日本の製造業を応援する商品プロデューサー

日本の製造業を応援する商品プロデューサー

日本の製造業を全国日々周りながら、日本製造業への想いや、日本の中小製造業の商品企画、販売促進を支援する中で、国内、海外市場視察の所感を呟いています。

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休職中の友達に久しぶりに会ってすぐ、多分、彼独立するだろう。直感的に思った。
普通の企業に入って就職するにはもったいない人材はすぐ分かる。
自分で一から考え、分からないことは調べ、仕事が組み立てられる人間は、はっきり言ってサラリーマンに向いてない。不満が溜まる一方なのだ。
独立するって、楽じゃないです。全部自分でやらなきゃいけないし、生活の安定なんてない。会社というルールのない中で、裏切られたり、人間不信になったり、色々ある。
でも、自分の足で立ってる感じ、自分次第で何とかできる感じがある。
最初は誰もが怖いけど、自転車の補助輪を外しても乗れるようになる感覚を掴めれば、何とかなるかなと思える。そして永遠に続くアンルーティンワークに慣れていくのかもしれない。それが独立する感覚だと思う。

先日恩師からこう言われた。
「あなたのありたい状態はどんな状況? やりたいことではなくて。。」
考えたこともなかったので、絶句してしまった。。

ありたい状態について早速考えてみた。
頭に浮かんでくるのは、パリにいて美味しいフレンチやケーキを食べている自分の姿だった。。
多分恩師がいいたかったのは、そういうことではないのだと思うのだ。

ずっと考えていて、ふとした時に浮かんできた。
今そのありたい状態になっていることを。。
すでになっているから、こうありたい、とは
思わないのだが。。

15年位前、貿易実務をオフィス内でする仕事だった自分は、外出が出来る仕事がしたかった。
元々大学時代はサッカー部で、学校の勉強はろくにせず、グラウンドを駆けずり回る生活だったので、オフィスにずっと座っていること自体耐えられない。それがかなり長期間そういった生活であった。
また、たまに喫茶店でパソコンを開いて仕事をしてる人を見かけ、オフィスではなく、パソコンを持って歩いてする仕事がしたいと思っていた。
そのためには、商社でいうと、営業になることだった。

総合商社でいきなり営業になれない仕組みだったので、早速転職した。でもいきなり営業になれなかった。まずはこれまでの貿易実務を生かした国内物流をやることになった。そこである程度デパートや店舗等の外回りも経験して、次の会社のコンサル会社で、パソコンを持って仕事が出来るようになった。

でもまだ営業にはなっていなかった。どうしても営業になりたいと思った。なんの仕事でも営業力が必要だと感じたからだ。

そして、なんとなく新幹線に乗って仕事がしたい、出張が多い仕事がしたいと思った。

そう思ったころ、営業として転職できた。
初めての営業、そしていきなりど新規営業だった。最初は全く受注が取れなかった。提案書とかも作ったことがなかったので、何をどうすれば良いかも分からなかった。ルーティーンではないのでマニュアルもない、ゴールも売り上げくらいしかない。ゴールも自分で設定し、プロセスも自分で編み出し進めていく方法を学んだ。
そして毎日新幹線に乗って移動していた。飽きるほど新幹線に乗った。

次は海外で仕事がしたいと思った。それもすぐ実現した。海外で一週間張り付きで仕事もした。

そして次は、フリーで仕事がしたいと思った。個人事業主だ。青色申告も何年もやった。その後は経営者になりたいと思った。自分の力を試してみたいと思った。そして会社を立ち上げた。

そういった意味では、いつのまにかありたい姿になっていた。ありたい状態も、進化するのだなと思った。

次にありたい状態は?今度は日の丸プロジェクトに関わりたいと思った。そして日本の製造業に貢献したいと思った。すると、国のプロジェクトへの提案機会が訪れた。必死にプレゼンしてみた。日本の製造業のために国としてやってほしいことを訴えてみた。

まずはありたい姿、ありたい状態を描くこと。そして、チャンスを掴むこと。まずはやってみること。諦めないこと。そうすると道が開けるのかもしれないなと感じる。

次のありたい状態は何だろう?現在温め中だ。


色々あって久々地方のホテルで塞ぎこんでいたら、感じとったのか母親から電話がかかってきた。心配かけたくないので、めげてたとは言わないが、こんな歳の子供の気持ちまで遠くで何となく感じて電話をしてくる母親の愛情は凄いなと改めて感じた。
母親にならなかったのは、本当に人生において悔いが残る。霊感というか超能力?というか、母親の子供に対する愛、これに勝るものはないなと感じる。子供を持たない自分は一生未熟者のような気がしてならない。