天皇陛下の「譲位」の問題について、

一代限りにするとか恒久法でなければとか

意見もいろいろ分かれているようですが、

天皇陛下の御真意はどこにあるのか、

国民の側が議論をするなど不敬ではないか、

政府の考えはどこにあるのか等、

本当に難しい問題になっています。

 

こんな時、筧克彦先生、あるいは葦津珍彦先生が

ご存命ならどうお考えになられただろうと

facebook等で書いてる方を見ました。

 

そこで今日は、昭和37年に内閣憲法調査会の

求めに応じて提出された葦津珍彦先生の論稿を

取り上げてみたいと思います。

 

「皇位継承法について」 葦津珍彦

 

 日本国憲法は、その第2条において、

皇位継承について規定してゐるが、

それは占領下の異常な政治情勢を反映したためか、

外国の(王朝制度を有する国の)憲法と比較して、

いちじるしく異るものとなってゐる。

日本の天皇制は、日本独自のものであって、

必ずしも外国憲法の通例にしたがはねば

ならないものではないけれども、

少なくとも次の二つの異常なる点については、

その当否を十分に研究し検討する必要があると思ふ。

 

第一の異常なる点。

世襲の君主または国王を建てる国の憲法では

王位継承に関する条規は、

憲法の本文において慎重、厳格に明記するか、

または憲法典と同等の根本法において

規定するのを通例とする。

しかるに日本国憲法においては、

皇位が世襲のものであるとの一条件を示しただけで、

皇位継承の具体的規定は、すべて一般法律と

同じく国会の議決に一任することとしてゐる。

これは憲法改正のやうな重い手続をとらないでも、

国会の過半数決議だけで、

皇位継承法の修正変更が、

安易に行はれるやうにしたものであって、

諸外国に全く例を見ないものである。

皇室典範は、一般法律と同じものとされてゐる。

その現行皇室典範に定められてゐる継承法の内容は、

おほむね明治の旧典範の継承法と同じであって、

それは男系血統主義、終身在位制、

女帝をみとめない原則等を定めてゐる。

これらの原則は、いづれも永い皇位継承史の史実を、

きはめて慎重に精細に検討した結果、

確立した貴重な原則であるが、

それはただ一般法律として認められてゐるにすぎない。

憲法といふ点からみれば、

世襲主義の原則に変更さへなければ、

生前の退位、女帝の即位等をみとめるやうな

法律の修正もできる。

現にそのやうな修正を主張する意見もある。

 

さらに進んでは、女帝をみとめるだけではなく、

世襲主義を拡張して、女系血統主義をも

みとめるとの説も出て来る。

(葦津註/日本の皇位継承史において、

女帝の先例のあることを回想して、

女帝制をみとめよと提案する人が少なくない。

しかし、それらの人々は、日本の過去の女帝が

必ず独身に限られてゐた事実の意味を軽視してをり、

明治の皇室典範が女帝を認めない結論を

出すにいたった理由についての研究が

不足してゐるのではないかと思はれる。)

いまの憲法を解釈して

「天皇象徴の制度そのものを廃止するのには

憲法を改正しなければできないけれども、

個々の具体的な天皇の廃立は

国会の過半数決議だけで、いつでも行ひうることである」

といふやうな説も現はれてくる。

(葦津註/私は、このやうな説に対しては、

現行憲法の解釈説としても同意しがたい。

しかし、現行憲法下においては、当然一つの説として

主張されうるものであることを認めねばならないと思ふ。)

皇位継承法が、このやうに安易に考へられてゐる例は、

世界のいづこにも見ることのできないものである。

ベルギー、ノールウェー等においては、王位継承法は、

憲法本文において明確に規定されてをり、

スウェデン、デンマーク等においては、

形式的には憲法法典と別の王位継承法を

有ってゐるけれども、その修正改変については、

憲法の改正と同等の重い慎重な手続を

要することとなってゐる。

 

王位継承法を重んずることは、

王位そのものを重んずる所以である。

皇位を重んずる精神を明らかにするためには、

当然に皇位継承法を重んずることが必要であらう。

皇位継承法は、憲法の本文において定められるか、

それとも憲法と同等の重さを有つ法典において

定められるべきであると思ふ。

日本国においてのみ、

皇位継承法がとくに安易に変更しうるやうに

取り扱はれなければならない理由はありえない。

 

いまの憲法が成立した時は、占領下で、

とくに東京裁判が進行中であったし、

皇位そのものの前途に大きな不安が

感ぜられた時代であった。

このやうな特殊の政治情勢を

背景として考へるのでなければ、

皇位継承法のこのやうな異常さは

理解しがたいやうに思はれる。

 

第二の異常なる点。

日本国憲法においては皇位継承法を

修正し変更するについても、

天皇の裁可(同意)を要しないこととなってゐる。

これは殊更にさうしたわけではなくして、

憲法が天皇の法律裁可権を

みとめなかったがためにさうなったのであらうが、

世界いづこの国で王位継承法の修正変更に、

王の裁可を全く無視してゐるやうな国はない。

 

前掲諸王国のほかにイギリスの場合を考へてみたい。

イギリスの王位継承法は、

形式的には一般の法律と区別されない。

独立せる体系的憲法法典を作らなかった

イギリスのことであるから当然である。

しかし、王位継承法は1701年いらいイギリスの

もっとも貴重な根本法の一つとして重んぜられてゐる。

イギリスでは、国王は法的に裁可権を有つけれども、

拒否権を行使しないといはれてゐる。

日本においても、天皇は帝国憲法時代を通じて、

拒否権を行使しない習慣を作られた。

拒否権を行使しない裁可権は無意味である、との

説もあるが決してさうではあるまい。

私は、本来は天皇の法律裁可権の

国民心理意義を重視するものであるが、

仮に一般法律の裁可を別にしても、

皇位継承法の変更が、天皇の裁可なしに

行はれることは穏当ではない。

あまりにも天皇をないがしろにするものではあるまいか。

これは憲法第8条などと同じく、天皇に対する極端な、

不信感を前提として考へなければ、

到底理解しがたい異常なものと思はれる。

皇位継承法の修正変更には、

当然に天皇の同意を必要とすべきものであらう。