安倍首相が硫黄島訪問

安倍晋三首相は14日午前、

大東亜戦争末期に日米が激戦を繰り広げた

硫黄島(東京都小笠原村)を訪問した。

同島で戦死した旧日本軍将兵約2万2000人のうち、

これまでに収集された遺骨は約1万人分にとどまっており、

首相は収集作業の加速を促すため、

遺骨の収容現場などを視察。

戦没者追悼式にも出席した。
 

首相は追悼式で

「遠く離れた家族を案じつつ

戦場に散った方々に思いをいたすとき、

悲痛の思いが胸に迫る。

戦争の惨禍を繰り返さないためにも、

歴史を風化させることなく、

若い世代に伝えないといけない」

と語った。 



【再録】浅田真二陸軍中尉の死


これは江田島の教育参考館の館長だった

岡村清三先生の講演からです。


岡村先生が硫黄島作戦の米軍最高司令官

スプルアンス大将のご子息と会われたとき、

「東京大学という大学はどういう大学か」と

聞かれたので、

「ハイレベルの大学だ」と言うと

次のような話をしてくれたのだそうだ。


スプルアンス大将が硫黄島を占領した翌日、

摺鉢山の近くの穴から、

片足を失った日本の陸軍少佐が

這い歩いてきて投降した。

そして「あの穴の中に部下がまだ30人いる。

その中に日本の東京帝国大学(現・東京大学)を

出た優秀な青年がいる。

あいつはこれからの世界のために残したい。

私を殺して、あいつを代わりに助けてやってくれ」

と言った。

スプルアンス大将が「二人とも助けてやる」と言うと、

その少佐は「サンキュー」と言って息を引き取った。


そこでスプルアンス大将は穴の所へ行って

「君たちの隊長が君たちを助けてやってくれと言って

先ほど息を引き取った。もう戦いは終わった。

だから出てきなさい」と説得するのですが、

彼らは「出るものか!」と言って出てこなかった。

大将が「タバコはあるか?」と聞くと、

「そんなものあるものか!」と応えるので、

大将は上からタバコを投げ入れた。

しばらくすると中からタバコの煙が出てきて

「ありがとう」という声が返ってきた。

「タバコならいくらでもあるぞ。だから出て来い」

と言うと、「出るものか!」と応える。

「お菓子はあるか?」と聞くと「ない」と応える。

チョコレートを投げ込むと「ありがとう」と応える。

「出て来い」と言ったら「出るものか!」の繰り返し。


そんな膠着状態が2月から5月まで続いた。

食糧もなく穴の中で頑張り続ける兵士たちは

次々に餓死していき最後は7人しか残っていなかった。

そして5月13日の午前4時。穴の中で爆発が起きた。

スプルアンス大将が駆けつけると

穴の入り口に英語と日本語の手紙が置いてあった。


「閣下の私たちに対するご親切なご厚意、

誠に感謝感激に堪えません。

閣下より戴きました煙草も肉の缶詰も

皆で有り難く頂戴しました。

お勧めによる降伏の儀は、

日本武士道の習いとして応ずることができません。

最早水もなく食もなければ、

13日午前4時を期して、全員自決して天国に参ります。

終りに貴軍の武運長久を祈って筆を止めます。」


昭和20年5月13日 日本陸軍中尉 浅田真二


米軍司令官スプルアンス大将殿



英語と日本語、同文の手紙でした。


これを見たスプルアンス司令官は、戦後

アメリカに帰ってから10数年間、

アメリカ全土を講演して回った。

「アメリカの青年よ、立ち上がれ。

東洋には素晴らしい国があるぞ。

その国は日本だ。

日本にはお前たちが想像もつかない

立派な青年がいる。

ああいう青年がいる日本は

やがて世界の盟主になるだろう。

アメリカ青年よ、奮起せよ!」と。


しかし、こういった話は闇から闇へ葬られ

戦後の日本のマスコミは軍人のいい所は

一切とりあげなくなり、

口を開くと「侵略戦争」「アジアに対する加害者」

としか言いません。


岡村先生はそのたびに涙が出ると言われます。

そんなこと英霊に対して言えるはずがないと…