防衛大学校の卒業式で今年は自粛になりましたが、

「○○期生、別れ!」の掛け声で帽子を投げ、

会場の外へ走り出した学生たちはその後、

それぞれ任官する陸海空の自衛隊の制服に着替えるのです。

防衛大学校生としての息子の最後の制服姿の写真を

撮りたかったのですが、姿を見つけられず

私と家内と父の3人は昼食会の会場に行きました。

13時前に姿を見せた息子は陸上自衛官の制服で

襟には陸曹長の階級章が輝いていました。

昼食会を終えて、荷物を置かせてもらっている

息子の部屋に向かう途中の第二大隊の裏門の前に、

息子の校友会の後輩たちが待ち構えていました。

そして、卒業するメンバーが全員合流すると

後輩たちから卒業生に寄せ書きの色紙が贈られ

全員で記念写真の撮影が行われ、

私と家内は少し離れてその様子を見ていました。


例年でしたら、昼食会の前に観閲行進と祝賀飛行が

あるのですが、今年はそれも自粛。

でも、卒業式の最後のセレモニーがこの後あるのです。

卒業式典の行われた記念講堂の横から

本部庁舎の横を曲がり正面に向かい

左に折れて正門に向かう約200メートルの道に

在校生、教職員たちが花道を作り

卒業生がそこを歩くのです。



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」

記念講堂横



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」


総合体育館前

松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」

本部庁舎前



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」

正門まで続く花道


陸上競技場とプールが並ぶ前の道に思い思いに

集まってきた卒業生は陸上、海上、航空要員の

グループを作ります。



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」

陸上自衛官の制服の卒業生



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」


海上自衛官の制服の卒業生



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」

航空自衛官の制服の卒業生は記念撮影中



そして卒業生が花道を歩き出すと盛大な拍手が

起こりました。

花道の後輩が、お世話になった卒業生に声をかけます。

笑って応える卒業生もいれば、感極まって涙を流す

女子の卒業生、男泣きする卒業生…。

本当は握手したりするのは禁止だったらしいのですが、

教官がその禁を破って卒業生に声をかけ

握手を求める姿がたくさんありました。



松本恭助の「日本の歴史と文化と伝統に立って」


そして正門前に卒業生全員が整列すると、

見送る在校生、教職員と向かい合います。

応援団による演舞の後、

いよいよ卒業式最後の別れの儀式

「帽振れ」です。

大東亜戦争で航空母艦から飛び立つゼロ戦を

「帽振れ」で送り出すシーンを映画で観たことの

ある人もおられると思いますが、

防衛大学校の卒業式の最後を飾るのが、

卒業生と、在校生による「帽振れ」なのです。


こうして、防衛大学校の卒業式は終わり…

のはずだったのですが、

東日本大震災のため停電になり、ガスが止まったりで、

卒業生たちもドタバタの1週間だったため

学校を出て行かなければならないのに、

まだ部屋に荷物が残ったままで、

荷造りをしなければならない卒業生が多数いました。

とばっちりを食った父兄は、子供の荷造りを手伝わされ、

また部屋の後輩たちも荷物運びを手伝い、

私の父はリヤカーで荷物運びをさせられました(笑)

荷物を全て出し終わり、私たちがリヤカーで運んでいる間、

のん気な息子は部屋の後輩と最後の記念写真撮影…

ホンマ、怒るデ!


結局、防衛大学校を出たのは午後6時頃。

これでは夕食だけをどこかで済ませて

新横浜に向かうしかありません。

最後の最後までドタバタでした。


馬堀海岸駅に着くと息子の校友会仲間のY君がいました。

Y君はキャリーバッグを持ってただ一人でした。

Y君は確か九州出身で被災地出身じゃないのに

ご両親は卒業式に来られなかったのかな?と

息子に聞くと、「Yのお父さんは現職自衛官やから、

被災地に派遣されていると思う…。」


被災地出身者の学生だけではなく、

現職自衛官を父に持つ学生も

一人ぼっちの卒業式だったのです。

現職自衛官を父に持つ防大生はやはり多数いるのです。

最後の最後にまた、現実を見せつけられてしまいました。


最後にもう一つ。

防大生は手当てを貰っているとはいえ、

校友会費その他でお金が飛んで行き、

楽しみといえば食べることくらいで、

部屋の後輩全員を連れて焼肉を食べに行って

5万円も飛んでしまった可哀そうな部屋長もいました(笑)

恋人のいる防大生はデート代でお金が飛んで

全く残らないとか…(笑)

外出したら金が飛ぶというので、月の半ばになると

部屋で寝てるしかないという学生も多数いるそうです。

卒業式前は、世話になった研究室の教授や

校友会、中隊の仲間との飲み会等もあり

ほとんどの学生はスッカラカン状態。

そんな中で3月11日に東北地方太平洋沖地震が

あった訳ですが、3月20日の卒業式までの

ほんの数日の間に、防衛大学校の学生1700人は

それでも義援金を32万円も集めたというのです。

本当に、防衛大学校の学生はエライやつらです。