三島由紀夫先生が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で

決起されたときに撒かれた「檄」文は


われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、

いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。

その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは

何故であるか。

かへりみれば、私は四年、学生は三年、

隊内で準自衛官としての待遇を受け、

一片の打算もない教育を受け、

又われわれも心から自衛隊を愛し、

もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、

ここでこそ終戦後つひに知らなかった男の涙を知った。

ここで流したわれわれの汗は純一であり、

憂国の精神を相共にする同志として

共に富士の原野を馳駆した。


で始まる。


楯の会会員は陸上自衛隊で1ヶ月の軍事訓練を受け、

その1ヶ月を落伍せず勤め上げることが条件だった。

富士の原野を馳駆したの言葉にあるとおり、

楯の会の自衛隊体験入隊は、

陸上自衛隊富士学校が中心だった。


三島由紀夫先生は「檄」文の中でさらに


四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、

その翌年には楯の会を結成した。


と書かれている。


実は、三島由紀夫先生がただひとり志を抱いて、

自衛隊に体験入隊した最初の地が、

久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校だった。


三島由紀夫先生のそのときの御文章を紹介する。


私はまず4月12日に、久留米の、

陸上自衛隊幹部候補生学校に隊付になった。

ここでの生活は、旧士官学校とウエストポイントとの、

一日中余裕のないスケジュールで追いまわして、

時間の効率を会得させる教育法に則ったものであった。

一日はまず、6時起床、6時5分の舎外点呼で、

半裸にエッサエッサと乾布摩擦をしながら

集合する行事にはじまった。

防衛大学出でない一般大学出の学生群は、

入校したばかりで勝手がわからず、

取締学生が、「……して下さい」などと命令しては、

「命令口調で言え」などと叱られていた。

英語とちがって、命令形の用法がせまい日本語では、

馴れるまで、心理的な抵抗があるのであろう。

ここでは予告なしに、朝礼時の服装点検があり、

何か指摘されると、自己反省のために、

十回腕立て伏せする慣習がある。

私も胸ボタンが外れているのを指摘されて、

十回腕立て伏せをやった。

課業の関係で制服に身を正して居並ぶ朝礼時など、

朝風のなかで、上着の茄子いろの裏地をひるがえして、

反省の腕立て伏せをする学生の姿には、

一種のさわやかな男らしさがあった。


夏の高良山マラソンの練習にいそしむ若い学生の、

飛鳥のようなランニングには追いつけなかったが、

22年ぶりに銃を担って、部隊教練にも加わった。

肩は忠実に銃の重みをおぼえていた。

行動の苦難を共にすると、とたんに人間の間の殻が破れて、

文句を言わせない親しみが生ずるのは、

ほとんど年齢と関わりない。

私は実に久々に、昼食後の座学の時間の耐えられない眠さを、

その古い校舎の窓外の青葉のかがやきを、

隣席の友人の居眠りから突然さめて

照れくさそうにこちらへ向ける微笑を味わった。

私は又、対核防護のガイガー・カウンターの鳴き声を知り、

航空機概説や、師団の編成の講義をきいた。

一般大学卒業生の宿舎から、防大卒業生の宿舎へ移るとき、

「向うがきつかったら、毛布を背負って、

逃げて帰っていらっしゃい。

いつでも泊めてあげますから」と学生たちは口々に言った。

一人の防大出の学生に文学論を

吹きかけられたのにはおどろいた。

あの理工科専門と思われる大学にも、

宿敵太宰治は影響を及ぼしていた。

私が、「太宰は人間の弱さばかりを強調したからきらいだ」

というと、彼は、

「しかし、やたらに強さを売り物にするよりも、

弱さを強調するほうが本当の文学者らしいのでは

ないでしょうか」などと。耳の痛いことをいうのであった。

無階級の体験入隊者の悲しさは、

校庭を歩いていると、見知らぬ一尉から、いきなり、

「おい、階級章を忘れとるじゃないか」

と怒鳴られたりした。


三島先生は4月12日の入隊から順に、

久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校、富士学校、

習志野空挺団と移られ、5月27日までの一ヵ月半、

最初の体験入隊をされたのでした。


5月28日に三島先生はインタビューで、


朝6時の起床。6時5分ないし10分の点呼、営内掃除、

寝具の整理、朝食などですが、適当になまけさせてもらって、

8時の朝礼に出ました。

8時が課業開始で、昼に1時間の休み、

午後5時に課業が終りです。

富士学校では就寝前の日夕点呼もなく

ベッドチェックですませるので、

9時ごろに寝てしまったこともある。

日課のきびしさからいえば、

久留米の候補生学校が一番でしたね。


と答えている。


幹部候補生学校は現在、

防衛大学校出も一般大学出も同室になっているが、

一般大学出は命令口調等にやはり心理的抵抗があるようだ。

同室の防大出の学生に敬語を使う者もいるとのことだ。

ゴールデンウイーク明けから、

夏の高良山マラソンのトレーニングが始まり、

今日は地獄のインターバルトレーニングがあったようだ。

かつて三島由紀夫先生も訓練された地で

息子が頑張っているのは感慨深いものがある。