ミクロネシアは16世紀にスペインの植民地となったが、

19世紀末にアメリカとの戦争に敗れたスペインは

国力が疲弊したため、領土の一部である

カロリン諸島をドイツに売却した。

ドイツ領ミクロネシアと日本は

経済関係を結んでいたが、

第一次世界大戦が勃発したため

帝國海軍がドイツ領ミクロネシアを攻略。

国際連盟より日本はミクロネシアの統治を

委任されることとなった

ミクロネシアは25年間、日本の統治下にあったが、

昭和19年、アメリカ軍の攻撃により陥落した。

その後はアメリカに統治されたが、

昭和61年にミクロネシア連邦として独立。

現在はヤップ、チューク、ポンペイ、コスラエの

4州と有人の島約60、無人島を含めると

約600の島からなる。



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」


よく、日本はアジア各国を植民地化して、

多くの人々を苦しめたというが、

いわゆる西欧列強の「植民地政策」と

日本の「経営統治」とはその性質が全く違う。

その大きな違いは何かといえば

西欧列強の植民地政策は

「愚民化政策」「搾取」であり、

日本の「経営統治」は

「インフラ整備」「教育推進」「産業興隆」である。


ミクロネシアは第二次世界大戦で廃墟となり、

独立した現在も貿易赤字続きで、

最も裕福だったのは「日本統治時代」なのだ。

多くの日本人事業家がミクロネシアに移住し、

経済を活発化させ、

サトウキビ、採鉱、漁業、熱帯農業を

主要産業として発展させ、

日本統治時代はずっと貿易黒字が続いた。


日本の統治が終わってから70年近い歳月が

流れたわけだが、

ミクロネシアにはいろんな日本語が残っている。

今も尚、ミクロネシア連邦各州に残っている

日本語を知れば、日本のミクロネシアでの

「経営統治」の実像が見えてくる。

「植民地政策」として「搾取」など全く無く、

いかにミクロネシアに文化的で、

素晴らしい生活を与えたかが分かる。


【ポンペイ州に残る日本の言葉】

デンシンバシラ(電信柱)、カエル(蛙)、ガマ(釜)、

ボウクウゴウ(防空壕)、ジドウシャ(自動車)、

カンソウバ(乾燥場)、モッタイナイ、シランカオ(知らん顔)


【チョーク州に残る日本の言葉】

ビョウイン(病院)、ハンズボン(半ズボン)、ニカイ(2階)

チチバンド(ブラジャー)、ヤサイ(野菜)、ナス(茄子)

キュリ(胡瓜)、オカシ(お菓子)、ネギ(葱)、ハシ(箸)、

ニギリメシ(握り飯)、タマネギ(玉葱)、ニンジン(人参)、

ホウレンソウ(ホウレン草)、サシミ(刺身)、スシ(寿司)、

タコ(蛸)、アジノモト(味の素)、ショウユ(醤油)、

ウンドウカイ(運動会)センセイ(先生)、ガッコウ(学校)、

イチクミ、ニクミ、サンクミ、ヨンクミ、ゴクミ(1~5組)

レンシュウ(練習)、サカダチ(逆立ち)、ヨーイドン、

バイキン(ばい菌)、ゾウリ(草履)、デンキ(電気)、

センコウ(蚊取り線香)、タワシ(束子)、テンジョウ(天井)、

カツドウ(映画)、キンバ(金歯)、ハタケ(畑)、クルマ(車)、

トラック、ヒコウジョウ(飛行場)、カッソウロ(滑走路)、

サンバシ(桟橋)、トウダイ(灯台)アイノコ(混血児)、

バクダン(爆弾)、ベンジョ(便所)、ケンカ(喧嘩)、

オートバイ、ミズ(水)、コンニチハ、ゴメンナサイ、

オハヨウゴザイマス、アリガトウゴザイマス、

アリマセン、ホントネ


【ヤップ州に残る日本の言葉】

カバン(鞄)、スカトー(スカート)、ヒコキー(飛行機)

テンプラ(ドーナツ)、アンパン(餡パン)、ラーメン、

ベントー(弁当)、ジャンケンポン



衣食住から医療、教育に到るまで

文化的・知的水準の高い生活を

窺い知ることのできる言葉ばかりである。


ちなみに、ミクロネシアでは

御飯にスパム(缶詰のハム)を乗せて海苔で巻いたものを

「むすび」といい、「スシ」とは「いなり寿司」「巻き寿司」。

細く揚げたお菓子を「カリントウ」という。