慰安婦問題で旧日本軍の強制性を認めた

1993年の河野談話を日本政府が

見直す動きをみせていることについて、

共同通信が17日、アメリカ政府関係者の話として

河野談話の見直しは望ましくないとの意向を伝えたうえで、

「旧日本軍慰安婦などの歴史問題が政治問題に発展し、

日韓関係に悪影響を与えることは受け入れられない」

と述べたと伝えているらしい。
これに先立って、日本経済新聞も今月6日、

複数のアメリカ政府関係者が去年末に

日本政府に憂慮を伝え、

「日本が河野談話を見直す場合、

アメリカ政府としては何らかの対応を取らざるを得ない」

と述べたと報じました。


実際には存在しない「日本軍慰安婦」の問題で

アメリカがこのような態度に出ることに

違和感を持つ人もいると思いますが、

東京裁判で「平和に対する罪」「人道に対する罪」を

でっち上げて裁いた連合国側のアメリカは

大東亜戦争に関することについては、

日本の敵に回るのは実は必然です。

韓国の慰安婦、中国の南京大虐殺だけでなく、

アメリカも日本の罪をでっちあげていることが

多々あります。

その一つが映画「戦場にかける橋」です。

昭和32年(1957年)に公開された英米合作の映画

戦場にかける橋』は第30回アカデミー賞作品賞を受賞。

主演男優賞など7部門のアカデミー賞と

27の国際賞を受けた不朽の名作といわれていますが、

とんでもない虚構作品です。

旧日本軍がタイ-ビルマを結ぶ泰緬鉄道の

クワイ河鉄橋を建設する際に、

労力の提供を要請して捕虜たちを虐待した

というのは実際は連合国による捏造なのです。

「戦場にかける橋」はあくまでフィクション映画ですが、

戦争を知らない世代には誤解を招きます。

事実、映画公開後、

もっと残虐な捕虜虐待があったなどという

反日煽動家(日本人も含めて)が後を絶ちません。


延長450キロに及ぶ泰緬鉄道は、

10ヶ月余の突貫工事で

昭和18年10月25日に開通しました。

鉄道第9連隊第5中隊第2小隊長として、

工事着手から完成、その後の輸送まで

全てに携わってきた将校に野田繁夫さんがいます。

野田繁夫さんは

「日本軍は捕虜を虐待していない。

『戦場にかける橋』は

連合軍による戦犯裁判を正当化するための

筋書きになっているが、全くの虚構だ。

亡き戦友の汚名をそそぎたい」

との一念から1冊の本を執筆されました。



永井古書店の古本屋日記


『鉄路の彼方に-私の泰緬鉄道従軍記-』



旧日本軍7千人、

アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの

連合軍捕虜5万5千人、

インド、ビルマなど7カ国の労働者15万人が建設に従事。

工事中に栄養失調やマラリア、コレラで

旧日本軍1千人、捕虜1万7千人、

現地労働者4万2千人が死亡したといわれ、

戦後「死の鉄道」との非難を受け、

シンガポールで行われた連合軍の戦犯裁判で

旧日本軍の32人が処刑され、16人が終身刑、

63人が有期刑を受けた。

『戦場にかける橋』は日本でも昭和32年に公開され、

昭和51年4月にテレビでも放映された。


野田さんは旧日本軍の捕虜虐待など非人道的な仕打ちが一般には当然のようにとらえられていることに驚く。

「このままでは亡き戦友の汚名は永久に消えさらない。

真相を明らかにするのが生き残った者の使命」と考え、

従軍記の執筆に奮い立った。

まず第5中隊の仲間同士で年1回開いている

「鉄九五中会」で証言を求め、

一緒に建設に従事した第5連隊の戦友にも会い、

また当時の部下で泰緬鉄道開通後、

配置替えで転任した愛知県豊橋市の春日英三郎さんが

建設中の写真を持ち帰っていることもわかり、借り受けた。

昭和53年3月にはタイへ渡り、泰緬鉄道にも乗り、

今は廃線になって、密林に覆われている

ナムトク-ターカヌン間88キロ分を踏査、

現地住民にも取材を重ね、

貴重な証言を得ることに成功した。


映画『戦場にかける橋』では

クワイ河架橋の設計計画から施行に至るまで

捕虜である英米将校の技術指導を受け、

旧日本軍の無能ぶりが強調されている。

また命令に従わない捕虜の軍医を機関銃で脅したり、

土牢に入れてふらふらになるまで減食させたりして

虐待したことになっている。

これに対して野田さんは

①旧日本軍の鉄道兵がすべての技術を担当、

捕虜には労力の提供を要請しただけである。

②作業の指揮は映画では捕虜収容所になっているが、

実際は鉄道隊将校がとった。

③鉄道隊が同収容所に労力の提供を

申し出ることになっていたが、

その日の捕虜の体調などで何回も拒否された。

収容所はそれほど捕虜の扱いに神経を遣い、

虐待などは全くあり得なかった。

中にはそういった配慮に感謝して

進んで作業を申し出た捕虜の将校もいた。

-としている。

さらに野田さんは、

連合軍側が戦後、同鉄道建設関係の

戦犯捜しに乗り出し、

生存捕虜から根も葉もない虐待資料を取り、

またオランダの元捕虜将校は現地に賞金をまいて

旧日本軍への悪口雑言を集め、

これらがシンガポールで行われた

戦犯裁判の証拠資料になったことも指摘している。


これは中国が南京大虐殺の証言を

賞金をまいて集めたのと全く同じだ。


日本が東京裁判史観から脱却し、

戦後レジームから脱却するためには、

自主独立を勝ち取るために

米英とも戦う覚悟が必要なのである。