「夏への扉」

 

 

 

この本はとても有名なSF小説らしい。

 

この小説が書かれたのは1956年。

つまり、1950年代を生きていた人たちが私たちの生きる2000年代をどう考えたのか、ということが小説を通して描かれていた。

 

この小説に描かれる「西暦2000年」は面白い。

 

進んでいるようで進んでいない。

発展していないようで発展している。

 

今この2023年を生きている私たちから見るとちぐはぐな世界だ。

 

一番それが感じられたのが電話だ。

作中、主人公のダニーは2000年の世界で何度か電話をする場面がある。

その電話はカメラを備えていれば、相手の姿を見ながら話をすることができる。

今でいう、zoomやLINEのビデオ通話のようなものだろう。

今では何の疑問も持たずにやっている離れた場所で顔を見ながら会話をする、ということはこの小説が書かれた1950年代ではとてつもないファンタジーだったという事実がおかしくもあり、感慨深くもあり、不思議な感じがした。

 

そして、顔を見て話すことができる電話の面白いところは、もう一つ。

 

この電話は一度中継を挟まなければ意図するところへ繋ぐことができないというところだ。

今の電話は当たり前だが、かけたい相手にダイレクトに繋ぐことができる。

生まれた時から電話が直接相手に繋がることが当たり前だった私にとっては、なぜ中継者を取り払って電話ができるようになると考えなかったのだろうかと疑問に感じてしまう。

 

そして、この小説内の2000年にはスマートフォンはもちろん携帯電話もなく、おそらく、固定電話も普及率がそれほど高くはない。

これらからは、1950年代を生きていた作者は、「電話」が生活の大部分に影響を与える時代がくるとは考えてもいなかったのだろう、ということがわかる。

 

「電話」はあくまで急な連絡が必要なときに使うものであって、それほど重要なものではない。

そのような考え方が、小説からなんとなく感じられてとても興味深かった。

 

 

この小説を2000年以前、特に1990年より前に読んだ人たちはどのように感じたのだろう。

そして、2023年の今を見て作者や当時の読者は何を思うのだろう。

 

 小説で描かれたファンタジーが実現した部分もあれば、ファンタジーを飛び越えて誰も想像しなかったような進化を遂げたものもあり、逆にファンタジーのまま残されたものもある。

 

これらは50年後どう変わっていくのだろう。

私には想像もつかない。

 

 

最近の「未来の話」は暗いものが多いように感じる。

荒廃した土地とか、核戦争により人口が半減した世界とか。

 

そのせいか、未来にこれだけの希望を持って書かれた小説が新鮮だった。

未来は明るい。

未来は素晴らしい。

過去より何倍も価値のあるものだ。

 

そう自信を持って描かれていることが眩しくも感じた。

 

私たちも未来に希望を見出していかなければいけないのかもしれない。

未来を想像して気持ちが浮き立つような感覚を思い出さなければならないのかもしれない。

 

なんとなく、そう思う。