明治35(1902)年1月、

吹雪で荒れる天候で約200人が遭難した

陸軍の八甲田雪中行軍に関する

新たな史料が110年ぶりに発見された。

同行軍で全員生還した弘前31連隊の

指揮官・福島泰蔵大尉が残した

行軍に関する手記や報告書など約250点で、

大尉の親族が保管してきたものを

日露戦争から1世紀が過ぎたのをきっかけに

寄贈先を探していたが、このほど

陸自幹部候補生学校(学校長・田浦正人将補)に

寄贈され、貴重な史料の存在が明らかになった。



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」

福島大尉

今回陸幹候校に寄贈されたのは、

八甲田雪中行軍で弘前31連隊を率いた

福島泰蔵大尉直筆の行軍手記や報告書をはじめ、

同隊が八甲田演習前に氷点下12度の弘前市周辺で行った

雪中露営訓練報告書、

22時間睡眠なしで行った岩木山冬期行軍実施報告書、

訓練中の記録写真、同大尉の軍服、双眼鏡など計約250点。
 

八甲田雪中行軍は日露戦争開戦2年前の

明治35年1月、陸軍が対ロシア戦を想定して、

青森県八甲田山(標高1584メートル)で行った

冬季戦研究のための演習で、

青森5連隊から210人、弘前31連隊から37人が

それぞれ別計画、別ルートで厳冬期の八甲田に入った。
 

しかし、記録的な猛吹雪と寒波に見舞われ、

青森隊は199人が凍死する惨事になる一方、

弘前隊は総行程224キロを11泊12日で踏破、

全員が生還するなど明暗が分かれた。


松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」

行軍3日目の弘前隊


 弘前隊の行軍記録は福島大尉が

日露戦争の黒溝台会戦で戦死(享年38)後、

青森5連隊遭難事件の影響もあって

親族が「門外不出」とし、

他の史料とともに群馬県伊勢崎市の

同大尉の生家で引き継がれてきた。
 平成17年の日露戦争100年をきっかけに、

当主の福島国治氏(64)=福島大尉の弟の孫=が

長崎県諫早市在住の倉永幸泰氏(86)=同大尉の孫=に

史料の大部分を送り、活用方法の検討を託した。

倉永氏は史料整理を続けながら公開に向け寄贈先を探し、

元陸幹候校副長の川道亮介氏(69)=シバタ工業技術顧問=の

仲介で22年3月に同校を初訪問。

調整の結果、危機管理に関する教育資料として

同校への寄贈と史料館での展示が決まり、

4月12日、寄贈式が行われた。
 式には学校側から田浦校長、大坪副長、木原総務部長、

山本教育部長、石橋学生隊長、

親族代表で倉永、福島氏ら5人と川道元副長の計11人が出席。

寄贈書類の調印とテープカット後、田浦校長があいさつし、

「遺品は物心両面で実態に即した準備があれば

最悪の環境下でもためわらず決断し、

成功を勝ち取れることを示唆する歴史的な証拠。

教育に最大限活用させていただく」と述べ、

倉永、福島両氏に感謝状を贈呈した。
 続いて倉永氏が

「祖父は日露戦の冬期行動マニュアルを作るという

強い信念を持つ優れたリーダーだったと思う。

史料を役立ててもらえることを本人も喜んでいるはず」と述べた。



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」

テープカット


 遺品は入れ替え式で展示され、

事前に申し込めば平日午前8時から午後4時45分までの間で

一般も見学可能。

すでに多数の問い合わせが同校に寄せられている。
 倉永氏は

「寄贈先を迷ったが、日露戦争とは何だったのかという

大きな流れの中で祖父の史料が展示されているのを見て

我が意を得た気がする。

私自身、自衛隊、平和、今の日本について

改めて考える良い機会になった」と話している。


以上、朝雲新聞より