ゴールデンウイーク後半も残り2日。

今日は5月5日、こどもの日です。

私のこどもは既に社会人になっているので、

「ごどもの日にどこか連れて行ってやろうか?」

なんて言っても迷惑がられるだけ。


私の子供たちの幼少期はまだバブル期の後半だったので、

私は典型的な仕事人間でした。

それでも、こどもの日には

こどもたちと過ごしました。

毎年、行くのは決まって

京都府大山崎の天王山でした。

豊臣秀吉と明智光秀が戦った山崎の合戦の

主戦場となった場所です。

それ故に「天王山」は天下分け目の例えに使われます。


行く目的はただ、山を登って下りるだけ。

途中の展望台でお弁当を食べる以外は、

戦場に選ばれるだけあって、

大人でも厳しい急な山道の登り下り。

ただ、標高そのものは僅か300メートル足らず。

疲れを知らない子供なら、

充分登るのは可能だし、

達成感を感じることも出来、

素晴らしい景色を眺めることも出来、

日頃ほとんど会話する時間もない親子で

時間を共有することも出来るので、

意外と有意義な1日になりました。

子供たちも、幼い頃のことですが、

記憶に深く刻まれているようでした。


私が天王山に行くようになったのは

学生時代の頃からです。

学生運動をしていた頃は、

よく合宿して勉強会をしましたが、

飲食物の持ち込みがOKで、

素泊まり料金が破格の安さで、

何十人と言う学生が合宿して

勉強会のできる広間があったのが、

大山崎の宝積寺(通称、宝寺)でした。

(今は宿泊はできないみたいです)



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」


この宝寺の奥からの山道は

ハイキングコースにもなっていて、

山道は竹林が続いています。



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」


展望台からは水無瀬川が見え、

きれいな景色が広がっています。

「どうだ、いい眺めだろう」と言って

子供たちを見ると、

いきなり弁当を広げて食べ始めておりました(笑)

ところが、お弁当の匂いに誘われて、

小さな蜂が飛んできて、

息子は悲壮な顔をして、

弁当を持って逃げ惑います。

我が子の悲壮な顔を見て、

笑い転げる親というのも不思議な構図です。


頂上近くの広場みたいなところでは、

ハイキング客がお弁当を食べたり、

ボール遊びをしたりしていますが、

ある一角には幕末の戦いにおいて

ここで散った十七烈士の墓

同志を長州に見送った後で自決した

真木和泉守保臣の墓があり、

その辺りだけは鎮まりかえっています。



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」

十七烈士の墓



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」

真木和泉守保臣の墓


下山するときは分かれ道が2箇所あり、

2つ目の分かれ道をいつも見落としてしまい、

毎回、登って来た道とは全く違う道を通って

下山してしまうことになるのです。

ところが、そちらの方の竹林の方がとても迫力があり、

帰りの阪急電車の駅も近いので、

それはそれでいいのです。

宝寺の方を回ったら、自動販売機の

ジュースを買ってと言われてしまうので・・・(笑)