10数万にのぼる中共軍の大部隊は

2月16日夜半から17日未明にかけて、

1千キロ以上にわたる国境線の全域で、

ベトナム領内に対する極めて大規模な

侵入・攻撃作戦を開始した。

ベトナム政府は17日夜、

中共側がベトナムに対してしかけてきた

侵略戦争をきびしく非難し、

全世界に向けて、中共の侵略行為に

抗議するよう訴えた。


中共側はその軍事攻撃を「自衛の反撃」などと称して

理由付けようとしていたが、

国境の全域で、砲兵部隊、戦車部隊、戦闘機部隊を

大量に投入して侵入を開始した侵略者が、

中共自身であることは明々白々な事実だった。

中共は前年の9月26日、

ベトナム・中共両国の外務次官会談の

無期限中止を一方的に宣言し、

紛争解決のための話し合いを拒否。

こうして武力に訴えて他国の領土を

公然と侵略し、それによって他民族を

自国に従わせようとする中共の行為は

国連憲章をふくめ国際法のすべての原則を

ふみにじるものであった。


さらにベトナムに対する「制裁」などという

中共の主張は、その主張自体が、

自らを世界の審判官になぞらえる

覇権主義的な発言であり、

アジアと世界の平和、

諸民族の主権に対する挑戦であり、

侵略的な覇権主義を暴露したものだった。


ところが、中共のベトナム侵略の

第一報を日本のマスコミは

中共による「懲罰の限定自衛作戦」と

大きく報じたのだった。

日本のマスコミ各社は

中共当局の発表とアメリカ筋の流す

情報を鵜呑みにしてしまっていた。


2月21日の朝刊では

中共の何英外務次官が「戦争は終結した」と

言明したとして、

「中国軍、近く撤退へ」「中国軍、全面撤退へ」

といった大見出しをかかげておいて

3日後の24日の朝刊では

バンコク筋の情報として

「中国軍、五省都を制圧」

「中国軍、ハイフォン空襲説も」といった見出しで

侵略軍の快進撃を伝えるありさま。


「撤退」するはずの中共軍が「進撃」するという

おかしなマスコミ報道は

中共の情報操作に日本のマスコミが

乗せられたことを如実に表していました。


「中越戦争」に関する真実を伝える文献が

ほとんどないのはここのところにあります。


アメリカと日本の政府は

中共の鄧小平が訪米・訪日した際に

「ベトナムのカンボジア侵略」をでっちあげ

「制裁」を口実に、公然たる侵略開始の意図を

表明したのに対し、明確な反対を表明せず、

事実上容認する態度を取ってしまった。

それが、鄧小平が帰国するや否や

中共がベトナム侵略に踏み切る契機になった。

このことは当時のベトナムのハ・バン・ラウ氏が

国連安保理事会で

「ワシントンと東京は、中共のベトナム侵略を

奨励しなかったとしても、同意は与えた」と

述べていたことを考えれば、

厳しい言い方をすれば、

「中越戦争」の責任の一端は

日米両政府にもあったと言えるだろう。