○議長(堤康次郎君) 日程第六、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案を議題といたします。委員長の報告を求めます。海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員長山下春江君。
    〔山下春江君登壇〕
○山下春江君 ただいま議題となりました戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案について、海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会における審議の経過並びに結果を御報告申し上げます。
 まず、決議案文を朗読いたします。
   戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議
  八月十五日九度目の終戦記念日を迎えんとする今日、しかも独立後すでに十五箇月を経過したが、国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を見るに至らないことは、もはや国民の感情に堪えがたいものがあり、国際友好の上より誠に遺憾とするところである。しかしながら、講和条約発効以来戦犯処理の推移を顧みるに、中国は昨年八月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、フランスは本年六月初め大減刑を実行してほとんど全員を釈放し、次いで今回フイリピン共和国はキリノ大統領の英断によつて、去る二十二日朝横浜ふ頭に全員を迎え得たことは、同慶の至りである。且又、来る八月八日には濠州マヌス島より百六十五名全部を迎えることは衷心欣快に堪えないと同時に、濠州政府に対して深甚の謝意を表するものである。
  かくて戦争問題解決の途上に横たわつていた最大の障害が完全に取り除かれ、事態は、最終段階に突入したものと認められる秋に際会したので、この機会を逸することなく、この際有効適切な処置が講じられなければ、受刑者の心境は憂慮すべき事態に立ち至るやも計りがたきを憂えるものである。われわれは、この際関係各国に対して、わが国の完全独立のためにも、将又世界平和、国家親交のためにも、すみやかに問題の全面的解決を計るべきことを喫緊の要事と確信するものである。
  よつて政府は、全面赦免の実施を促進するため、強力にして適切且つ急速な措置を要望する。
  右決議する。
    〔拍手〕
 そもそも、講和条約発効以来、戦争受刑者の釈放措置等について決議案が本院に上程せられましたのは、今回が第三回目でございます。しかも、今回は、前二回とはまつたく異なつた情勢下において御審議を願うわけでございます。と申しますのは、昨年八月、中国が、日華条約発効と同時に、全員赦免を断行して、戦犯問題を一挙に解決して以来、本年六月に至るまでは、ひとり米国が前後十三回にわたり合計約六十名の仮出所を許しただけで、全面的解決の兆候はいずこの国にもこれを認めることができなかつたのであります。しかるに、本年六月に入るや、フランスが突如大減刑を断行して、ほとんど全員を釈放したのに続いて、このたび比島は、キリノ大統領の大英断によつて、モンテインルパに服役しておられた百八名全員の内地送還、しかも、同時に、死刑から終身刑に減刑となつた五十六名の巣鴨移管を除き、他の全員に対して赦免の措置がとられ、去る七月二十二日朝、横浜埠頭に、これらの方々全員のほか、痛ましくも異境の丘に散つた刑死者の御遺骨十七柱までもお迎えすることができたのでございます。
 八年という長い間、異国の獄中、苛烈なる運命に耐えて来られた、これらの人々を迎えるこの日の母国は、折からのつゆ空もめずらしく晴れわたり、岸壁を埋めた数万人の出迎人のどよめきの中に、戦友の御遺骨をしつかと抱いて、白山丸から歩一歩静かに祖国の土におり立つた方々の深刻な苦悩を刻んだ悲壮な姿は、人々に深い感銘を与え、群衆も一瞬鳴りをしずめたのでございます。(拍手)続いて、御遺骨に対するしめやかな拝礼が行われている一方には、上陸第一歩とともに自由の身となつた方々を囲む晴やかな歓声があがり、またその一方には、黙々として巣鴨の鉄窓の中に送り込まれる一団の方々がありました。まことに悲喜哀歓、あらゆる感激の場面が展開され、名状しがたい大きな感動がすべての人々の心を支配していたのでございます。生ける者、死せる者、すべてを母国に迎え得た、それはやはり国民の大きな喜びでなければなりません。(拍手)
 私は、この機会に、個人的な恩讐を超越して、よく比島国民の不満を押え、正義人道の大局からこのたびの大英断を下されたキリノ大統領に対し、最大の敬意と感謝をささげるものであります。(拍手)なおまた、この悲願達成の陰に、筆舌に尽しがたい苦難の道を乗り越えて、献身的な努力を続けられましたモンテインルパの聖者加賀尾秀忍師、マニラ在外事務所の金山参事官、復員局の植木事務官に対しましても、厚くお礼を申し上げたいと存じます。(拍手)
 さて、一方、この比島政府の英断が発表せられました直後、さらに大きな朗報が伝えられましたのは、いわゆるマヌス島に服役しておられる戦争受刑者の内地送還決定に関する濠州政府の発表でございました。この内還につきましては、さきに英国女王陛下の戴冠式にあたり、去る六月二日、本委員会委員長名をもつて、これらマヌス島の方々の内地送還実現につき、請願書を駐日濠州大使を介して同女王陛下に送りましたが、今日その実現を見ましたことは喜びにたえません。(拍手)すでに濠州政府の了解を得ましてお迎えに参りました白龍丸は、七月三十一日午前十時現地を出発し、ただいま日本に向つて航海中であります。昨二日午後九時、白龍丸から、このたびの内還は、議員各位、特に引揚委員長等の御同情と御努力によるところ大なりと考え感謝にたえず、なお今後一層御高配をお願いする、マヌス戦犯一同、という電報が来ました。かくして、来る八日には、過去八年絶海の孤島に孤立無援の生活を続けて来られました百六十五名の方々全員を日本にお迎えすることができますことは、私どもの大きな喜びとするところでございます。(拍手)
 マヌス島と申しましても、収容所の置かれていたその属島ロスネグロスにおいて、海軍基地建設の重労働に従事せしめられて参りましたこの方々は、温帯人の長期在住不可能と称せられる灼熱瘴癘の地に八年間、もみだらけの玄米と、コーンビーフとグリーンピースという、全然献立の変化のない食生活では生きる気力もうせなんとする悪環境に耐えて、奇跡的に生き抜いて来られたのであります。新鮮な野菜を食べたのは、八年間に二、三度ということであります。わけても僻遠の地である上に、通信連絡の制限は相当にきびしく、家庭との密接な連絡はきわめて困難なばかりでなく、内地からの来訪はまつたく許されない、いわゆるやしのカーテンに隔てられた別天地でございますので、ここに暮された御当人にも増して、肉親の方々の不安と懊悩はまことに深刻なものがあつたことでございましよう。いつ帰るという当てのない人を待ち暮す内地の肉親は、「神仏いかにかおぼす八年ごしあつき島わにつながるる身を」と、はるかに思いを遠く熱帯の孤島にはせて、ひそかに焦燥の思いを述べ、「待ちに待つ故郷人をしのびつつ今しばらくを強く生きませ」と祈り、かつ励ますほかはなかつたのであります。いずれも今村元大将夫人の作でございます。しかし、これらの方々の上にも、やがて喜びの日が訪れるのでございます。収容所入所以来、最初の往訪者であるスタンレー記者が現地より報ずるところによれば、帰国の日取りがきまつて、終身刑の戦犯たちの中にさえ笑い声が起つているということであります。八年間笑いを忘れていたとは、何たる悲惨なことでございましよう。この方々に対して喜びを与えられた今回の濠州政府の英断に対しまして、私は心から感謝の意を表するものであります。(拍手)
 さて、かくのごとくにいたしまして、もはや海外に残されました戦争受刑者は一名もなくなり、従来戦犯問題解決の途上に横たわつておりました最大の障害は完全に一掃されました。事態はまさに最終の段階に突入したものと考えられるのでございます。すなわち、平和条約によつて拘禁せられる戦争受刑者は、やがて濠州より送還される百六十五名を最後といたしまして、全員巣鴨に集結し、巣鴨は再び九百二十余名にふくれ上るのであります。これらの方々については、もはや助命運動も内還運動も一切は終了し、残された問題は、ただこの方々を一刻も早く巣鴨から釈放するということだけになつたのでございます。(拍手)
 ここで考えていただきたいことは、朝鮮戦争の終結でございます。惨列をきわめた武力戦が停止となり、恒久の平和がこれによつてもたらされることは万人の願いでございますが、このたびの休戦は勝敗なき休戦であり、降伏なき終戦であり、従つて戦犯裁判を伴わざる終戦でございます。開戦以来、この戦争においては、双方ともに相手方の戦犯行為を指摘非難して参りましたが、このような休戦となつてみれば、その処罰などは、双方ともやろうとしてもできることではございません。(拍手)結局、戦犯裁判というものが常に降伏した者の上に加えられる災厄であるとするならば、連合国は法を引用したのでもなければ適用したのでもない、単にその権力を誇示したにすぎない、と喝破したパル博士の言はそのまま真理であり、今日巣鴨における拘禁継続の基礎はすでに崩壊していると考えざるを得ないのであります。(拍手)
 最近、ソ連ばオーストリアの戦犯六百名を釈放し、さらにまた同国に抑留されている日本人戦犯の釈放内還見込みありとの報道も伝えられております。このごろの世界情勢の急変を見れば、ソ連が戦犯と称する全員を釈放して、巣鴨が現在のままに取残されるということなきを保しがたいのであります。(拍手)「獄にしてわれ死ぬべしやみちのくに母はいますにわれ死ぬべしや」、このような悲痛な気持を抱いて、千名に近い人々が巣鴨に暮しているということを、何とて独立国家の面目にかけて放置しておくことができましよう。(拍手)機運はまさに熟しているのであります。
 以上が大体本案の趣旨であります。
 本案は、七月二十七日本委員会に付託されたのでありまして、委員会は、現在の情勢を正しく認識し、その最終の段階に対処し、一刻もすみやかに問題の抜本的解決をはかるの要あるものと認め、本案をもつて本院における最終の決議たらしむべく、二十八日委員会において全会一致をもつて原案を可決すべきものと議決した次第でございます。
 右御報告申し上げます。
○議長(堤康次郎君) 採決いたします。本案は、委員長報告の通り決するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(堤康次郎君) 御異議なしと認めます。よつて本案は委員長報告の通り可決いたしました。(拍手)
 この際、法務大臣から発言を求められております。これを許します。法務大臣犬養健君。
    〔国務大臣犬養健君登壇〕
○国務大臣(犬養健君) ただいま本院においてなされました御決議を、深き感慨をもつて拝聴いたしました。
 戦犯処理につきましては、最近に至つて相次いで海外より朗報が参つておりまして、関係各国のとられましたこの好意ある措置に対して満腔の感謝を表明するとともに、これによつて釈放せられた戦争受刑者とその御家族の心中を推察いたし、ともに深き喜びにたえないものがあるのであります。(拍手)
 しかしながら、他面において、フイリピン及び濠州より帰還した人々、また帰還せんとする人々を含めますならば、巣鴨拘置所における拘禁者の数は、ほとんど平和条約発効当時と同数となるような実情であります。これらの人々の釈放につきましては、米国政府並びにオランダ政府は、個別的に、かつ司法的にこれを処理するという意向を明らかにしておりますが、その結果としましては、米国関係は、昨年十月から現在までを通じて許可を得た仮出所者は総計七十三名であります。またオランダ政府は、最近初めて十二名の仮出所者の許可をいたして参つたような次第でありまして、この際日本国民の真情を率直に吐露いたしますならば、さきにオランダ政府によつて行われましたところのあの大幅な、しこうして一切の過去を清算して再出発を盟約し合うごとき寛大な措置が、他の関係国においても早急にとられるよう、衷心より要望せざるを得ないのであります。(拍手)
 もとより、おのおのの関係国においてはそれぞれの特殊性を有し、その特殊な国情に応ずる対策を必要とすることとは思いますが、わが方としましては、すでに全面赦免の勧告手続を過去二回にわたつて行つていることでもありますし、かつ個別的な赦免、減刑、及び仮出所の手続も事務的にはほとんど終了しておる次第でありまして、しこうしてこの政府のとりました手続は、その背後において日本国民の切なる悲願が凝結して政府を激励鞭撻したものであると申しても、あえて過言ではないと存じます。(拍手)
 あたかも、ただいまの本院の御決議のごとく、昨年における中華民国、このたびにおけるフランス、フイリピン及び濠州各政府より、寛容にして宗教的精神に満ちた処置を受けたこの幸いなる機会に、わが方は他の関係各国に対してもこの際一層の誠意を披瀝し、一段と有効適切な手段を講ずることが、真に緊急の必要事と考えられるのであります。先ほど提案者の述べられましたごとく、事態は現在いわゆる最終の段階に入つていると考えられますので、政府はここにおいてあらゆる熱意と努力とを傾けまして善処をいたし、もつて国民各位の熱望にこたえたき覚悟でございます。(拍手)


昭和28年(1953年)8月3日。

上記の通り、衆議院本会議において、

「戦​争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が採択されました。

以前​より戦犯として服役を余儀なくされた方々のために、

助命嘆願の国​民大運動が起こりました。
その結果、連合国、戦勝国の了承の上、

A級は昭和31年、BC級​は昭和33年に全員の出所が実現しました。

この決議は、社会党、​共産党も賛成した全会一致の決議でした。
ところが今では多くの政治家が

靖国神社にはA級戦犯がまつられているから​参拝しないなどと

愚かな発言をしています。
日本に戦犯などいません。


「日本よ、日本人は連合国から与えられた戦犯の観念を一掃せよ」
(ラダ・ビノード・パール判事)

日本人がこの真実を共有しない限り、日本の真の独立はない。