことを決める会でもある。

私の主張が叶い、ディズニーシーに決定。

男性陣には大ブーイング。

やっぱりランドが人気だね。

だって1回しか行ったことないんだもん!



食事は、水餃子やつみれ。

中華麺・餅など初体験のしゃぶしゃぶの連続。

最後は社長が全員にパフェもご馳走してくれた。


最後別れる時に女の子同士で

アドレス交換することになった。



しかし!私だけ中国人に強制連行され

「ユニフォームくれ」

の抗議に付き合わされたため

アドレス交換ができなかった!


「イッショニアソビマショウ!」

唐さんたちに誘われるも、

今度は専業さんに強制連行され無事帰宅。


食事会は楽しく終了。

もうすぐ集金が迫っていることも忘れて。