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マツミンのブログ

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松稔の芸能裏話(72) 第1回ホリプロLIVE大成功!

第一回目のホリプロお笑いライブは大成功だった。

僕等にとっても手応えのあるライブだった。

 

ライブ当日、ホリプロの堀会長も来られていた。

 

盛況だったので会長も機嫌が良かった。

 

打ち上げの会場にも急遽参加して下さった。

 

僕等の横に座ってくれて、色々話をしてくれた。

 

『ホリプロが今まで無かった部門、それはお笑いだった。

 

君達の力でこのホリプロお笑い部門を大きくして下さい』と云ってくれた。

 

とても気さくな人だった。

 

会長のお墨付きを貰って、やっとホリプロに入った実感が湧いた。

 

考えてみれば大阪の吉本興業、東京のホリプロと云えば芸能界の最大手である。

 

この二つのプロダクションに入ってタレントは、芸能界広しと云っても僕ぐらいだろう。

まぁ大阪で成功しなかったから、東京に来たんだけど、やっと大阪にいる兄弟や身内の人にも話が出来るようになった。

 

ホリプロに入って驚いたのは、吉本興業と違ってアイドル事務所なので、

 

若くて可愛い女の子のタレントが多い事だった。

 

だからとても華やかでさすが東京と云う感じだった。

 

僕等の班は、榊原郁恵さん・井森美幸・山瀬まみ・鈴木ヒロミツさん・吉村明弘さんがいるセクションだった。

 

殆どお笑い系の人だから安心した。

 

郁恵さんは、テレビで見るのと同じイメージだった。

 

いつも朗らかで明るい、姉御肌の人でした。

 

井森美幸はアイドルからバラドルに代わった第1号のタレントで、歌は下手だったが誰にも好かれる娘だった。

 

山瀬まみちゃんは歌うまいが、唄うのが嫌いなのでバラドルになったそうだ。

 

思ったより背が高く、頭のいい娘です。

 

鈴木ヒロミツさんは、仕事が一緒にならないので、恐そうな印象だったのだ。

 

しかし四国のイベントに行った時、すごく親切にして貰った。

 

焼き鳥の話が出て、焼き鳥好きだったら送ってあげるよと云ってくれて、

 

本当に一週間後、地鶏の美味しい焼き鳥を送って頂いた。

 

吉村さんは、ホリプロに入る前から知っていたので、

 

僕等が入った事でお笑いの仲間が増えたから喜んでくれた。

 

ホリプロに入って良かった事は、お笑い番組だけじゃなくドラマとか色んな番組にバーターで入れることだ。

 

井森がバラドルで活躍していたので、よくバーターで入れてもらった。

 

山田邦子さんのお笑い深夜族と云う番組があった。

 

井森がレギューラーで、色んなヌイグルミを着て頑張っていた。

 

僕等もその番組に出して貰ったお陰で、邦子さんに気に入られ、

 

それ以来邦子さんがやる新番組にレギュラーで入れて貰った。

邦子さんは僕等のファンらしく、家にまで呼んでくれた事があった。

 

僕等は女装コントをしていたので、男と思わず女友達を呼ぶように気さくにマンションに呼んでくれた。

 

その日は、おにゃんこクラブの生稲晃子・可愛かずみ・他アイドルの子が三人位いて、

 

男は僕等三人だけで、パーティーをした。

 

邦子さんは料理が上手で、一人で手早く全員の料理を作ってくれた。

 

トランプをしたり、ゲームをして朝まで大盛り上がりした。

 

アイドルとかいたのに、何の問題もなく朝まで子供のように遊んだ。

 

芸能界には乱交パーティーとか大流行なのに、意外とみんな真面目だなと思った。

 

ちょっと残念だった!?本当に僕等を男と思われていなかったのかな。

 

本当に中学生の修学旅行のようで楽しかった。


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松稔の芸能裏話(71) ホリプロお笑いタレント第1号として契約

色々あったがホリプロお笑いタレント第1号として契約をした。

 

契約内容は、給料は無くギャラを折半する事で一致した。

給料を貰うと安心してしまうし、夢がない!

毎月々0からの出発、ハングリー精神で頑張れる。

 

ホリプロの給料提示が一人15万円だった。

当時のお金だったら良い方だった。

 

何故ならホリプロのアイドルは一人5万円だったそうです。

 

それに比べれば破格の値段であったが、給料を貰っていると一つ一つの仕事を

 

大事にしないようになると思って断った。

その判断は本当に良かった。

 

入って1ヶ月目のギャラは一人30万円を超えていたからです。

 

ホリプロに入って最初の仕事は、ホリプロライブの立上だった。

毎週日曜日、朝10時からネタ見せ。ホリプロにお笑いが分かる人が居ないから、すべて私が仕切った。

当時のメンバーは、キットカット(現イジリ岡田)・シューティング・

 

佐伯玲子(現新日本プロレスAKIRA夫人)・広川ひかる(現ダチョウ倶楽部

 

上島竜兵夫人)・バカルディ(当時3人組現さま〜ず)・YOKOHAMAそして松竹梅。

 

僕等以外はライブ初体験、何をどうして良いか判らないものばかり・・・

 

兎に角僕等が頑張れなければ、何の為にホリプロに来たか意味が無い。

 

第一回目のライブは1989の1月の末だった。

その年は天皇陛下の容態が悪い時だった。

こんな時にお笑いライブなんかやって良いものか散々悩んだが・・・

 

ホリプロお笑い部門の社運が掛っているので強行する事にした。

 

88年の年末から稽古をして、30分のネタを2本作り上げた、ライブの時間は

 

最低でも2時間持たさなければ様にならない。

若手のタレントは持っても5分が限度、6組×5分と云う事は30分、あと30分足りない。

 

急遽全員のオープニングコントを入れる事にした。

これが5分、それでも足りないのでゴングショー形式のコーナー(ライブジャック)を作った。

 

これはホリプロのタレントではないが、このゴングショーに出て見事勝抜いた

 

組は、ホリプロお笑いライブに出られると云うコーナー。

 

最後に今日のネタの一番受けた所を出演順に登場してエンディングという構成を作った。

それだけではない、今度はチケットを売らなければならない。

 

当然若手は期待できない、僕等のノルマは150枚、一人50枚サバかなくてはならない。

 

お笑いスター誕生のファンや知合いの人に頼んで、全て売り尽くした。

 

会場は銀座小劇場、150人入れば超満員になる所。
 

そして本番当日、お客さんは200人以上の超満員だった。

 

オープニングのコントから盛り上がった。

 

そして、松竹梅の前説で盛り上げて若手三組の出番、思ったより受けていた。

 

そして僕等の1本目のコントも大爆笑だった。

 

心配していたゴングショーこれが以外にも大好評だった。

 

そして後半若手三組の後、僕等2本目のコントこれも無難に終わった。

 

いよいよエンディングの時が来た。

 

各組が今日一番受けた所をダイジェストでネタをする。

 

これにはお客様も最高潮のノリと拍手で迎えてくれた。

 

このエンディングだと名前とどんなネタをやったかをもう一度思い出してくれる。

我ながら良い構成が出来たと思った。

吉本10年!舞台経験や紳助竜介とやったライブが役立った。

 

お陰で第一回目のホリプロライブは大成功の内に幕が下りた。

 

次の日のスポーツ紙に、ホリプロお笑いに殴り込み、銀座で大爆笑の渦と書かれてあった。

 

これで僕等の夢も大きく羽ばたくように思えた。

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松稔の芸能裏話(70) ホリプロからスカウト

マネージャーのMさんは、お金を誤魔化した事で居辛くなり、結局大阪に帰ってしまった。

マネージャーは居なくなったが、三人で力を合わせて頑張ればどうにかなると思った。

 

暫くすると、コロッケさんのマネージャーだったFさんが『君達さえよければ、

 

松竹梅のマネージャーさせて欲しいんだけど』とわざわざ電話してくれた。

 

Fさんはコロッケをメージャーにした人だが、コロッケが独立したので、今は誰も担当していない。

 

そこでもう一度花を咲かせたいと、僕等に白羽の矢を立てたそうです。

 

Mさんの事もあったので、慎重に三人で考えた。

 

「一週間後答えを出します」とFさんに伝えた。

 

三人で相談した結果、Fさんはコロッケさんをメジャーにしたノウハウがあるし、

 

Mさんより信用出来そうなので、マネージャーになって貰えばいいと云う結果になった。

 

ところが、毎週やっているライブにホリプロのS部長と部下のTさんがやってきた。

 

ライブが終わってから、S部長が『君達は面白いね、事務所は入っていないの』

 

「はい、今はフリーです」『そう、実はホリプロでお笑いのセクションを作るんだが、

 

お笑いが分かる人間がいないんだ。君達が入ってくれれば、お笑いの核が出来るのだが、

 

ホリプロに入ってくれないかね』とスカウトされた。

 

今まで悪い事が続いたのに、ここに来ていい話がたて続けに入ってきた。

 

S部長から『来週ホリプロに来て、詳しい話をしょう』とその日は帰った。

 

Fさんにマネージャーになって貰おうと決まり掛っていたのに・・・心は大きく揺らいだ。

 

そして、ホリプロに話を聞きに行った。

 

S部長は『君達の評判はテレビやライブで聞いているよ、君達が入ってくれれば、

 

他のお笑い事務所とも対抗できると思うんだ。

 

ホリプロお笑いタレント第1号として契約したいんだ。』と云われた。

 

Fさんの件もあるので、即答はさけていた。

 

『条件は、給料一人15万円でどうですか』入ると決めていないのに・・・

 

どんどん話が進んでいく。給料15万円は当時としてはいいのだが、

 

ダチョウ倶楽部が15万円貰っていて、寝る暇がないほど働かされていた。

 

それは困るので「僕等、給料は要りません。その代わり歩合制にして下さい」

 

と云った。『じゃ、それで決まり』とうまく乗せられた。結局ギャラは5:5になった。

 

ホリプロにOKしたが、Fさんに断りの返事をしなくてはいけない。

 

次の日、Fさんと会う事にした。正直にホリプロからスカウトされたと言ったら、

 

がっくりと肩を落しが、『まぁ僕がマネージングするより、

 

大手のホリプロに入ったほうが、君達の為にもその方がいいよと』と云ってくれた。

 

天皇陛下は益々悪化していたので、仕事もなくどうしようと思っていた時だけに、

 

ホリプロに入れると云う事は、僕等にとっては長い々いトンネルから

 

やっと出口の光がさしてきたと言う感じだった。

 

諦めずに努力していれば、神様はきっとチャンスを与えてくれると思った。

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